Dragon Eye

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第一篇 - 五章 『慰めの歌』

-15- あなたに、もう一度

 とっくに限界が来ていても良いはずだった。
 無理矢理にあちこちを繋ぎ合わせた身体は、もうどうやって動かしているのかも分からない。それでも何かに突き動かされて、エルニスは空を翔けていた。
 カーレンとルヴァンザム、そしてティアを交えた戦いは、止まる所を知らないように、地上すらも巻き込んで更に拡大している。既にエルニス自身もその場に身を投じているようなものだった。
 さて、誰から止めるか。
 一瞬滞空したが、気配を感じてすぐにその場を離れる。
 間髪入れずに背後を閃光が通り抜けた。
(前言撤回……誰から止めるじゃないな。状況に合わせて手当たり次第か)
 新しい魔力を軽く全身に巡らせる。途端に、大気がエルニスの放つ熱で揺らめいた。
 慣れないはずの力の勝手は身体が知っているらしい。
 迷う事なく直感と閃きに従い、腹に息を溜めた。吐くのと時を同じくして、体表より魔力を全域に展開する。
(悪いな、ティア……ちっと熱いぞ)
 夜空に描くのは解放と蹂躙。

「 ――炎華 」

 短い言葉と共に。エルニスを中心に、轟、と翡翠と蒼の巨大な炎の渦が広がる。
 ただし、攻撃ではなく牽制と誇示のためのものだ。
 それに反応し、渦を切り裂いてやって来る者を待っていた。
(っ来たか!)
 業火の向こうからカーレンが飛び出してきた。
 彼はこちらへと瞬時に肉迫し、手の黒剣を振り下ろす。
 それを炎の腕で受け止めると、鈍い音と衝撃が走った。

「……懲りないな。何度邪魔をする気だ」

 降ってきた言葉にエルニスは相手を睨みつける。
「あのなぁ、カーレン……おまえの邪魔をしに来たつもりは微塵もないぞ」
「なら、なぜ」
「暴走するおまえを止めに来たんだよ。それぐらい分かりやがれ。おまえのせいで、ティアの奴が今も苦しんだままなんだろうが!」
 圧力を増した剣を跳ね返す。
 腕を振って熱波を放ち、すぐに横へと飛び退いた。
 エルニスが居た場所を別の剣が空振りして大気を斬る。
 また面倒な相手が増えたようだ。不意を打ったのが誰なのか、知って舌打ちする。
 カーレンに続いて現れたルヴァンザムを肩越しに見据え、エルニスは低く宣言した。

「ついでだ。……おまえも消し炭にしてやる」

「おやおや」
 怖いね、と彼は肩をすくめた。
「別に私としては、このまま彼女が死んでくれても構わないけれどね」
「……余計な事を喋るくらいなら、そんな口は閉じておいた方が良かっただろうな――!」
 言うが早いか、両腕を広げていた。
 再度迫ってきたカーレンと、剣を構えたルヴァンザムに手の平を差し向けた。
 身を屈め、低く囁く。

「 周縁より弾けよ! 」

 爆炎が球を描いていく中、一人飛び上がって炎の壁を抜けた。
 上昇はすぐに急降下へ転じ、エルニスは更にルヴァンザムへ迫る。
 一閃された刃を紙一重でかわし、身を翻して天へと大量に火を噴き出す。
 途端に青空が夜をかき消した。広がる炎が産声を上げ、星の子が幾千幾万に空を裂く。万は千に、千は百になって、いくつもの巨大な流星が墜ちていく。
 桁外れの大きさのそれらを見て、相手が吐いたのは溜息だった。
「この程度で死ぬと思うかい?」
「当然、思っちゃいない」
 この男がどれだけ強いか、既に思い知っている。

「叩き落とせたら十分」
「なるほどね」

 エルニスの答えも彼の反応も端的だった。
 やがて星は最後に一つとなった。流星郡の集合した様子は、小さな太陽さながら。
 墜ちる速さは果たしてどちらが上だろうか。
 分かりきっている勝負に興味はないらしく、人の形をした化け物はただ重力に従う。

「面倒だね」

 それだけを呟いて。
 ルヴァンザムは剣を振るい、炎の中核に真正面から挑んでいった。

 そして、空色が音も光も全てを掻き消した。

 一つ遅れて衝撃がきた。
 避けられないと分かっていたのか、後ろにいたカーレンはまともに抵抗もしない。そのまま吹き飛ばされていた。
 エルニスも彼同様に逆らわない。自分が起こした壮絶な余波を利用して高く飛躍し、先ほどから躊躇うように宙に留まるドラゴンの下に舞い降りていった。
 その間にもまだ炎は収まってはいなかったものの、そのために轟音に声を張り上げる事はなかった。
 エルニスは傍観者に向かって静かに呼びかけた。

「で? 戦いは一応仕切ったぞ。どうするんだよ、これから」
「――ふん」
 背後からは笑い声。
「焦るなよ。ちゃんとこれから救ってやるさ」

 さっと脇を紅い髪がかすめる。
 エルニスが何かを言う暇も与えない。
 ロヴェ・ラリアンは、闇のドラゴンへ無造作に近付いた。

「ほら、おまえら。――くれてやるよ」

 何という事もないようにさらりと口にし、腕を差し伸べる。


 ドッ、と、次の瞬間に聞こえた鈍い音に、エルニスは目を限界まで見開いた。


「……ロ、ヴェ」
 ラリアン、という音は、あまりの驚愕に喉の奥に消えた。
「あー、――やっぱり、こうなるのな」
 まるで、最初から予想していたかのような口調だった。
「見ての通りだよ。偽体はみんなそうだ――核が俺に戻りたくて、俺を取り戻したいって叫んでるのは、もうずっと聞こえていた。分かってたんだ。こいつらに一言こう言いさえすれば、」
 諦めたように力なく。呆然とする少女を腕に抱き、彼は笑う。
「ティアから離れて、俺に還るって。こんな風にな」
 彼の全身を黒い影が貫いていた。
 無理をして笑っているのではない。痛みをどこかに置き忘れたような表情。下手をすれば安心したような、そんな笑い方だった。
 ドラゴンを成していた偽体たちがロヴェを飲みこんでいく様を、エルニスは愕然と見つめていた。

「安心しろ。こいつらはもともと俺のせいで生み出されてしまったモノだ……連れて行く」

 その言葉が何を意味するのかを理解する前に、
「駄目――ロヴェ!」

 少女が、彼の腕の中で手を伸ばしていた。

□■□■□

 気付いた時には、偽体のドラゴンの全身を空色の炎が包んでいた。
 ぎょっとして炎から逃れたものの、その後からが更にまずかった。

 シリエルに精神を守られ、侵蝕できなくなった事を知った偽体たちがティアに直接襲いかかってきた。

 力を搾取される状態で必死に抗い、気を抜けば戦っているエルニスやカーレンに危害を加えそうになるのをありったけの意思で押さえつけるのが精一杯。
 短いようで長い攻防戦の果てに、気付けばエルニスとロヴェがティアの前に降り立っていた。
『くれてやる』とロヴェが言った後から始まった事には、本当にぞっとした。
 まさかあんな一言だけで、偽体らが彼を取り込もうとするなどとは夢にも思っていなかったのだから。


「駄目――ロヴェ! あなたが死ぬなら、私は約束を守れない!」

 ロヴェに迫る黒い触手を必死に振り払って、ティアは叫ぶ。
「……俺はいいんだよ」
 こちらの想いも知らず、彼はティアの頭を撫でて微笑んだ。
「どうせ死ぬはずだった存在だ。けれどおまえは別だろう、ティア。カーレンと生きてくれさえすればいい。父親を再び失っても、それがあいつの心を守る」
「違う……違う、ロヴェ!」
 首を振った。
 そうじゃない。そうではないのに。
「『どうせ死ぬ』なんて、そんな言葉はあなたの本当の言葉じゃないでしょう!?」
 必死にロヴェを否定する言葉を探した。
「死ぬと思って全部諦めていたら、あなたがここにいる理由がないじゃないの! あなたはカーレンを助けたくて今まで生きてきたんでしょう!? 今だって彼に生きて欲しいからここにいるんでしょう!」
 まだ、これからではないか。
「おかしいじゃない!」
 彼の胸に渾身の力で拳を叩きつけた。
「死にたいって思っていたなら何でここにいるの! 救いたいって思いながらどうして死のうとするの! 想いを遺すために生きてきたんだって言っておきながら、じゃああなたはどうして泣いたの!?」
 何も言い返さずに黙って闇に侵されていく彼を泣きながら睨む。

「本当は生きたいんじゃない! 叶うなら、ずっとこの先を見てみたいんでしょ!?」

 だというのに諦めて死ぬなど、それは絶対に許さない。
 ティアが諦めないと決めたのに、彼が諦めるなんて絶対に認めない。
 自分勝手で傲慢な考えだ。同じように自分に都合の良いようにティアを利用とした彼とどこが違う。

「あなたが本当に誰にも嘆いて欲しくないなら、誰もを救ってあげたいんなら、死ぬなんて間違ってるわよ!」
「……それだけか?」

 しかし、初めてロヴェが返した言葉はそんなものだった。

 言葉を詰まらせたティアに、彼は冷たく優しい目を向ける。
「足りない。ティア」
 冷え切った声だった。
「それじゃ、到底俺を踏みとどまらせるには足りない。俺を生かしたいと思うなら、それ相応の理由を持ってこい。おまえが今言った感情の全てを承知して、それでもこうする事を俺は選んだんだ」
 今まで一度も向けられた事のなかった威圧感が、ティアに重く圧しかかる。
 ――分かってくれた上での否定。
 こみ上げた悔しさに、目元にも腹にも更に熱い感情が溢れてきて、
「っ――」
 敢えなく決壊した。


 ごん 


 痛々しい音が響く。


「……だから?」
 ティアは意識して、思い切り白い目でロヴェを睨み据えた。

「それがどうしたっていうのよ、馬鹿。あるわよ、理由ぐらい! 理由がなくても止めるに決まってるわよ!」
 唖然とするロヴェの頬には拳をめり込ませたまま。
 腕が震えたのは、きっと痛みだけじゃない。
「あなたが死んだらカーレンを死なせるって分かってるのに、みすみす見逃して逝かせるもんですか! 守るって決めるぐらいだったらその命だって守ってやるわよ! カーレンの心を守るって約束したからあなたを逝かせないって決めたのよ! ティア・フレイスを舐めるんじゃないわよ、馬鹿!」
 途中から何を言っているのか自分でも良く分からなかった。
 しかし感情の奔流は止まらない。
 ほとんどロヴェは偽体に首の辺りまで取り込まれている。
 それでも黒い闇に弾き飛ばされながらティアは怒鳴った。

「あなたが何をどう決めたって知るかっていうのよ! 助けるって決めたんだから! 絶対、あなたを死なせたりしない!」

「――よく言った、ティア・フレイス!」

 落ちかけたティアを、そう叫んで誰かがすくい上げた。
 目を見開いて見上げると、知った顔があった。
「アラフル!」
「うむ」
 ティアが名を呼ぶと、彼は頷いた。
 その肩には、白黒二匹の小さな獣が乗っていた。
『いやぁ、見ていて清々しました。実に気持ちよくぶちかましましたね』
『あの阿呆にくれてやるには勿体ないほど良い拳だったな』
 ルティスが飄々とした表情で告げ、シリエルは何ともいえない評価を下す。
「ティア」
 呼ばれて、ティアはアラフルと目を合わせた。
 なぜか全身が濡れていた彼は、水を髪から滴らせたまま獰猛に笑った。
「シリエルから聞いた。起こせるな、幽幻の奇跡」
「……ええ」
『主――おまえが言ったように、機は一瞬だけだ。その一瞬を逃せば、二度と奴は戻らんぞ』
「分かってる」
 毅然と顎を上げ、ロヴェを見据えた。
 疲弊はしていたが、それでもやらない訳にはいかない。
 唯一、闇の中で見出した光を――シリエルから通じてもらった、幽幻の奇跡を、心に灯す。
 幻は夢。
 夢は願い。
 願いは、心と同じ。
 なら、全てを繋いだ今なら。彼が心の力を持って望むなら、きっと声も、力も届くはず。

「ティア! 何してるか知らないが、さっさとしてくれ……もういくらも俺はもたせられないぞ!」

 エルニスの怒鳴り声がした。ロヴェとの話をしている間もずっとカーレンを抑え続けていたようだ。
 だが、見たところ限界に近い。
「間に合うか」
 アラフルが代わりにシリエルに訊ねる。
『……奇跡と現実が重なってどのような結果をもたらすのかは、さすがに分からん』
 会話が聞こえたのはそこまでだった。

 一つだけ、また小さな決意を秘めた。
 望もう、心のままに、と。

「……ロヴェ。あなたの本当の心を見せて」

 呟いた瞬間。
 ティアの世界から音が失せ、色が失せた。
 残っているのは、自分の黒髪と、彼の紅い色と、金色に輝く瞳だけ。ひょっとしたら、自分の銀に輝く瞳も同じように色を残しているのかもしれないが。
 けれど、色が失せていった代わりに、誰かが内に秘めている願いも、やはり誰が見るよりも鮮明に見えた。
 ただひたすらに、ロヴェの目を見る。
 ひた隠しにされてきた願いを、引きずり出すために。

「私があなたの光を願う……! 私が、あなたが歩こうとした道を歩いていくから!」

 二つの光が閃いた。
 エルニスの攻撃をかいくぐって、カーレンがロヴェへと迫る。

 その時、光に混じって彼の瞳が一瞬だけ揺らいだ。
 気をつけないと分からないほど隠された、とても小さな願いが見えた。
 左の胸。命にも等しい、真紅に輝く美しい光。
(見つけた……!)
 届くかどうかも分からなかった。
 それでも手を伸ばした。
 光が引き寄せられる。
 あと少し。
 あと、もうちょっと。
 この願いだけは――必ず叶えてみせる。

 だからこの時だけで良い、もう少しだけ時間を下さい。
 彼が、最後に希望と、奇跡を掴めるだけの時間を。
 もう、大切な誰かの命を失う、そんな恐怖は、誰も味わいたくなんてないだろうから。

 誰にとも分からずに、願った。


「最後にもう一度願って、ロヴェ! あなたが本当に願った道を歩けますようにって! だからっ!」

 はっと、目を見開いた。
 ――音が戻った。

「父さん」

 静かな呟きが聞こえた。
 気付けば、カーレンがロヴェに刃を向けている。

「貴方を愛している……だから、」

 だから……。

 願いは、ついにティアの手に収まった。

 そう、だから。

「――生きて!」
「――死んでくれ」


 相反する二つの言葉。
 構わずにティアはもう一つの言葉を叫んだ。
 もしも願いが叶うなら、彼にあげたかった一つの言葉を。

 ティアの言葉に、ロヴェが目を見開いて顔を上げたのと、
 カーレンの黒剣が彼の心臓を貫いたのは、

 ――同時だった。


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