Dragon Eye

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第一篇 - 終章

-fin- ティア・フレイス

 どこまで見渡しても蒼いばかりの天を見上げ、ティアはほぅ、と息を吐いた。
 待ち人が来るまでもうしばらく。とりとめのない事を考えながら景色を眺めていると、夜明け前の紺青の空に息の白さが良く映えているのに気付いて、中央大陸の季節が冬に入っていた事を、今更のように改めて感じた。
 ラヴファロウの話では、今はこの辺りが本格的に寒くなり始める時期だという。思い出すと同時、軽く身を震わせた。旅装に手を抜いたつもりはなかったので、どうやら本当に今日は寒いらしい。
 深呼吸で胸いっぱいに早朝の空気を取り込んでから、小さく呟きを漏らした。
「……次に行く町でもう一枚くらい手に入れようかしら」
 さく、と霜を踏み、誰かがこちらに近寄ってくる気配がした。来たと思ってティアは振り向く。
「――待たせたか?」
「そんなに待ってないわ。大丈夫」
 そこにはティアと同じく旅装姿のロヴェが立っていた。
 前からロヴェが着込んでいた白いマントは、すっかり汚れも落とされて、くたびれながらも新たに旅立つ彼の身を覆っている。マントの下でも、白と黒を基調とした服装は変わらない。ただし、黒に重きを置いていた以前と違って、圧倒的に白の割合が多くなってはいた。
 加えて、唯一そこだけ色彩を思い出したかのように、紫色をしたスカーフが、彼の首にゆるりと巻かれている。滅んでしまった自らの寵姫を偲んでのものだとは誰もが察してはいたが、直接口に出すような無粋な者は誰一人として居ない。
 それに、とティアは思う。
 彼は時に、同情や慰めの言葉などを必要としないぐらい強いと、知っている。
「ったく、それにしても」
「?」
 ティアが思考から浮上してロヴェを見ると、首のスカーフに指を引っかけて具合を整えつつ、彼は呆れた調子で告げた。
「おまえら、つくづく素直じゃない奴らだな」
 思わず、首を傾げた。
「そうかしら? ――ああ、」
 ロヴェの言わんとするところを察したティアは、目を伏せがちにしながら苦笑した。
「私たちは素直よ? お互いの気持ちに正直になって話し合ったら、結局こうなっただけ」
「はぁん、なるほどねぇ……」
 ぽつりとロヴェが呟いた。
「そうよ。だから、もう離れても大丈夫なの」
 言い放ったティアの隣には、居るべき存在は、“居ない”。
 今頃彼の漆黒のドラゴンは遠い空の旅人となって、クラズア山脈への風に乗っている事だろう。
「離れた途端に周りに心配されるような関係は、この件以降さっぱりやめようって二人で決めたの。私としても金輪際あんな思いはごめんよ。もう懲り懲りだわ」
 肩をすくめて見せると、ロヴェはククッと低く笑いを漏らした。
「カーレンの奴はさぞかし渋い顔をしただろうな」
「やめて」
 ティアは深く嘆息する。
「どんな時だろうと心は離れず、いつでも同じ場所にある……おー、どっかの恋人同士みたいな言葉だな」
「恋人同士じゃないわよ」
「え、おい、違うのか?」
 にやにやと笑っていたロヴェは、意外だ、というよりは、衝撃を受けたような顔をしていた。
「てっきりもうそうなったかと思ってたんだが――あぁ、でもそうか。恋人同士じゃないよな。まだアレだ、うん」
「アレって……何?」
「おい、そこが分からないってちょっと問題じゃないのか」
「はぁ?」
 早々に立ち直ったかと思えば、勝手に納得して意味深な発言を繰り出すロヴェに、ティアは面食らった。
「まぁ、それはともかくとして。おまえがカーレンと別れてまでついてくるってんなら、俺は止めやしないさ。なぁ、ブレイン? おまえも賛成だろ」
 言いつつ彼が体を少しずらすと、後ろからそっと赤毛の少年は顔を覗かせた。エリシアやエリックと揃って屋敷に置いて行かれた事をずっと怒っていた弟は、未だにティアに対して態度がぎこちない。
「……ティア姉さんが、良いなら、良いよ」
 控えめにも程がある言葉に、ロヴェが盛大に溜息を吐いた。
「おまえな、もうちょっと自己主張しろ」
「うわっぷ」
 乱暴に頭を抑え込まれ、ブレインは悲鳴を上げた。
「貴族だったサシャ・ディアンならともかく、おまえは元は農村の子だ。あいつにあちこち弄られた体をタダで元に戻してやろうってのは俺ぐらいだぞ。それぐらいの見返りは要求したっていいだろ」
「で、でも」

 あー、うー。

 悩んでうんうん唸った挙句、ブレインはぱっとロヴェから離れてティアに駆け寄り、懐に飛び込んできた。
「わっ、と……! 危ないわね、もう」
「ごめんっ……でもやっぱり一緒に来てくれなきゃやだ」
「――ですって」
 ティアはロヴェを見た。
 彼は途方に暮れたように、腕をこまねいて姉弟の様子を眺めている。
「姉の前じゃ子供か。俺にはどう接したら子供子供してくれるのかねぇ」
「あら、簡単よ」
 遠い目をしたドラゴンに、ティアは悪戯を思いついて微笑んだ。
「ね、ブレイン。これからロヴェの事、“お父さん”って呼びましょ」
「? ……は?」
 ぽかん、といった表情そのものの顔で、ロヴェがこちらを凝視した。
「おい、ティア?」
「何、父さん?」
「……俺、その流れで行くとシウォンの父親にもなっちまうぞ?」
「別にいいじゃない、彼に二人父親がいたって」
「…………ついでにおまえ、カーレンとレダンとも兄妹になるぞ?」
「どうせ大したことないわ。養子を新しく二人とるだけよ」
「………………俺に面倒を見ろと?」
「だって、あなたがこの中で格別に年長じゃない」
「〜〜っ」
 頭痛を覚えたのか、ロヴェは眉間を揉んだ。
「……分かった。俺の負けだ」
 ややあって、降参だとばかりに頭を横に振る。
「良かった」
 答えを聞いて、ティアはにっこりと笑った。
「――俺に養子にしろと脅しをかけた奴はおまえが初めてだ」
「別に脅してないじゃない。私とブレインを利用した責任を取るって考えれば楽じゃないの?」
「……もう、いい」
 何かが折れたのか、ひどく疲れた顔でロヴェはこちらを恨めし気に睨んだ。
「くそ、もう二度と父親なんてやる気はなかったってのに」
「頑張ってね、父さん?」
 ロヴェは苦り切った顔をしながら、半ば自棄のように長い髪を後方へ払った。

「せいぜい努力させてもらうよ」


□■□■□


 皮の翼が風を切る。

 中央と北大陸の間に横たわる海の上を、漆黒のドラゴンが先頭を突っ切って鋭く飛び、ゆるやかな円を描くように旋回した。
 その後に続いて、三体のドラゴンが同じ速度で追随する。
『おい、飛ばしすぎだぞ、長』
『これぐらいが気持ち良い』
 並行して飛ぶエルニスは声をかけたが、きっぱりとした返答が返ってきた。
『私はちょっと寒いかも』
『ベル。おまえ温暖なところばかり行って身体が緩んでるんだろ』
『クラズア山脈を飛び回ってたあんたやカーレンとは違うわよ!』
 ぐわ、と美しいワイン色の鱗をしたドラゴンが口を開く。人間でいえば悪鬼の形相だった。
『やれやれ、うちの若手は元気だな……少しは老体を労わってほしいものだが』
『そう言っておいて俺の後ろにぴったりとついてるじゃないですか、アラフル様』
 のんびりと言いながらもしっかりカーレンや自分に追いついている悪なる赤にも苦言を飛ばし、エルニスは頭を振る。先ほどからずっとこんな調子だった。
『それにしても、本当にあれで良かったのか、カーレン』
『何の話だ』
『とぼけるなよ、ティアの話だ』
 クェンシードの長は横目でエルニスを見た。紅い瞳の奥で瞳孔が細くなる。
『ロヴェに任せたのだから、別に心配はしていない』
『だから、そうじゃないだろ!』
 口を窄めて溜息を吐くと、ついでのように翡翠色の炎が噴出した。
 予想済みだといわんばかりにひらりとかわして、カーレンは空中で横に回転する。完全に遊覧気分のようであった。
『私なら心配するな。どうせ離れるつもりだった』
『……その真意は?』
 ぼそりとベルが低い声で聞く。危なげな気配を察して、エルニスは素早くカーレンに近寄ると耳打ちした。
『下手な事言うなよ』
『馬鹿を』
 合言葉のように返事を返してから、カーレンはベルに視線を流した。
『長になったら毎年のように会合があるだろう。しばらくは彼女を外に置いて、他にそれと晒したくはない』
 なるほど、とベルは呟いた。
『寵姫がいるって悟らせない訳ね。でもきっと他の雌が鬱陶しいわよ』
『……善処する』
 これからの事を思ってか、声が暗く沈んだ。いや、沈んだのはそれだけが理由ではないだろうが、とエルニスは思って嘆息する。
『ただ、悔しいという気持ちもある』
『ほぅ。どういう意味だ?』
 憮然としたカーレンの言葉に、アラフルが関心の声を上げた。
『私一人が自分だけで何かを決めても駄目だという事だ……ティアもそれを理解しているから、ロヴェと行くと決めた。分かってはいても、何となく歯痒い』
 まるで子供のような稚拙な言葉の並べ方だったが、それでも一番率直に現在のカーレンの感情を表している。
『ふむ。まぁいいだろう。己の中での感情を認めるのも強さの内だ』
『あぁら、私には、あんたが自分の力が足りない事を他の力も必要な事があるって開き直ってるようにしか聞こえませんけど? ちょっとはティアを気遣ったらどうなのよ、だらしない』
 頷くアラフルに対し、そのうちどんな雄の言葉も鼻であしらいそうなベルの様子に、エルニスはやれやれ、と宥めにかかろうとした。
 しかし、カーレンも負けてはいなかったようだ。
『開き直らなければやっていられない』
 煙の筋をふっと口の端から漏らして、不機嫌も露わに彼は尾を揺らした。
『一人で押しても引いても駄目だった。なら、他のものすら利用して、逆に髪一本にすら触れられないようにしてやる』
 ぶすぶすと口の中で何やら物騒な音を立てながら、ベルは目をぐっと細めた。
『それもそれで問題ありだけど……まぁ、今の所は及第点にしといてあげるわ』

 正直に言えば、もう、この二体が分からない。

『…………おまえたち、せっかくウィルテナトに帰るっていうのに』
 何でそんなに喧嘩ばっかりなんだ。
 呆然と呟いたエルニスの後ろで、アラフルがぶふっ、と堪え切らないように吹き出すのが聞こえた。
『まぁ、雌など皆こぞって弱い者を守りたがるからな。エルニス、幼馴染とはいえ、おまえ本当にこんな勝気なドラゴンをモノにするつもりか?』
『何とでも言って下さい。惚れたのが運の尽きだと俺は諦めました』
 そして、諦めたからには必ず手に入れてみせよう。
 自棄気味にあっさり認めた辺り、自分も相当にげんなりしていたのかもしれない。

 ベルがエルニスの『惚れた』発言に過剰反応して高度をガタ落ちさせたのも見なかった事にして、エルニスはカーレンと共に、やや食傷気味な心を抱えて自由な風に身を任せた。


□■□■□


「そういえば聞きましたか、ラヴファロウ様? ハルオマンドで政変があったそうですよ」
「聞きましたか、って……おまえが言うって事は、まだどこにも出回ってない情報だろうが」
「当たり前です、私は情報屋ですから」
 胸を張るマリフラオに、オリフィアの自分の住家に戻ってきたばかりだったラヴファロウは嘆息した。
「……情報元は?」
 聞くなり、眼前にずいと黄味がかった高級紙の封筒が突き付けられた。
 蝋封できっちり蓋をされて、開けられた様子がない。よく見ると透視防止の魔術まで刻んである。だがそれも執事の様子からすると意味を成さなかったようだ。
 蝋に押されたハルオマンドのとある大家の紋章を見て、ラヴファロウは盛大に顔をしかめた。

「直通かよ、おい」

 言うと、執務室に入りながら、マリフラオに向かって声をかけた。
「ナイフ投げてくれ」
「はい」
 ぱん、と子気味良い音を立てて受け取ったナイフを手紙の入った封筒に当て、ラヴファロウは中の紙を取り出した。
「…………」
 冒頭の修辞は読み飛ばし、本題だけを読んでいく。
「何て書いてありました?」
「読んだだろ」
「伝えてはおられぬようですね」
「みたいだな。こっちにもそのうち耳に入るだろうから先に送ったと書いてある」
 ふっと窓に目をやり、溜息交じりに呟いた。
「ったく……ティアといいカーレンといい。俺の屋敷に転がり込んできた奴らは我が儘な性格が多いことだ」
「恐れながら、貴方もまだまだ青二才である事を御自覚なさった方がよろしいかと」
「うるせぇよ。俺だって来春で二十六だ」
「手柄を立てた時にさっさと相手を探せば宜しいのに、大恋愛などするからです」
 マリフラオの指摘に顔を背ける。
「ああ、その事ですが、実は陛下から呼び出しが」
「呼び出し?」
「正式に挙式と即位式の日程を決めたいとかで、打ち合わせだと」
「……姫の頼み事なら聞くけどな、面倒事は俺はごめんだぞ」
「まぁそう仰らずに」
 す、と紅茶を主人に勧めながら、マリフラオはにこやかに言った。
「ご安心ください。もう、この国の王同然ですから」
「……俺もカーレンも成り上がったもんだな」
「返す刃で暗殺しようとする輩もいるでしょうから、くれぐれもお気をつけて」
「おまえもどうせ来るだろ」
 はい、と。仰々しい礼を取り、マリフラオは目だけを不敵に歪ませた。
「成り行きでお供をさせて頂く事になりましたから。今度も行き着くところまで共に参らせて頂きます」
「ふん」
 鼻を鳴らし、じろりと机に放りだした手紙を睨む。

「おしゃべりな部下を抱えてるんだ。情報の秘匿は高くつくぞ」

 分かっているとでも言いたげに、風に手紙が左右に揺れた。

「さて、んじゃちょっくら行くか」
「はい」

 マリフラオに続いて部屋を出かけて、ラヴファロウはふと振り向いた。

「……ドラゴンが魅入られた寵姫、か。カーレン、おまえの闇を見通すのは、おまえ自身の目ではなかったらしいぜ」

 呟き、オリフィアの王となろうとしている男は微笑んだ。

□■□■□

 草原を少女が歩いていく。
 冬のために緑よりも茶色が多く、少し旅立ちには寂しい景色だが、それも春、夏と移り変わるにつれて鮮やかになっていくだろう。
 ティアはさて、と家族二人に向かって振り返る。
「父さんとブレインと私。新しい旅に出られるのね」
「長いぞ」
 にや、とロヴェは唇を吊り上げて笑う。
「今度の旅は数年がかりだ。世界はちょっとやそっとじゃ見て回れないからな」
「カーレン“兄さん”も来れば良かったのに」
 本気でそう思っているのか、ブレインが真顔で言った。
「あいつはもうぶらつきすぎと言われても文句は返せないさ。しばらくはみっちりと長としてドラゴンの世界に浸かってもらおう」
 くっくっと肩を震わせてから、ロヴェは「ああ、」と声を漏らす。
「――カーレンと言えば、言い忘れてた事があったな。ティア?」
「何?」

「誇れよ」
「え?」

 何を言われたのか分からなくて聞き返したティアに、ロヴェはもう一度言った。

「誇れよ、ティア。そして忘れるな。……あいつの闇を本当の意味で見通した。紛れもなくおまえこそが、カーレン・クェンシードの寵姫(ドラゴンアイ)だ」

 目を見開く。
 もらった言葉の意味を考えようとして、やめた。

 そして、言われた通りに胸を張って、ティア・フレイスは強く笑った。

「――はい! 父さん!」




Dragon Eye. 完


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