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第一篇目次 > 本編
――海を遥かに越え、空高くを行く。
蒼穹は天上の限りなく深い青から、左手に沈んでいく日に近づくにつれて、赤や黄の色彩を帯びていた。
風は空を進むにつれて一層冷たくなり、夜のものではない圧倒的な冷気を纏っている。
目的地として定めていた場所は今日もやはり、どんよりとした色の雲に覆われていた。
エルはしばらく様子を見ていたが、そのまま、眼下の黒く厚い雪雲へと身一つで飛び込んだ。氷と雷、風の荒れ狂う嵐の中を突き抜けて、『彼ら』はセイラックの死の街――その脇を流れるローラ川の畔に降り立った。
地図の上で言えば、ラヴファロウがティアたちを待っていた山間部の別荘は、中央大陸の北西部にある。大陸間の移動になったが、それでもこれだけの距離ならば、まだエルにはロヴェ抜きでも飛び越える事は容易かった。
今でこそ、それが可能である事実に目を剥いて驚く者の方が多いだろう。だが、そんな風に大陸間を散歩程度の気分で移動するドラゴンが、そこら中にごろごろと転がっていた時代が実在したのは確かだ。そのような奴らと渡り合わなければならない状況があった事も。そのために、自分もロヴェも『散歩で』大陸を移動出来るようになる必要があった。
(『たったそれだけの話で済ますから、父さんってつくづく人間を辞めてるよね』)
(『あっさりそんな化け物に身体を半分譲る事を決めたおまえも、ほとんど同類だと思うよ』)
心の中でそんな会話を親子で成立させながら、ん、とエルは身体を伸ばす。
ちらりと目をやれば、七年の歳月が経った事も知らせないように、沈黙を保つ亡国の街がある。この街は風化こそ進んでいても、外観は時が止まったかのようにほとんどそのままだった。まず、土に根を下ろし、石を砕くべき草花が最初から生えていない。白く清らかな雪のには、瘴気をしこたま溜め込んで、死の土へと変わり果てた大地があるためだ。無事だったのは、カーレンに守られていたティアとその家の周りの林ぐらいだろう。
偽体がじわじわと腐らせていったこの国に、常人が長く住む事などできるはずもない。
この手で、これ以上命を奪う前に。たった一人、残された少女の命すら消す前に――どうか殺してくれ。そう叫びながら、命乞いのように、必死になって死を望んだ者たちがいた。
あの漆黒のドラゴンは、黙ってその願いを受け入れた。そうして七年前、この国の全ては炎に包まれ、完全に腐り落ちてしまう前に燃え尽きた。美しく、儚く、命の火の粉を撒きながら。
ただ、人々が住んでいた場所と、その僅かな痕跡と、穢れ果て、生ける者すら怖気付かせるような、荒々しい死の気配だけを残して。
雪に誘われて、街へと足を踏み入れた。
入り口の辺りで振り向くと、足跡が点々と川の方から続いていた。厚い雲と、灰色の川と、見渡す限りの白い地平。寂寥感すら漂うここは、殺風景であってもエルにとってはひどく安らぐ静かな世界だった。
「――さて……どうする?」
唇が無意識に動く。
しかし、『セル』はその事実に違和感を覚えても、奇妙だとは思わない事にしていた。ルヴァンザムと自分の思考が入り混じった心身では、何が起ころうが不思議ではないだろうから。
「どうする、カーレン・クェンシード? 救いたかった寵姫は、もうすぐ冥府へ堕ちてゆくよ」
義妹にした事がどれほど罪深く、許されざる事かぐらい、馬鹿でも分かる。
それでもこうする事を選んだ。
為した全ては自分のため。
選んだ全ては二人のために。
「ティアちゃんが居なくなれば、どうする? 君はどこに行くつもり? 全てを滅ぼす? それとも生きる理由すら失くして死んでいくかい?」
問いかけをしながら、自分でも、果たして彼はどうするだろうと思考を巡らせる。
そして、出てきた答えに薄っすらと笑った。
――“分からない”。きっとこれが正解だった。
答えになっていない答え。でも、彼が選ぶ選択肢などそんなものだろう。
歩きながら、ふと、もう一つの答えが浮かんできた。
それは一体何なのか。答えに意識を向けたエルは――苦笑した。
「そうだね。あるいは、君はたった一人の女の子に……死に方すら決定されてしまうんだろうね」
思えば、ポウノクロスでもそんな感じだったのではないか。
ティアが一言言いさえすれば、彼は望みのままに従ってしまうのかもしれない。仮に『死ね』と言われたら、彼は優しく微笑うだろう。首筋を無防備に彼女の目の前へとさらけ出し、そして殺すかどうかを選ばせる。自らの生殺与奪に関する全ての権限を、呆気なく譲り渡してしまう。
それほどのものを、セイラックを、彼女から奪ったのだと自覚しているが故に。
そこまで考えたエルは、けれど、と笑みを引っ込めた。
「ティアの命運を決めるのもまた、彼か」
あのドラゴンは望むから。
自分もまた、望んだから。
ディレイアで。世界の底で、絶望の底で。
あの時、光を感じたのだ。
ひょっとしたら……最後の最後で、諦めていた事を望んでしまった。
救われる事を。そのために彼女を堕とす事を。
「……連れて来る? いいや、そんな事をするはずがないよね。彼女が自分で“ついて来る”んだ」
足を止めた。
見下ろすと、すっと目を細め、地面を覆う雪を溶かした。氷はどんどん透けて水になり、ところどころ黒ずんだ白い石畳が現れた。
血の染みがそこにあった。いくら雪が清め、洗い流しても、流された血は染みこんで跡を残した。
それがただの血ではなかったために。
屈みこんで、血の跡をなぞる。
「覚えているかい? 君が七年前、ティアを守るために流した血だ。ここは炎に覆われた場所だった」
炎に巻かれ、刃に裂かれた。味合わされた痛みに耐え、刹那の空白の中で、彼は取り戻したに違いない。
数々の大切な人を失った日を。無残に守りたかった存在が目の前で殺されていく光景を。自分の生きている事の異常さを、国をも簡単に滅ぼしてしまう、忌むべき自らの力を。
そこに居るだけで、誰かの破滅を招いてしまう自分の有様を、カーレン・クェンシードは呪った。
ロヴェを手にかけた瞬間から、その呪いは彼を殺すものへと変わった。
それでもティアの呼びかけに応えたのは、きっと、まだ求める心があったのだ。
どれだけ傷つき、立ち上がれなくなっても……もう一度触れたいと願うほど、温かくて優しい心。全てを覆う闇の中で、それでも胸の内に灯せる光。
カーレンにとってのそれは、ティアだった。九年前に初めて出会ったその時から、どんな形であっても彼女はカーレンの心と命を助けてきた。
だから――手放せなくなっても、無理はないのだ。
このままでは少女の身に破滅を招く。分かっていても、離れる覚悟が決められなかった。
いつか少女は自分が壊してしまうだろう。そうなる前に全てを自分から滅茶苦茶にして、なかった事にしてしまえたら。最後に自分が居なくなる事が出来たなら良いのに。
けれど喪失を恐れるあまり、できなかった。
「七年前は、君は逃がせた。まだ、手放す事ができた。けれど今は?」
彼にもう一度出来るだろうか。巻き込まないようにするために、彼女を戦いから遠ざける事が。
ティアがそれを許すだろうか。もう二度と離れないために、きっとカーレンを追いかけるだろう。
その行為によって、どれほど彼が苦しみ、狂っていくのかも知らずに。
身を以って知っていた。
ドラゴンと寵姫は、特別な絆で結ばれる。時が経てば経つほど、離れがたくなって、お互いに深く繋がっていく。親友よりも恋人よりも性質が悪い。時にはその魂や命までもを絡め取る。
手放せないと知った時。その時自分が死のうとしていたなら、カーレンはティアを手放せるのだろうか。世界が二人を別つ事を良しと出来るか?
――否だ。
エルは音もなく笑みを浮かべた。そんな事、出来はしない。
きっとカーレンはティアを連れて行く。死の果てまでも、二人で行くしかない。
自分とロヴェは、おそらく特別、例外だろう。絆は深まり過ぎて、当の昔に死を超えるまで昇華されている。例え生と死が自分たちを別とうが、その境界すら壁にはならない。
「カーレン……生きる事を選ぶのならば、君に問おう」
君は、僕を。
君は、私を。
あの子が悲しむと知っていながら、それでも殺すと言えるのか。
あの子の命を救うために。
「セルか、ルヴァンザムか。君はどちらを殺す事になるのかな」
どちらを殺すべきか。
当てられたら、ご褒美を上げよう。少女の命と、生きていく世界を。
外してしまったら、その全てを奪おう。生きる希望を消し去ろう。
雪の中に埋もれながら――エルは薄らと笑い、空を仰いで待っていた。
彼らが、この地を訪れる時を。
□■□■□
カーレンは部屋を移動する間、終始無言だった。
抱えられながら、間近からその横顔をぼんやりとティアは観察する。
思索にふけるように伏せられがちな紅い目は、ティアの視線には気付いていても、一切それを向けてくる事がない。
まるで、目が合う事を恐れているようだった。
「……殺し合うの?」
ぽつりと聞くと、首が縦に小さく振られた。
あっさりとした肯定に、胸の内が深く沈んだ。
合理的に考えてみれば、当たり前の事だ。裏切り者の兄の命と、世界そのもの。天秤にかける前から重さの差など分かりきっている。
ドラゴンアイを有する一柱が崩れたら、それだけで世界が歪む。ロヴェはそう言った。だから自分はこうして例え死にかけたとしても、ティアの願いの力と世界の力によって生かされたのだ、とも。
だが、生ける者によって狂わされた理は、同じ生者にしか元に戻す事ができない。
それは、兄を殺すという事だ。失敗すれば、カーレンが死ぬという事も意味している。
全て承知していて、理解していない所はないはずだ。それにも関わらず、自分の命運すら含まれている理を救う手段に、カーレンは憤る事もしなければ、恐怖を瞳に映す事もなかった。
今彼の中にあるものが、何かの決意と覚悟だという事は間違いない。
「私……私は、あなたにこれ以上、人を殺させる事はしたくない」
駄目だとは言えなかった。
かつてカーレンが、大勢の人間を――人外と成り果ててしまったセイラックの民を殺したのは、ティア一人の命を救うためだった。もう既に何万……ひょっとしたら何十万回も行われていた事を、自分が駄目だと言って非難できる立場である訳がない。
そんな事をすれば、カーレンそのものを否定しているのと同じになると思った。
「……私は、強いられている訳ではない」
聞こえた声に、顔を上げる。相変わらず視線は合わなかったが、意識だけはずっとこちらに向けられていたのだと、ティアは悟った。
「私がセルとルヴァンザムと殺し合うのは、おまえが望んだのでもなく、誰に強いられたのでもない。それに……私は、私がそうすると決めたから、セイラックとそこに住む者たちを滅ぼした」
因果なものだな。
言って、カーレンは自嘲を込めて笑っていた。
「かつておまえのために滅ぼした場所へ。……私はまたおまえを救うために、おまえの愛した者を殺しに行く」
その言葉が何に向けられている皮肉なのか、ティアは考えたくなかった。代わりに、一つの事に気付いていた。
カーレンが先ほどから口にする言葉の中に、一切含まれていないものがある。
「それからカーレンはどうするの?」
未来。
もし仮に、カーレンが二人を殺して、ティアが生き延びる事が出来たら。その後の話だ。
ティアとて触れたくない話題だった。だが、それ以上にカーレンが先を口にしない事が不安だった。
自分だけの“
だから今もまだ戻れる。逃げられるだけの余地があるのだ。
いつまでもその余地が残っている不自然さに、気付かない訳がなかった。
一人で全てを終わらせ、どことも知れぬ闇の中へと消えて行き――そして、二度と彼はティアの前に戻ってこないのではないか。そんな気がしていた。
「答えて。――私を救ったら、その後はどうする気なの?」
長すぎる沈黙に、そのまま逃げる事を許さずにティアはカーレンへと問うた。
答えの代わりに、カーレンはティアへと目を向けた。紅い目が静かな彼の心をよく表している。だが目が合った瞬間、瞳が確かに揺らいだ。
「どうしたいの? カーレン」
ティアの言葉に、じわりと、滲み出るように苦しげな表情が彼の顔に現われる。
答えはあるのだろう。けれどそれをティアに告げる事を、彼自身が自分に許していない。あえて言わないと決める――言いたいそれを、喉の奥に押し込めなければならないほどの覚悟がある証拠だった。
いつしか立ち止まっていた屋敷の廊下で、おもむろにカーレンはティアを床へと下ろした。
求められた答えに値する言葉を返せないで、途方に暮れたような表情をカーレンは浮かべていた。無言で背中に手を回し、ティアを引き寄せてくる。肩口に乗せられた頭の重みが、余計に苦悩している事を感じさせた。
しかし、そうして大人しく抱き締められている内に、ディレイアでの事を思い出した。
ルヴァンザムに襲われ、偽体の核を飲まされる前。夢の中でカーレンと語らった時間だ。
(『おまえを恨む。あの時、私に命の在り方を刻んだ、おまえの言葉を――』)
そう言った時に、カーレンが抱いていた感情と――今のカーレンの心境は、ひどく似ているものがあるのではないか。カーレンが自分をこうして手元へ引き寄せる時は、きっといつも同じ想いを持っている。
苦しみながら、けれど望む。
離したくない。
いいや。
悟ったティアは、身体の芯が微細に震えるのを感じた。
離れられない。傍に――傍に、居て欲しい。
そういえば、七年前から彼はずっと外見が変わらない。
ドラゴンの年齢と外見は、おそらくほとんど関係がないのだろう。同じくらいの時を生きているはずのロヴェとアラフルとでも、全く見た目が違う。ルヴァンザムもまた、ドラゴンアイの持つ人には強すぎる力によって、人の摂理より外れた。
対して、寵姫の証であるドラゴンアイの力を授けられはしたものの、ティアは成長していた。仮の契約だったがために、時間は自分を変えていく。それはやがて、ドラゴンにとって余りにも短い月日を要するだけで、ティアを死へと導くのだ。
それでもずっと傍に居たいのなら、人でないものに変えれば良い。ロヴェがルヴァンザムにそうしたように。
なら、そこに込められていた想いも、やはり同じだったのではないか。
『人としてのおまえを生かしたいのに、自分の感情が邪魔をする』と、カーレンが言ったのはつまりそういう事なのだ。カーレンの心を甦らせたのは、人として生きていたティアだったから。
摂理から外れて、ルヴァンザムや自分のように、長い時で、または何かの喪失で、その心が壊れてしまうのを彼は恐れた。
失くすのは、壊してしまうのは怖い。けれど、ずっと手元に置いておきたい。
子供のように矛盾している、これもやはり“願い”だ。
けれど、こんな形で分かりたくなかった。
カーレンの心を、こんな風に能力で感じ取るような事はしたくなかった。
「ごめんなさい」と。そう言う代わりに、カーレンの背中に手を回した。
前からそうだ。自分の願いを犠牲にしてまで、ドラゴンの部分が暴れ出す前に、カーレンはティアを自分自身の魔手から救おうとする。
そんなものは要らないのに。
寂しく寒く、暗い家で毎日のように感じていた孤独。それを温かいものへと変えてくれたのは――あなただったのに。
『――カーレン』
低く、足元から声がした。
互いの身体を離して見下ろすと、部屋から追いかけてきたのか、ルティスがそこに居た。口には細長い布の包みが咥えられている。
『これを』
カーレンが身を屈めてそれを受け取り、ティアの前で封をしていた紐を解いていった。
やがて布の下から現れたのは、漆黒の剣だった。銀の蔦模様の意匠が美しく、気品のある光沢を放っている鞘を、カーレンが柄を持って滑らせる。鞘の下から現われた刃は、剣の腹にまで見事な銀細工の模様が見られた。鬼気迫る美しさに、思わずティアは息を呑む。
『ディレイアでおまえが即席で作ったものだ。荒削りだったからな、残っていた魔力を調えておいた。……見事なものだな。覇王が持つに相応しい力を秘めている』
「ああ。――ありがとう」
キン、と澄んだ音が響いた。
鞘に剣を収めたカーレンが、音もなく立ち上がる。
その様子を黙して眺めていた黒狼は、不意に、目を細めた。
『……おまえが覚醒した時から、こんな日が来るのではないかと思っていた。ロヴェとの約束を果たさんと、おまえに従った年月はずいぶんと長かったが――何だかんだでも良い
かけられた言葉に、男は頭を揺らし、吐息混じりに軽く笑った。
『……行くのか』
小さく続けられた声に、彼は頷いてみせる。何となくこの後の予想はしていたので、ティアはほっと息を吐いた。もしも部屋まで運ばれていたら、眠らされて置いていかれる所だったのだろう。
「私も行く」
「ティア」
咎めるように顔をしかめたカーレンに、ティアは口を緩めて微笑みかけた。
「傍にいる。何も出来ないけど、それだけはさせて」
願いを知ったと気付かせぬよう、笑みを作るのには苦労した。瞳が揺れているのを見られたくなくて、顔を伏せてカーレンの手を取る。
しばらく逡巡するような気配があったが、ややあって上から溜息が落とされた。
「――ローラ川の上流を下った所に丘がある。行くとしてもそこまでだ。いいな」
ティアは俯いたまま、頷いた。
手が離れると、背を向けたカーレンに気付かれぬよう、そっと左の手の平を――カーレンに触れた手を開いた。
彼に触れる直前。指の腹で、そこに描いた。
指先に魔力を注ぎ、声に出さずに呪文を唱えて、魔術を紡いだ。
手の平を胸に当ててから、そうして彼の身体へと素早く術を忍ばせた。
(――ごめんなさい)
心の中でそっと謝る。
(ごめんなさい。私、あなたの想いを利用した)
彼が望む結末を、ティアは知らない。
それでも、そこへカーレンを向かわせる気は、ティアには、ない。
□■□■□
(……やっぱ、使ったか)
屋敷の中で少女が紡いだ魔術は、自分にしか感知できない僅かな波紋を放ち、世界へ溶け込んでいった。
完全に魔力の波紋が消えたのを確認して、ロヴェは唇を引き結ぶ。
使うかもしれないとは思っていた。
いや、もともと使わせる予定ではあったが、ディレイアで何やかんやとやっている内にその必要がなくなっていた。
しかし、ここに来て少女が呪いを刻まれてしまった。カーレンが何をやらかすのかは一応予想ができたため、話を聞きながらもちらりと可能性として過ぎっただけのもの、だったのだが。
(本当に、まさか、だったんだが)
まさか。そう思った。だがひょっとするとやりかねない。
止めるべきか。いや、そもそもあの知識自体を抜くべきなのか。いろいろと考えたが、それでもこれ以上あの少女の何もかもを、自分の行動一つで狂わせるのは躊躇われた。故に、そうならない事を祈るしかなかった。
――と思っていた自分が一番の馬鹿だったらしい。
(そのまさか、だったんだよなぁ……?)
はぁ、と溜息をつく。
今の少女が使うにはあまりにも相応しくない魔術。偽体もろとも死ぬ覚悟をしていた時の自分ならいざ知らず、今の心境的には、使わせるなどとんでもない、できれば絶対に使って欲しくはないものだった。
病室に戻り、窓際から暗闇へと沈みつつある外を眺め、ロヴェは独りごちる。
「失敗したかね……俺」
「――何の話だ?」
(あ)
背後からかかった声に、ロヴェは口を僅かに開き、呆けた。
「……そういやおまえも分かるんだったか」
言って、大いに嫌な予感を覚えつつも振り向いた。
例え不得意であったとしても。声をかけた彼にも、今使われた魔術がどんな種類か大まかに見分ける程度の事はできる。
そして運の悪い事に、先ほどの魔力の波が意味するところを彼が覚えていたがために、ビリビリと窓のガラスが震えるほどの怒りをロヴェは肌で感じる羽目になった。
「――答えろ」
アラフルはこちらを見下ろして唸った。
「“あれ”は何だ? いつあんな危険なシロモノをティア・フレイスに叩き込んだ?」
「……、」
ロヴェは半分身体を仰け反らせながら、さてどう説明すべきかと虚ろに思考を巡らせた。
いや、そもそも自分がここでのうのうと生きている事自体が予想外なのだから、別に言っても良いのかもしれない。しかし、ディレイアのあの時点で魔術を少女に使わせようと考えていたのも事実のため、今彼に叩きのめされる必要もあるのだろうが。
「俺があの子に、七年前にセイラックで起きた事を知らせた時……」
のろのろと口を動かす。
誰が予想しただろうか。こんな番狂わせが起きて、こんな時に彼女がアレを発動させたなどと。
「その時に教えた。おまえが思った通り、あれは禁術並みの危険域に達する部類の術だよ。俺が編み出して、……二度と使わないと封印した」
今となっては、引き戻す術は、ほとんど――ない。
「俺がティアに教えたのは、“
それは、理を曲げ、死を逆行させるほど強大な禁忌の術。
アラフルが息を呑む。
ロヴェは半ば、殺される事も覚悟して目を伏せた。
「カーレンは一人で逝く気だ。ティアはおそらく、それを止める気でいる。死の世界から呼び戻してでも、あいつを救う。俺が――そう、仕向けてしまったから」