Dragon Eye

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第一篇 - 五章 『慰めの歌』

-10- 覇王の逆鱗

 ――その塔は、かつて燃えた事がある。
『何を考えてる? エル』
 記憶の中で、見慣れた顔が、夕焼けか炎か、それとも血か――どれとも分からない真紅に染まりながら、笑顔を形作る。
 本心からではない。それは偽りの顔だった。
 何故ならば、彼も自分も窮地に追い込まれていたから。死がすぐ隣にある状態で心から笑えるなどと、それはもう死に際でしか在りえない。
 炎の中に立つ自分を、ドラゴンを憎む人間たちは、救世主を信じる愚か者は、聖なる人だと、こんな情けない自分を信じた。
 そうだ。情けない。
 こうして目の前に立たれるまで、お互いがすれ違って、決定的な亀裂が生じていた事にも気付かなかったのだから。
 そして、それは相手も同じだったのだろう。
 当然といえば当然の結果。
 よく知る相手。親友の性格など、とうの昔に知り尽くしている。二人の間に隠し事はなくても、お互いに言わなかった事は暗黙の了解という事。
 つまり、片方がそろそろだと頃合を見たなら、もう片方もそれを察して無意識に動く。
 その意味では、息がぴったりと合っていたのかもしれない。
 逆に、本当に息が合っていれば、殺し合う事もなかったな、とその時自分は思った。
『くだらない事を、考えていた』
 五百年も前の話だ。
 今頃になってどうしてこんな話を思い出しているのかは、よく分からない。けれども、殺し合いはそれから始まった。
『さよならをしよう、ロヴェ。私とおまえは、きっともう分かり合えないようだから』
 それは悲しい事なのだろう。感情が薄い自分でもそう思えた。
『ああ』
 記憶の中で、友は頷く。大切な、最愛の、最高の、無二の、世界を共に生きてきた親友のドラゴンが。
『さよならだ』
 自分にはっきりと別れを告げた。

 それが終わりの瞬間(とき)だった。

 肩に刺突を受けて、塔から落ちていく友は、笑っていた。いつまでも自分を見つめていた。
 愛していると、笑っていた。
 自分は燃え盛る塔から、古代湖の上を滑り、飛び去っていくドラゴンを眺めていた。
 金色の姿は、宵の明星と同じように、最後に小さく光ってから夜空に溶ける。
 日が落ちかけ、今日という日の最期の光を投げかけた時。
 誰かが言った。
『燃える塔においてでも、あなたこそがこの場に居る我らの主でございます――ラーニシェス様』

『炎塔。我らは、この塔のようにそう名乗りましょう。あなたが塔の主として我らという礎の上に立ち、また彼のドラゴンと剣を交わる時が来るように』

 この組織の役目など、当の昔に終わっていた。
 あの日に、彼を殺した日から。
 だが彼は死ななかった。死ぬ事を放棄してまで、自分よりも執着したものがあった。
 羨ましいし、妬ましいし、けれども殺せばいいと剣を振るい――。

 思わぬ、反撃を受けた。

□■□■□

「どこに行っていたかと思えば、子供のところだったか」
 聞かれて、ロヴェは立ち止まった。
 いつかのような感覚を覚えて、振り返ると、そこにはルヴァンザムが立っていた。
「別の塔にわざわざ出口を繋げ変えたという事は、ここに私が来るのを知っていたね?」
「俺とおまえの、曰くつきの塔だからな。できれば自由になった途端に、踏ませたくはないさ」
 一度、口を閉じてから、ロヴェは小さく呟いた。
「……ここに戻ってきてから。この『炎塔』に、俺だって一度も足を運んだ事はなかった」
「今日、この日まではね」
 昔を思い出すように目を閉じながら、ルヴァンザムはこちらにやってきた。
「本当に、私も意外だったよ。昔を懐かしんで行くかと思えば、三百年、全く一度も近寄らなかったしね。そもそも、ディレイアから離れたおまえが北大陸の森でどれだけの時間を過ごしたかな……当時の子の見た目からして、十年足らずといった所か。ブレインをやけに気に入っていたが、それもあったのだろう?」
 首を傾げ、彼は問いかける。

「未だにアレに執着しているのか。ロヴェ・ラリアン」

「……執着?」
 繰り返して、ロヴェは口元に笑みを刻んだ。
「いいや。俺は、巻き込むのは忍びないと、そう思ったのさ。俺とおまえの争いに、あいつを関わらせてはいけないと」
「だが、関わってしまった」
「ああ。そうだな」
 頷いた。
 閉じた瞳を、ルヴァンザムは開いた。
 そこには金の輝きがある。
 ティアは突然の事に驚いて気付かなかったようだが、その中にある複雑な色の輝きは、闇の中であっても炎のように煌いていた。
 自分のドラゴンアイは、違う。
 金の輝きは失われて色褪せた。始めからそこに現れてはいても、力を強めなければならないほど、その世界への影響力は無いに等しい。
 当然だ。それと同等の価値があるものと引き換えに、自分はそれを手放したのだから。
「なぁ……おまえ、何が欲しい?」
 その目を見つめながら、ロヴェは静かに訊ねた。
「俺の命でもなく、あいつの力でもなく、ティアなんかの力を欲して、その先に何を求めてる。いや……そうじゃないな」
 ロヴェは首を振った。
 問いに答えは求めていない。既にそれは自分の中にあった。
「全部が欲しいんだ。触れられなかったから、だから全部を壊したいんだろう」
「……ふふ」
 沈黙していたルヴァンザムは、突然、声を上げて笑った。
「あは、は」
 何がおかしいのかと、そんな風に眉を潜める事は、しない。
 理由など始めから分かっていた。

 既に彼の手には、“壊したモノ”(ティア・フレイス)があったのだから。

「ははははははははははははっ!」
 ぐったりと動かない少女を片手に抱え、狂ったまま彼は笑う。
 身体を二つに折ったかと思えば、仰け反るようにして天を仰ぎ。そのまま彼は止まった。自由な方の手で、顔を覆う。
「――ああ、そうさ。壊せばいい。世界が、馬鹿な他の奴らが私を求めた。“あの地獄”の時代の膿にした! なら、奴らにはそれ相応のツケを支払ってもらおうじゃないか!」
 狂気と憎しみに顔を歪め、ルヴァンザムはロヴェを睨みつける。
 その顔に、凄絶な笑みが浮かんだ。
「まずは、おまえから……!」
 心底からの楽しそうな呟き。
「三百年前に、全てを奪ったと思ったのに……まだおまえから奪いきれない。今度こそ、おまえの全てを壊しつくそう、ロヴェ。おまえを終わらせてあげよう」
「……そうだな」
 相対するロヴェは、一瞬でも表情を変化させる事はなかった。
 たった一つ、頷いた。

「もうすぐ終わる。俺も、おまえも」

 ルヴァンザムの背後に現れた、巨大な黒い影を見上げながら。
 それは、偽体だった。影の向こうで、いくつもの顔が、腕が、足が蠢くのが見えた。
 影の中心には、少年が――ブレイン・オージオがいる。
 両手両足を黒い闇の中に溶け込ませ、影と一体化している彼は、もう人間と呼べるほどの正気を宿しているかどうか。かつて見たレダンの寵姫の狂い果てた姿と、それは全く同じだった。
 ブレインが両腕を前へと差し伸べる。だらりと腕から黒い死の糸が垂れていった。
 ルヴァンザムがティアの身体を宙へ浮かべると、糸は彼女の四肢を絡めとっていく。
「だから、」
 偽体が少女に触れた瞬間、自分の肌にも感じるほどの莫大な力が、影の中に満ちる。
 そうして、それが取った形は一つ。

 ――救うのは、自分ではない。

 それができないと知っているから。

「俺はおまえにもう一度、別れを告げよう。さよならだ――エル」

 ロヴェは、寂しげにそう笑ってみせた。

 ――絶望に狂いそうだと感じる事は、もうなくなった。
 彼が先に狂ってしまったから、自分は狂えなくなった。
 この身体になるまでも、なってからも。生きる事が何なのか。ずっとそれを考え続けてきた。
 必死に生きていると感じる者たちの生き様を、見続けてきた。
 思う事は一つだけだ。
 目の前に佇む死のドラゴンを前にして、ロヴェは小さく詠っていた。

「 ――我の生きた軌跡を見せよう 」
 終焉をもたらすドラゴンの翼が広げられ、

「 指先を辿って 愛した世界に 」
 災厄を吐き出す口が開かれ、牙を剥く。

「 愛した子に 教えよう 」
 そして、破壊の爪を持つ五本の指が、自分に向かって広がっていった。

「 世界は、まだ―― 」

 言葉が終わる前に。
 ドラゴンの前足が振り下ろされる。
 幾枚かの黄金の鱗が、散らされた花の花びらのように、音もなく舞い散っていった。
 殺したはずのロヴェが分身であったと知ったソレは、天を引き裂かんばかりの金切り声で悲鳴を上げた。

 死してなお、安らぐ事のできぬ苦しみに喘ぐように。

□■□■□

 助けて。
 誰か、助けて。お願い――この子を救わなくちゃいけないの。

 狂いの中から、悲鳴の中から、そんな言葉が聞こえてくる。
 ティアの力に満たされ、死を振りまくドラゴンでも人でもない化け物。
 見つめながら、カーレンは呟いた。
「汚らわしいな――その姿」
 そんな中に捕らわれているのは――自分の大切なモノなのだ。
「返せ、ルヴァンザム」
 取り戻すのではない。奪い返してやろう。
「それは、私のモノだ……!」
 自分を縛るこの封印が、今はこれほどまでに煩わしい。最も活性化し、肌に現れている紋様は、鱗から生み出した黒衣の隙間からはっきりと覗いていた。
「――返さないというのなら。私の寵姫を、ティアをなおも汚すのならば」
 傷の激痛などは、既に遠い意識の果てへと葬り去っている。
 殻を突き破ろうと、身の内で炎より熱く、灼熱に滾る力が暴れるに任せる。
 凶暴な感情が、自分の全てを支配していた。

「その全て……滅ぼし尽くす」

 死の宣告を、甘く囁いた。
 肌から紋様が離れ、球状にカーレンを包むように展開した。なおも自分を縛ろうとするのか、ギリギリと震える漆黒の封印を、カーレンは冷めた目で一瞥する。

「邪魔だ」

 一言。
 鋭く尖らせた爪で引き裂いて、カーレンは封印を破った。
 すぐさま、解放されて暴発しようとする力を意思で抑えつけ、掌握する。

「 殲滅を始める――その名は滅び。<覇王(ドラゴン)>よ、覚醒せよ(めざめろ) 」

 ――おまえたちは、触れてはならないものに触れた。

 そこにあるのは、理性ではない。ドラゴンとしてのそれも、欠片もない。
 あるのはただ一つの激情。
 それは、憤怒。
 逆鱗に触れられ、力でなく心を暴走させて。
 凍えるほどの銀を纏い、覇王は、往く。

□■□■□

「ねぇ、誰がこんな事したの?」
 身体に残っていた妙な模様をさして、幼い少女は言った。夏の短い衣服の袖は、どうやら術の痕を隠してはくれなかったらしい。
 聞かれた少年は、きょとんとしてそれに答えた。
「僕の父さんだよ」
「でも、これって魔術でしょう?」
「うん。僕、生まれた時から身体が弱いんだって。だからお父さんに治してもらってるんだ」

「……それ、血を使うの?」

 おそるおそる。少女は少し怯えたように身を引いた。
 屋敷の中庭に置かれた椅子は小さい。大人が一人座れる程度の大きさに、こうして二人で窮屈そうにしているのに、そんな事をしなければならないほど怖がらせてしまったのが何なのか、まだ理解はできていなかった。
「あれ? おかしいな、ちゃんと湯浴みはしたんだけど」
「だって、赤い」
 見えにくい腕の裏側を指されて、少し無理をして見てみると、確かに赤い小さな文字があった。傷のように見えるが、実際に触ると、確かにそのようだった。
「おかしいよ、シウォン。何でそんなに平気なの? シウォンのお父さんが魔術師だって聞いた事ないよ。魔術で身体を治すって、聞いた事ないよ。お医者様でもないんでしょう?」
 少女の瞳は揺れて、混乱するように激しく瞬きを繰り返す。
 指摘されて初めて、自分は、これはおかしい事なのだ、と知った。
「大丈夫だよ、サシャ」
 だが、少年は微笑んだ。おかしいと思えても、まずは少女を安心させようと思った。
「もうすぐ終わるんだって。だから、それが終わったら、ちょっとおかしくたってもう大丈夫だよ」
 初めてであるはずの嘘なのに、なぜか初めてという気がしない。
 彼女に嘘を吐いた時の感覚は、どこか、誰かを前にした時の感覚と似ている。
 父である彼を前にした時だ。
 彼のそばにいると、いつも、不思議と後ろめたい気持ちに襲われる。
 それでも振り向いて笑いかけられたら、安心して、心から安らかな気持ちになれる。駆け寄って抱きつくと、困ったような顔をされるのは毎度の事だ。
「もうすぐって、どれくらい?」
「うーん……あと、一ヶ月、かなぁ」
 そして内心、短すぎる、と思ってしまった事に首を傾げた。
(あれ……? 何で?)

 ぼんやりとした疑念は、そろそろお時間ですよ、との声にかき消された。


 ――どうして、だろう。

 一ヶ月と答えたその期間が、この少女と笑っていられるために残された、最後の時間のように思えた。
 予感なのか。それとも、心のどこかでは本当の事を知っていて、拒絶して分からない振りをしていたのか。


(どっちだったか、未だに僕は分かっていない)
 だが、事実、一ヵ月後に『あれ』は起こった。バンクアリフの蹂躙。レダンが初めて自分で滅ぼした、あの里で。
(僕のせいだ)
 口の中で呟く。
(僕があんなものになったから)
 ルヴァンザムは彼に告げた。『シウォンが解放されるのは、このバンクアリフが完膚無く焼き尽くされた時』と。
 まだ自分というものをよく理解せず、考える事に慣れていなかった彼は、その場で一番単純明快な手段をとった。セルの代わりに、バンクアリフの全てを殺した。
 ドラゴンをドラゴンが殺しにきた、その恐怖に、相手の顔も引きつっていたし、レダンの顔も歪んでいた。
 あの時の彼にとって、セル以外は何も要らなかった。だが、要らないからといって、操られずに初めて自分で殺した時、自らにおぞましさを感じたのだとしても、無理からぬ事かもしれない。
 レダンは束縛に抵抗するようになった。初めて彼に自己主張というものが生まれた、そのきっかけとなったのがあの日だったということには、皮肉を感じずにはいられない。
 そして今、自分の妹が、自分と同じ危険に晒されようとしている。
 カーレンの力がどれほどなのか、セルには分からない。しかし、彼に封印を施したのがセルの予想通りの人物であっても、結局彼の力は抑え切れなかった。現にエルニスの妹、ユイの死によって、彼を縛る枷は一度、壊れかけている。
(……そして、七年前のセイラックでも)
 レダンとカーレンをセイラックから逃がしたのは、他でもないこの自分だった。カーレンの元にラヴファロウを呼んだのは偶然に過ぎなかったが、それがセルにできる限界だった。ドラゴンという強大な存在を二人、海を越えて移動させた代償はあまりに大きく、その後七年、何も手出しができずに指を咥えてただ静観しているしかなかったのだから。
 だが、セルがしたのはそれだけだ。カーレンが命を繋ぎとめた事自体、実は驚いていた。ポウノクロスで封印の存在を知って、ようやく納得がいったのだ。
 死に瀕した彼の中で、封印されていなかった魔力はティアを守り逃がすために使われ、枯渇していた。だが、それでもまだカーレンが生きていたのは、魔力自体は十分に残されていた事を身体が知っていたからだろう。封印を無視して、無理矢理にでも魔力と生命力を引きずり出していたからに違いない。
 しかし、二度も強引に封印を破った事によって、劇薬を使ってまで騙し騙しで戦わなければならないほど、カーレン自身の魔力は余計に不安定になっていった。長争いであれだけ戦えたのも、本当に幸運としか言いようがないほどひどい状態だったはずだ。
 そこに来て、極め付けにルヴァンザムからの『あれ』である。不幸中の幸いか、駄目押しとばかりに、魔術は身体だけでなく封印にも致命的な痛手を与え、結果として再びその驚異的な生命力によって彼は生き延びた。ああ、あれは死んだと、セルがそう絶望したほどであったのに。
 もし、意識がろくに戻らぬまま目覚めたらと思うとぞっとしない。下手な魔力の増大は、力だけでなく精神の暴走を引き起こす。
 ティアを救い出すだけでも難しいというのに、この上彼が見境なく暴れ出したら、もう敵も味方もなくなる。終わった後に自分に命があるかどうかも怪しいものだ。
 焦燥と危惧に苛まれつつ、空を飛び続けていたセルの目に、灰色の懐かしい景色が飛び込んできた。
『見えた……』
 声がドラゴンの身体の中で反響する。
『あれが――?』
 確認するような調子で聞いてくるエルニスに、セルは頷く。
『ディレイアだよ。千年、僕と父さんと炎塔の存在を隠し続けた……牢獄みたいなもの、かな』
 セルを含む四体のドラゴンが、遥か上空から七つの塔を見下ろした。
 その内の一つ――湖を見下ろし、切り立つ崖の上に立つ塔で、銀に煌くドラゴンがこちらを見上げていた。
『レダン……あれは、操られているのか?』
『ううん。大丈夫だよ』
 遠目にもその瞳と佇まいが理知に澄んでいる様子を見て、セルはエルニスに首を振った。
『もう、そんな事はない。ロヴェにはもうその必要は無いからね』
『どうして分かるの?』
 言われて、ベルを振り返った。途中エルニスをちらりと見たが、制止するように頭を小さく左右に動かすのを見て、目を逸らした。
『後で説明するよ。とにかく降りよう。もう、何か始まってるみたいだ』
『だろうな。見たところ、あれはそろそろ動き出しそうだが』
 頷きながらアラフルが一瞥する方角には、塔の上で絶叫する黒い怪物の姿がある。
『……一足遅かったか。相変わらずの人非人ぶりだね』
 黒い感情を含む、低い呟きが漏れた。
『中に二人。生きてるけど、どうも正気があるとは思えない』
『ティアなのか?』
『一人は確実に。あいつのあの力、絶対にティアちゃんのドラゴンアイを取り込んでる――あれ?』
 アラフルに断言した時、セルはレダンの近くに二つ、人影を認め――目を瞠った。
『セル、どうし――おい、セルッ!?』
 突然変化を解いて、青い魔力を霧散させたセルに、エルニスが驚愕の声を上げる。
 空中を凄まじい速さで落ちながら、セルは叫んだ。

「――サシャ……ッ!? サシャ――ッ!」

 落下の速度を緩めて着地すると、よろけながら、必死にドラゴンの傍らに立つ少女とエリックに向かって駆け寄った。後から追いかけるように三体のドラゴンが人型になって降り立ったが、彼らが声を上げるよりも早く、飛びつくように少女を腕の中に抱いていた。
「サシャ!」
「シウォン――良かった。ここに来れば、必ずあなたが来るって思っていたの」
『にしても危ない事をするな、君って奴は……』
「ごめん、レダン」
『分かってるよ。俺だって驚いたから、気持ちは分かる。ただ、やめてくれ』
 ふいと顔を逸らしただけで、銀のドラゴンはそれきり何も言わなかった。
 ずっとセルと抱き合っていたサシャは、ふと身体を離してセルをまじまじ眺めて、きょとんと首を傾げた。
「驚かないの? 私が生きていた事」
「……エリシアだった君と戦った時、もう既に分かってたよ。ひょっとしたら気付くかなって思って叫んで――無駄だったけどね」
 小さく、セルは安堵して微笑んだ。こちらの方は、暗示を解く手間が省けたらしい。
「……シウォン」
 呼ばれて、セルはエリックの方を見やり、僅かに表情を固くした。
「来る途中に聞いた。あいつを裏切ったんだって?」
「裏切ったんじゃない」
 言ってから、エリックは顔を背け、吐き捨てた。
「勘違いするな。これが正しいのではないかと……そう思っただけだ」
「へぇ……?」
 エリックを注意深く観察してから、セルは頷き、微笑んだ。
「うん。森やポウノクロスよりもそっちの態度の方がいいや。堅苦しくないし」
「何だって?」
 片眉を上げたエリックだったが、隣でサシャが小さく噴き出すのを見て渋い顔になった。
 後ろで見守っていたアラフルたちに振り向くと、セルはさて、と呟いた。

「まずは、ティアちゃんを何とかした方が良いみたいだね」

「ええ。……あんな状態のあいつを見たら、そりゃあ誰だってそう思うわよ」
 色の抜けた顔でベルがぼやく。彼女の視線につられて全員が見やると、漆黒の化け物と向かい合うようにして、隣の塔の上に銀色の巨大な光の柱が立ち昇っているのが分かった。よく見れば、塔はその絶大な力に耐えかねて、上部がやや崩れているようにも見える。
「何ていうか……桁外れ、だな。さすが覇王と呼べるだけはある」
 引きつった苦い笑みのようなものを浮かべて、エルニスが感想を述べた。言う通り、ここからでも本能で危険だと感じるほどの魔力と威圧、存在感が感じられる。
 圧倒的というよりは一方的。絶対の強者というべきか。
 難題を目の前にして、しかし、闘志はエルニスの瞳からは絶えてはいない。
「僕とベルとで、ティアちゃんの入っているアレに何とかして近付いてみるよ。アラフルはサシャとエリックをお願いできるかな」
「で、俺とこいつは、カーレンがやり過ぎないように足止めか。冗談じゃなく、きっつい大仕事だな」
『仕方ないね。それでも、やるしかない。まさか彼とまた戦う事になるとは思わなかったけど』
「俺だって予想外だよ。足引っ張るなよ、レダン」
 顔をしかめつつも、エルニスは首と肩を軽く回し、パキリと両手の指の動き具合を確かめた。
『そっちこそ。ドラゴンアイ持ちとやり合うのはなかなか辛いよ――“いざ、舞いの始まりを告げん。我が魔眼をここに解放する!”』
 レダンも四肢に力をこめ、尾を揺らす。ぐっと目を細めると、その瞳は紫から銀色へと変じ、カーレンに負けず劣らず、こちらが押し潰されそうな程の威圧感が体から発せられた。
 両者が前に出るのを横目に見つつ、アラフルが肩をすくめた。
「昔の戦いとはまるで次元が違うな」
「そう言って、千年前に神獣や聖人と素のままで戦い合っていたのは誰ですか? 頼りにしています、悪なる赤」
 サシャがくすりと笑って言った。
「悪なる赤……これが」
 エリックが呆然と言う。
 己の預かる二人を見つめ、アラフルはにやりと笑みを浮かべた。
「ああ、任されたとも。私を追い越すぐらい派手にやれ、セル坊」
「……うん」
 全員の顔をゆっくりと見回してから、セルは再び、頷いた。

「始めよう。戦いを」


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