Dragon Eye

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第一篇 - 五章 『慰めの歌』

-16- そして彼は辿り着く

「  いま…… なん、て ?」

 呟きはティアには届かなかっただろう。
 カーレンの刃に傷つけられた胸がひどく熱い。

 ――構うな。後は、おまえが消えるだけだ。

 焦れるように頭の中で感情が回る。
 だが、それほど衝撃的な言葉だった気がする。

 紡げ、ロヴェ・ラリアン。終わりの唄を。それで自分のやるべき事は終わるのだから。

 剣が抜かれ、核を破壊された偽体たちが身をよじりながら霧散する。

 急速に遠くなっていく意識の中で。

「お願い! 生きる事を諦めないで! 願って、ロヴェ(父さん)!」

 届くはずがないのに。
 ティアの声はもう一度、ロヴェに届いた。
 だから気付く。
 助けた翡翠のドラゴンと同じように、自分がこの声を望んでいた事に。
 少しだけ悔しかったが、笑えた。
 まさか、最後の最後で、こんな形で本音が出るなんて。
(父さん、ね)
 彼女にとって自分は既に、セルやブレインと同じという訳か。

「――間に合えぇえええええええええ!」
 堪えられないようなアラフルの叫びが聞こえた。



「ねが、い……――俺の……願い、は  」



 血で粘ついた口が、それでも何か形を成そうと、想いをこめて言葉を紡ぐ。

(――ああ。そっか。叶うのか、俺の願い)

 思った時。
 いつの間にか、小さく微笑んでいた。

 なら、詠おう。紡げなかった唄の続きを。
 少女や、あの少年への呪いはまだ残っている。解いてやらなければ、彼らも偽体と共に堕ちて、死んでしまうだろうから。
 腕を持ち上げ、指先を、涙を流すティアへと向ける。

「 我の生きた、軌跡を見せよう―― 」

 目を瞠ってこちらを見ている、一生懸命な一人の少女に。

「 指先を辿って、愛した世界に 愛した子に、教えよう 」

 精一杯の愛を注ごう。


「 世界は まだ――色鮮やかで、あるのだと 」


 この唄は、そういえば自分にも当てはまるな。
 そう今更ながらに思った。

(許されるのなら……そうだな)

 神と呼ばれ、救いを与えたドラゴンは、

(――もう少しだけ、生きてみたかったかもな)

 そうして、ちらりと願ってみてから、





 ――長い、長い、旅を終えた。





□■□■□



 千年のドラゴンが、一つの旅を終える。



 その様子を見上げる男が、セルの眼前に立っていた。
 エルニスが放った炎を剣一本腕一本で叩き潰(つぶ)した凄まじさは、今の彼のどこにも見えない。
 ――今の彼の横顔は、間違いなく、幼い頃のセルが知っていた男の顔だった。

 偽りの優しさと、愛情。
 彼は、本当に誰かに触れる事を知る事はないのだ。
 そう知った時、愕然とした。何もかもを裏切り、背を向けていく彼を見つめ、どうして、と呟いたのだ。こうしている今も、腹の底から叫びたい衝動が喉下まで上がるくらい、強く万感の想いを込めて。

 どうして貴方は、僕を愛してくれなかった。
 世界でたった一人、血の繋がった家族すら、どうして愛そうともしてくれなかったのだ。

 渾身の力でそれを飲み下した。
 言えない。――言っても届かないと、知っていた。

 その時の自分の全てを作ってくれていた世界は、本当は大好きだった、尊敬していた父の裏切りによって、跡形もなく崩れ去った。

『ずっと憎んでいればいい……私の死が見たいのなら』
 決別の寸前に、ルヴァンザムはそう言った。
『憎め。おまえが今まで存在し、おまえを裏切ったこの世界、すなわちこの私を。滅ぼすと決めるぐらいに憎めば――きっと、言葉ぐらい届くさ』
 セルを侮蔑し、彼は薄く(わら)った。

「っ――!」
(何をしている、ルヴァンザム?)

 空を仰ぐ彼の顔に、表情は無い。ひたすらに、自分がかつて殺したドラゴンを見つめている姿が、そう思わせているだけだ。

(僕を、見ろ)

 憎悪が凶悪に牙を剥いた。

(ここにいるんだ――貴方を憎んでいる、僕が!)

「ルヴァンザム!」
 立ち上がる。
 駆け寄って、首筋に鋭く伸ばした爪を押し当てても、ルヴァンザムはこちらに見向きもしなかった。

「――何なんだろうね、あの子って」

 不意に、呆れたように男は口を開く。
「ロヴェよりもあんなに自分の考えに馬鹿正直に生きた人間なんて始めて――いや、二度目か」
 誰に向かって言っているのだろう、とセルは一瞬考えた。
 しかし、ルヴァンザムがこちらをうんざりと見やった。
 疑問は雲散霧消する。代わりに、首に当てている手が震えた。

「本当に、私が苛立つ人間には正直者が多いらしい」

「――っ!」
 
 白い首を鮮血が鮮やかに濡らす。

「ねぇ、『セル』。おまえは私をまだ憎んでいるね? 家が与えた名を捨てて、私が与えた名を名乗っているのだから」
 紫色の瞳に、同じ色を憎悪に彩ったセルの目が映っていた。
 しばらくそのまま見つめ合うと、安心したように彼は微笑んだ。
「なら良かった。同じだ」
 一瞬、何を言われたか分からなかった。
「……同じ、だって?」
 血の気が顔から一気に失せた。
 激怒に白く視界が飛ぶ。
「同じって、何だよ!? あんたが全部そうさせたんだ! 全部こうなるように仕向けたんだ! 何もかもぐちゃぐちゃにして、皆を傷つけて、何がしたいかも分からないあんたなんかと一緒にするなよ!」
 どんな罵詈雑言も彼に向けるには足りない。
 だが、否定してやる。
 自分を嘲って堕として、世界が虚構だと突きつけて嗤ったこいつを。

 絶望なんて無意味なんだと。愛が分からないなんて、嘘なのだと。

 本来ならば場違いなくらい明るく聞こえるはずの言葉を、黒い感情で汚し尽くしてセルは叫んだ。

「そんなに世界が壊したいなら、僕があんたを壊してやる! あんたの世界を壊して、僕らの世界を守って、みんなで笑ってやる! あんたなんか無駄な存在だったんだって証明してやるさ!」

「――そうだね」
 くす、とルヴァンザムは微笑んだ。

「ほら、同じじゃないか。私だって、私にしか見えない世界を壊したいんだ――だって、本当に要らないのなら、どうして自分は生きてるんだって、そう思うだろう? だからおまえに名を与えたんだよ」

 とん

 額を指先で突かれ、セルは目を見開いた。
 触れた先に展開されていたのは、魔術。

「そうだろう? セル・ティメルク。おまえに、意味がないはずがない」

「っ、ぐぁ――っ!?」
 額に衝撃を受けて、頭からセルは吹き飛ばされた。
 その中で、セルは呆然と、ルヴァンザムの姿を目に焼き付けた。

 それじゃ また

 唇が動いて、確かにそう『言っている』のが見えた。
 殺そうとして突き飛ばしたのではない。
 ――殺されると分かったから、セルを逃がしたのだ。

 叫びが聞こえた。

 誰よりも、何よりも。
 暗く重く、絶望に塗り潰された、失意の慟哭。


 大きく、重すぎた彼の負の感情に、染められそうになった。


□■□■□

 身体のどこをどんなに強く掻きむしっても、想いを逃がす事などできなかった。

 苦しい。
 息が、できない。
 涙を忘れたかのように、極限に目は開かれて乾いていた。

 ただ意味のない叫びだけが、内で底知れぬ何かを弾けさせていた。


「――ァああああああああああああああああああああああぁああアアあぁああああああああああああああああああああああぁぁああああああああぁぁああぁあああ――っ!」

 この喉など、張り裂けて血を噴いてしまえば良いのだとカーレンは思った。
 命さえ失くしてしまえたならば、どんなに楽なのだろう、とも。

 だが、できない。

 生きて、と願った少女がいたから。

「――は、ははは」

 失った。
 自分が救いたかった人を救うために。
 家族の願いを、叶えるために。

 ――生きて欲しい、そうかつて願った人を、
 生きろ、と願ってくれた人を、

 殺してしまった。

「ふ、は、ぁはは、はははははははははは――ッ!」

 もうおしまいだ。
 彼女が居たって、他の誰が居たって同じだろう。

 自分はその手で少女を救った代わりに、愛した父をその手で殺したのだから。

 哂いながら、片手で顔を覆い、世界を見下ろす。

「――おまえが、いたからだ」

 睨み据えた。

「――おまえの、せいだ」

 全ての始まりを作った、敵を。

「殺してやる――おまえを、殺してやる!」

 軋んでいた胸の奥が、砕けて、崩れ落ちた。

「 ルヴァンザム――! 」

□■□■□

 辺りが黒銀の閃光に包まれていく中で、セルは知った。
 彼は――漆黒の色を纏う旅人は、とうとう、暗き道の最果てに至ってしまったのだと。

 宙で一回転した末に、背中から地面に叩きつけられる。

 銀の光の中へと彼が溶けていく映像が、脳裏で何度も繰り返された。
 意識が暗転する前に、セルはその事実を認識したが、信じきれずにいた。
 何かの冗談だろう? 
 あんなにあっさりと逝く訳がない。


父さん(ルヴァンザム)が――死ぬなんて。有り得ない)


 思っても、事実は変わらなかった。
 これが夢だったら良いのに。
 あまりに信じられない出来事に、そんな風に、自分の感情とは全く真逆の事を願っていた。

□■□■□

 足りない。
 彼一人を殺しただけでは、まだ、自分の穴が埋まらない。

 壊してやる。

 滅ぼしてやる、何もかも。
 全部、全部、全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部!

「壊れろっ――壊れろ、壊れろ、壊れろぉおおおおおおおおおおっ!」

 がむしゃらに腕を振り回す。

 それだけで、周りに存在していた全てが、でたらめな速度で吹き飛ばされた。
 大地を覆っていた石をことごとく巻き上げて、睨み据えた片っ端から、それは自らの存在を滅ぼして消えた。
 極めて暴力的な喪失に、空白が満たされようと望む。
 空白だけでなく、カーレンは自らの手で世界を歪めて傷つけた。
 もう、いくらもしない内に崩壊が始まる。

 このまま行けば、全てなくなるのだ。

 安息にも似た終わりを間近に感じて、カーレンは狂気と安堵の笑みを浮かべる。
 ああ、そうだ。
 消してしまえ。

 死ぬ事が許されないのなら、
 全部、消してしまえばいいのだ。

 だが、

「――カーレン」

 一人の少女の声が、カーレンの全てを止めた。

 いつかのように、空から漆黒の少女が落ちてきた。

 思わず腕を伸ばしてしまった。
 望んだ自分の下に零れ落ちるように、少女の身体はカーレンの腕の中へとすっぽりと収まった。
 黒い髪も、自分を見つめる黒に濡れた瞳も、いつも通り。
 破滅を秘めたカーレンのドラゴンアイに見据えられても、全く彼女が動じる事はなかった。

「会いにきたわ。夢の中の、約束の通りに」

 懐かしい響き。幼い時の口調を真似て、ティアが優しく囁いた。
 すっと頬を彼女の腕が掠める。

 ――駄目だ。
 壊すと決めたんだろう。
 この少女すら、邪魔なのだ。殺してしまえ。

 内なる囁きに、カーレンの指がひくりと動く。

「ただいま」

 純粋で真っ直ぐな想いに、凶暴な衝動は気付けばどこにも見当たらなくなっていた。

「やっと、また、会え た――」

 すっと、少女の声が消え入るように細くなった。
 自分の魔力は、彼女を想像以上に痛めつけていたのかもしれない。
 ティアも疲れていたのだろう。自分も……疲れた。
 二人の身体から、全ての力が抜けていった。

 このままでは墜落する。死ぬほどの気だるさの中、あそこがいい、と念じて移動した。

 湖の岸にぱしゃりと水を跳ねて着地し、その場にティアを抱き締めたまま崩れ落ちた。

 絶望は未だに消えてはいない。
 最果てに至ってしまったのだ。
 もう、自分は戻れない。

「――おかえり」

 それでもカーレンは横たわったままで呟いた。
 頬を温かく濡らしたものが砂地に落ちて、じわりと染みこんで消えていく。

 ――無理だ。
 この温もりを失う事は、絶対にできない。

 悟ったカーレンは、今だけは、大人しく自分の中の感情に従った。
 ようやく戻ってきた寵姫の額に、密かに口付ける。
 そして瞼を落とし、自分が抱いた感情と共に、闇の中で全てを封じた。


 これから向かう、一つの道を進むには――想いも、生も、無駄なものだと知ったから。


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