Dragon Eye

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第一篇 - 五章 『慰めの歌』

-1- 訊ね来た使者

 その地は乾いていた。
 足の裏にさらさらと死んだ砂の感触を確かめながら、生命のない大地を蹴って、ルリエン・ティウスは走っていた。
 主人であるカーレンが、ルヴァンザムの放った魔術によって貫かれたその瞬間、自分が取った行動は一つ。すぐにその場を離れ、遠く、どこまでも遠く駆けて行く事だった。
 何故なら、自分はカーレンに、こうとしか命令されていない。『もしもの時は、ティアを頼む』とだけだ。今にも消えかかっている彼の命を感じながらも、ルリエンは"第一位"の始祖として主との約束を果たすべく、使い魔の契約を解いた。
 自由になった途端に戻ってきた膨大な魔力が、凶暴に荒れ狂う嵐となって自分を破壊へと駆り立てたが、そんな事は些事に過ぎないとばかりに、全力で一昼夜をかけてポウノクロスの国境を越えた。
 叩きつけるように向かってくる風に、緑と変じた目を細めながら、ルリエンは念じていた。
 目指すは、西。
(来たる時、来たる場所に在れ。其が、我が願い。戦いとて厭わぬ。ただ、この願いだけに応えよ!)
 数百年ぶりに世界を揺るがした声なき叫びに、大気が震えて唸りを上げた。疾風よりも速く、何よりも速く。念じて一瞬のうちに通り過ぎた場所には、小さなつむじ風すら生じた。

 来る、と必ず信じていた。
 と、いうよりは、これほどあからさまな呼び出しを相手が無視をするわけがない。そう確信していたと言うべきだろうか。

 短くない付き合いだからこそ、分かる事だ。いつの間にか力を上げていた彼女に再会した、それ以前から、自分は相手を良く知っていた。
 ――だからこそ、オリフィアの西端までたどり着いた時、ルリエンは小さく、相手を前にして笑っていた。
『――久々、といっても、およそ一ヶ月か。思ったよりも早かった再会だが、このように不躾に呼び出して、貴様は一体何の用でここに私を来させたのだろうな?』
 いかにも機嫌が悪いと示す険悪な声が、気だるげな口調で発せられた。
『頼み事がある。もちろん、おまえにだ』
 ルリエンは尾を一振りしてから、たった今思い出したように相手の名を呼んだ。
『シリエル・ファオライ』
『…………未だに第一位だと思っているというのなら、それは傲慢というものだ、ルリエン・ティウス』
 純白の狐の毛が怒りに逆立つ。こちらを圧倒せんとばかりに放出される殺気と魔力は、その気になれば居合わせた魔物を昏倒させる事もできるほどだったが、これに対して、ルリエンは軽く口の周りの毛をそよがせただけだった。
『ただで頼みを聞いてもらえるとは思ってはいない。だが、勝利した者が相手を従わせる、そのような事で叶う訳でもない願いが、我が願いだ』
 長い、沈黙があった。
 シリエルはルリエンをじっと見据えていた。今度は涼しげに受け流すのではなく、しっかりと真正面から目を合わせた。相手の澄んだ紅い瞳が、一瞬だけ慣れ親しんだ主の瞳の色に重なった。
 それを見抜かれたかどうかは、分からない。
 シリエルは、ぴくりと左の目を小さく、一度だけひくつかせた。
『用件だけは聞こう』
『……有り難い』
 しばらく、押し黙ったままでいたシリエルの言葉を聞いて、ルリエンは目を一度伏せてから、己の頼みの内容を告げた。
 言い終えた時、ぴくぴくと彼女の尖った耳が苛立ったように動いた。
『……貴様は、私に糞犬のように腹を見せろと言うのか?』
 吐き捨てるように苦々しく言うと、シリエルはぎろりとこちらを睨みつけた。
『嫌ならば、他を当たるが』
 素っ気無くルリエンは言った。
『だが、貴様ほど力の有る魔物もそうそういないのでな。頼みを聞き入れてもらうには、やはりそれなりの実力が欲しい』
 一瞬だけ、褒めちぎりすぎたかと思った。彼女とて、少々誇り高かったとしても、賢者には違いない。
『…………褒めて何が出る訳でもないぞ』
 身体の各所の動きで周りに嘘を見抜かれるのは、自分も相手も同じだったらしい。
『耳を寝かせて言われても説得力が皆無だな?』
『喧しい!』
 ぴん、と再び怒りで真っ直ぐに立った、細長い耳の裏は、羞恥に赤く燃え上がっていた。しばらく乱れた息を落ち着け、荒れ狂っている感情を必死に彼女は抑えているようだった。その様を可笑しげにルリエンが見守っていると、シリエルは深い溜め息をついた。
『……相手による。誰だ』
『あの娘だ』
 ぴたり、と彼女の動きが止まり、訝るような目がルリエンに据えられた。
『あれはまだ、己の力すら御しきれぬだろう』
『強固な意思は時折、不可能をも可能にする』
 面白がるようにルリエンは喉の奥で笑ったが、ふとその笑みを引っ込めていた。
『……たとえそれが、勇気か、絶望か、どちらであってもな』
『――貴様が使い魔に成り下がった経緯などに興味はない』
 シリエルの返答にルリエンが探るような目で見やると、彼女は困ったか、あるいは呆れたようにくるりと目を回した。
『大抵のものは噂で聞き知っている事だが。皆、貴様が彼らとどのような関係にあるかは知っていた。貴様は――、』
『…………』
 次に言われる事を悟って、ルリエンは目を細めていた。
 その仕草に一瞬怯んだのか、シリエルは口を開けて躊躇う素振りを見せたが、そのまま勢いに任せたかのように口にした。

『――そう、彼の者とは旧知の友であった。自然、あれとも関わるようになっていたのだろう? 貴様が昔から友との約束には律儀だった事など、既に周知の事実だ』

 ルティスが答えずにいると、さらに、シリエルは苦い顔でこう続けた。
『使い魔になったのも、あれが力をもてあます事を察しての事だろうが……私は、あえて力は抑えるべきではなかったと言おう。傷つきながらも己の御し方を覚えてゆくのがドラゴンだろうに。貴様の抑えがなくなった今、あの者の中に蓄積されてきたものがいつ暴走を始めてもおかしくはない。寵姫も同じだ』
『――言っただろう?』
 しかし、シリエルの言葉に、ルリエンはまだ笑っている事ができた。
『強固な意志は、それを可能にする。力がしかるべき時に解き放たれたからこそ、道は開かれた。案ずる事はない』
 顔をしかめたシリエルに、ルリエンは告げた。
『もう、既に彼らの中で準備はできている。後は、心が追いつくのを待つだけなのだからな』
 言うべき事は、他にはもう見当たらない。
『もう一つ、構わないか?』
 ルリエンがシリエルの横をすり抜けていくと、彼女は振り返ってルリエンを呼び止めた。
『なぜ、そこまでする必要があったのだ?』
『……おまえが言った事と同じだ。ドラゴンは傷つく事で己を御する方法を覚える。だが――、行き過ぎては、それは自傷行為にしかならぬ。私はそれを止めようとしたのみ』
 ただそれだけの事だ、とルリエンは締めくくり、シリエルを肩越しに見やった。
『それで、頼みは聞いてくれるのか?』
『…………』
 黙りこくるシリエルに、強情な、と鼻で呆れた溜め息をついた。
 答えを待たずに、ルリエンは足を踏み出した。
 その場にただ一頭、残された彼女は、しばらく身動き一つしなかったようだった。
 やがて、おもむろに身体を一つ震わせると、シリエルはルリエンの後を追って歩き出した。
 後ろに白き獣がついて来ている事を確認すると、ルリエンは小さく小走りになり――やがて、その速度を上げて、進み始めた。
 ――西へ。
 どこまでも、西へ。

□■□■□

 日が落ちてから、幾分か夜も深まった頃だった。
 扉の向こうから、来訪者を告げるくぐもった音が聞こえた。ルヴァンザムはペンを走らせる手を、ほんの少し止めて、小さく目線を上げる。
「誰かな」
 書類に再び目を落とすと、声を発した。
「エリック・ヒュールスです。――入っても宜しいでしょうか?」
「……お入り」
 呼吸をするほど自然に、返事を返した。絶妙な間のとり方を無意識に行ったからか、唇が勝手に動いていた。
 エリックがドアを開け、小さな音を立てて閉めるまでの間に、再びペンを滑るように動かし、書類に途中で止まっていた署名を最後まで書き入れた。ゆったりとした動作で、いい加減に握り疲れていたそれを、ペン立てごと脇へと押しやって溜め息をつく。
 宵闇に包まれた部屋の中、灯した蜜蝋の火を頼りに文字を追うのは、思いの外、疲れるものだ。最も、慣れていない訳ではないのだが。
 部屋の中ほどまで若い騎士がやってくるのを気配で察しながら、半分乗り出していた上体を背もたれへと投げ出すと、うんざりした調子でぼそりと漏らした。
「……当主たちは所詮お飾り程度という訳だね。急がなければならない書類の半分も、必要な処理が行われていなかったよ」
 くすりと笑うと、未だに机を挟んで五、六歩ほど離れていたエリックを、手招きして近くへと寄せた。彼はゆっくりと三歩ほど歩み寄っただけで、それ以上近くには寄ってこようとはしなかった。
「全く……これでも一応、私は書類の上では君の伯父にあたるのだけれどもね。もう少し親しみをもっても良いのではないかな?」
「――質問があるのですが」
 苦笑混じりの冗談すら聞き流して、エリックは固い面持ちでそう告げた。
(やれ、付き合ってくれても良さそうだというのに)
 肩をすくめて再びペンを取り上げると、次の書類に再び現在の当主の名を記しはじめた。二、三枚それを終えてから、ようやく、ルヴァンザムは僅かに首を傾げ、続きを促した。
「……何だい?」
「ロヴェ・ラリアンの、事です」
 やや強調するように間を置いて、エリックは気を落ち着けるように一呼吸をした。
「カーレン・クェンシードを追い、オリフィアへ向かう途中……、レダンについて、奴は自分があのドラゴンを操る事ができると、一言も私には話さなかった。どころか、あれは手の付けようがないほど凶暴だと言い、我々を騙していました」
「今回の件で、それが発覚したという訳だね」
 返しながら、まだ墨も乾ききらない書類の束を軽くまとめて、脇へと積んだ。小さな紙を一枚とって、一言、それらに必要な処理を指示すると、中指にはめた指輪で印を捺した。
「彼に直接聞いたのかい?」
「はい。はっきりと嘘だと認め……その上、カーレン・クェンシードをどこへやったのか、一言も漏らさなかった。ポウノクロスから帰還して五日が経ちますが、ルヴァンザム様は、この事をご存知だったのですか?」
「ああ……そういえば、聞かなかった」
 薄暗闇の中でも、エリックがはっきりと目を瞠るのが分かった。息を呑む音すら聞こえたので、よほど驚いたのだろう。
「……聞かなかった?」
「付き合いが長いからね。大体、彼が考える事は分かっているんだよ。それに、今回ばかりは私も少し、遊び過ぎた節があった。ロヴェがあれを看病したとしても、怒りはしないよ」
「お待ち下さい……つまり、何と言うか……」
 エリックは顔をしかめて、ルヴァンザムが言った事を理解しようと全力で務めているようだった。

「この状況で、貴方はカーレンが“生きている”と思われている――そういう事なのですか?」

「ロヴェはね……、死体は持ち帰らない。もともと、何かを記念に大事にとっておくこともあまりないし」
 手に取った書類を照明にすかして、ルヴァンザムは目を細めながら言った。
「死んだとも言わなかったのだろう? なら、とりあえずは生きていると思うのが妥当だろう。放っておけば確実に死んだが、ロヴェが生かしているというのならば話は別だから」
「……貴方が放ったあの魔術で、死ななかった者を見た事がありません」
「数発しか打たなかったから、生き残った者は割合的にも多かった気がするが……まぁ、今まで三人程度が生き延びた、かな」
 その中にカーレンが入っているのか、とは聞かれなかった。
 黙して考えこんでいる様子のエリックをちらりと眺め、ルヴァンザムは口を開いた。
「簡単には死なないよ、あのドラゴンは」
 消灯を告げる、短い間隔で叩かれる鐘の音が聞こえ出した。
 立ち上がると、燭台を手にして、ルヴァンザムは部屋を出た。エリックが近くにあった鍵を手に取り、部屋の扉を閉める。
 彼の不思議そうな視線が頬に当たるのを感じながら、ルヴァンザムはそれを見返す事はしなかった。
「覚えておくといい。扱う意思に関係なく、純粋に一番危険な力を持つのは、ロヴェでもレダンでもない」
「なぜ、そこまで……」
 言いかけたエリックを、片手を上げて制す。それでも答えを求める彼に対し、ルヴァンザムはただ微笑んだのみで、沈黙を守った。
 ふと、窓から見える向かい側――二階の、テラスがある部屋に目をやる。
 視線をそこに据えたまま、外そうともしなかった。ずいぶん時間が経ったように思えたが、短い間だったらしい。鐘が鳴り終わるのを待ってから、夢見るように、ルヴァンザムは小さく呟いた。
「さて。今日も、良い夢が見られるといいのだがね」
「…………」
 自分の事を言っているのではないと、彼も分かっていたのだろう。同じく向こうを見やってから、それと分かる程度に、ゆっくりと頷いた。
 テラスの奥に見える窓からは、僅かに灯の光がちらちらと漏れていた。
 ――夜になると、その部屋に灯される照明。

 今のところ、翌朝、日が昇るまでに、その灯が消えたところを見た者はいないようだった。

□■□■□

「……ええ、もう大丈夫です。傷も大分消えてきましたし、もうちょっとしたら包帯も取れますよ。ただ、やっぱり腕を動かすような無茶はしないで下さいね」
 人間だったら完治に三週間はかかってますから。念を押すように言った執事の言葉に、エルニスの隣に座っているベルが小さく苦笑した。
「ありがとう、マリフラオ。おかげで助かったわ」
 治療の為に差し出していた腕を戻すと、ベルにならって、小さくエルニスも感謝の意を述べた。
「俺からも礼を言う。本当に、あれから色々としてもらったのに……何もできなくてすまない」
「いえ、主を助けてもらっただけで十分です。命の恩人ですからね」
 のっぺりとした笑みを浮かべると、マリフラオは丁寧に頭を下げた。
「……命の恩人、ね」
 呟いて、エルニスは大分傷の治ってきた腕を見下ろした。
 自分の無力さに、ほとほと呆れ果てるしかない。
「せめて、俺がもう少しだけ強かったらな」
 これには、ベルもマリフラオも、何とも言えずに黙って目を逸らすだけだった。
「……そんなに気に負わなくても、エルニスだけの責任じゃなかったよ。相手が悪かったんだ」
 聞こえてきた声に見やると、部屋の仕切りとして使われていた飾り板の向こうから、セルが首をひょっこりと出していた。
 彼はなぜか、小さく顔をしかめて、顎でこちらに来るようにと示した。
 どうしたのかと首を傾げていると、セルはぼそぼそと呟いた。
「ラヴファロウが目を開けた」
「! 本当か?」
「だから、大きな声を出しちゃ駄目だって……」
 セルが嫌そうな顔でエルニスに文句を言いかけると、その後ろから、いいんだ、と穏やかな声が聞こえた。
 覗き込むと、ベッドの中に白亜の国の将軍が沈み込んでいた。
「傷には響かない……俺も休みすぎたからな、体力は有り余ってるよ」
「はいはい、起きたら起きたで、嘘なんか仰らないで下さいね。未だに青いですよ、顔」
「顔だけだよ、ばーろ」
 馬鹿野郎とでも言いたかったのだろうか。
 いまいち舌足らずな罵倒を投げかけると、ラヴファロウは仕切りを越えて入ってきたエルニスの首を見て、目を丸くした。
「あ……あんた、それ」
「ああ、」
 気付いて、エルニスは服の中からヴィランジェを取り出した。カーレンが普段付けていたものなので、ラヴファロウからすれば違和感があったのだろう。
「ウィルテナトで落としてたから、拾ってきたんだ」
 そうか、とラヴファロウは頭を戻して、天井を見つめた。
「……って事は、まだ生きてるな」

 ぴたり、とその場が静止した。

 冗談ではなく、本当に時すらも止まったかのように感じた。
「ちょ……ちょっと、待ちなさい。何で分かるのよ、そんな事」
 ベルがわなわなと唇を震わせて呟いた。
 ラヴファロウは小さくベッドの中で身じろぎをした。どうも肩をすくめたかったようだが、骨が折れているとの事らしく、身体が固定されていてろくに動けないようだった。
「それな。カーレンの奴、自分の封印具にしてたんだよ」
 聞きなれないか、あるいは妙に不吉な響きをその単語に感じて、全員が眉を潜めた。
「その首に付けているやつが一つ、あいつの耳に飾りが垂れてて、そいつが対で一つ。あと、種類や性質がちょっと違うが、ティアの奴に渡した紫水晶か。この三つで、自分の力を抑えつけてる」
 周りの様子を知ってか知らずか、ラヴファロウは何かを思い出そうとしているかのように説明をしていた。
「けど、紫水晶は、確かルティスの魔力そのものじゃなかったのかい?」
 セルが首をひねっていると、ラヴファロウは呆れたような顔で彼を見た。
「そんなに偏った説明をしてやがったのか、あいつは……。――いいや。確かにあれはルティスの魔力だが、同時にカーレン自身の魔力でもある。あんたがそこにつけてるのは、二番目にでかかったやつ。水晶は、耳飾り一対と合わせてそれと同じくらいだ」
「……一番でかいのはないのか? 第一、魔力を封印する事の必要性自体が、俺には良く分からないんだが」
 エルニスが顔をしかめると、ラヴファロウは妙な顔をしていた。
「昔、いつもあいつの側にいたんだろ? 何を言って……」
 言って、ラヴファロウは何かに気付いたらしい。ああ、と納得して、渋い顔つきになった。
「悪い、知ってるかと思ったんだ。封印具っていっても、常に封印してる訳じゃない。自分の魔力が暴発した時に反応して、あいつを縛る仕組みになってるんだよ。だから、カーレンが死んだら、そいつも死ぬ。封印するもの自体がなくなると、効力を失くすからな。で、一番でかいのなんだが、」
 ラヴファロウは肩をすくめた。
「あるって聞いてるだけで、俺も知らん」
「はあ? 知らないんじゃ、全く意味がないじゃないの」
「……ひとつ言っとくが、あいつは何でも、自分に関する事はなるべく隠す性分だ。特にあんたたちや俺みたいなお節介そうな奴に知られたら、自分が抱えてる問題でも構わずに首を突っ込まれるだろ。そいつを嫌って、あまり話したがらない。ま、生きてるって分かっただけでも儲け物だと思わなくちゃな」
「不思議だけど……お節介って、あんたには言われたくないわね」
 初対面の相手だというのに、言ってくれるものだ。エルニスが眉を潜めると、言い返したベルもまた、面白くなさそうな顔をしていた。それでも一概に否定しないのは、ある程度認めなければならない事実だからでもある。この人間の男は、そういう相手を観察して人柄を判断する事については得意のようだった。
 どちらにしても、封印具についてはこれ以上の情報はないだろう。判断してから、思い出したように付け加えた。

「一緒にするな」
 ぼそりと抗議を口にすると、ラヴファロウは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに、にやっと不敵に笑っていた。

「ああ、そうだな。あんたはお節介なんかじゃない。――ま、それはさておき」
 ラヴファロウはセルに視線を移した。
「セル、おまえはエリシア・メイジと戦ってたよな。……どうだった?」
「うん……」
 セルは頷くと、エルニスとベルの二人と、ラヴファロウを見比べながら、しばらく考えこんでいたようだった。
「多分、ラヴファロウも僕も、似たような事を考えたんじゃないかな。カーレンの力なら、鱗の色も黒いし、エリシアも漆黒だった。けど……ひとつ、気になったのは、ロヴェのドラゴンアイを持ってるみたいなんだ。だったら、金色でないとおかしい」
「やっぱりか……カーレンも気付いたみたいだな」
「おい、セル。一体何がどうなっているんだ?」
 話が見えない事に焦れて、エルニスは苛立ち気味に言った。
 言われて、今まで何らかの前提をもって話していた二人も、初めてこちら側がほとんど何も知らずに来た事に気付いたらしい。
「あんた、カーレンのここ数年の事情、本当に知らないんだな」
「当然だ。アラフル様はともかく、俺たちが何十年ぶりに会ったと思ってる? 五年や十年どころじゃないぞ」
「あ、そんなに長かったんだ」
 言ったこちらは真面目な話をしているのだが、言われた方としては信じ難い話らしい。ドラゴンにある程度詳しい様子のセルは苦笑していたが、ラヴファロウは顔をしかめていた。
「……時間感覚が狂ってんじゃないだろうな」
「カーレンが人間の感覚を知り過ぎてるだけだろう」
 三百年も世界を渡り歩いていれば、嫌でも慣れそうなものだ。一方、同じように世界を回っていたベルは、エルニスの反応に小さく口元を歪めて、こみあげる笑いを抑えているようだった。
 気に入らずに鼻を鳴らしていると、それ以上の興味をなくしたのか、ラヴファロウは頷いた。
「分かった。とりあえず……今ここにいない三人と、セルと――あと、炎塔のティアにそっくりな少女――には、少しややこしい話が関わってるんだが、」
 そう前置きをされ、エルニスとベルが頷いた時、
「エルニスさん、ベリブンハント。貴方たちにお客様が来られていますが」
 のんびりとした執事の声が、部屋の扉の近くから聞こえてきた。
「誰だ、この大事な時に」
「ひどいな、それは。せっかく大事な用があって、老体に鞭を打って来たのだが」
 小さくエルニスが毒づいたのを聞きつけたのか、穏やかな声を返しながら、二人の返事も待たずに客人は入ってきた。
 可笑しさを含んでいるような口調には、やけに聞きなれた響きがあった。
 誰かを悟ったベルが、あんぐりと口を開けて、ベッドの脇に現れた男を凝視した。セルもまた、驚きを隠せずにいたが、ラヴファロウに至っては、全く初対面の反応を示した。
「誰だこいつは」

 起きた事を理解するのに、たっぷり十秒。

「………………アラフル様!?」
 素っ頓狂な声がエルニスの喉から漏れたのは、さらにもう少し後だった。
「げ、これがカーレンの父さんかよ。思ってたより若ぇな」
 即座に顔を引きつらせたラヴファロウを睨みつけると、よほど怒り狂った顔をしていたのか、彼はそれきり口を閉じて何も言わない事にしたようだった。
「若いと言ってもらえたのは久しぶりだな」
「感動しないで下さいそんな事に」
 しみじみと呟いたアラフルに対して、心から懇願する。
 そこで、ようやく、まだ驚きから覚めやらぬ様子のベルが、目を白黒させながら聞いた。
「どっ……どうして、ここの事を?」
 そういえば、とエルニスも思い出す。ポウノクロスに向かった事は知っていただろうが、この屋敷にいるとどうして分かったのか。
 アラフルを見やると、彼は肩をすくめていた。
「そこに寝ている友人の事は、カーレンから聞いていたのでな。髪が半分白いオリフィアの貴族を探していると言ったら、恐ろしいほど素直に兵が案内してくれたが……その様子だと、何かあったか?」
 ポウノクロスの将軍たちを脅したマリフラオに、思わず感謝せずにはいられなかった。


「……そうか」
 話を聞き終え、アラフルは執事が注いだ紅茶を飲み終えると、それだけをぽつりと言った。
 声音にどこか寂しげな色を感じ取って、エルニスは唇を噛む。
「申し訳ありません。俺たちの力が足りなかったばかりに」
「いや。ロヴェやルヴァンザムとまともに戦えるような奴は少ない。戦って、その上で偶然が重なって生き残ったのだとしても、それもある意味では強さだろう」
 告げたアラフルの顔は、それでもどこか、辛苦を滲ませている。
「だが、やはりロヴェはカーレンを連れて行ったか」
「やはり? やはりって、どういう事なんですか、アラフル様?」
 ベルが僅かに顔色を変えた。
 いや、とアラフルは呟いて目を逸らした。
「とにかく、おまえたちの話を聞いていて、これではっきりした。どこかでそんな気はしていたのだ」
 以前から何かを感じていた、という事だろうか。
 アラフルは少しの間、闇に沈んだ窓の向こうを見やっていた。
「それと、ロヴェはおそらく……いや、確かに、死んでいるのだろう」
 言われた意味が理解できずに、エルニスは困惑して眉を寄せた。
 周りで話にずっと耳を傾けていたセルとラヴファロウも、アラフルの真意を測りかねているらしい。じっと四人の視線が注がれる中、アラフルは首を振った。
「死んでいる。たぶんこれは正しくない。どころか、生きてもいないだろう。ある意味、カーレンがその存在の本質に気付いた偽体たちよりも、もっと生々しい場所にいる」
「あの、俺たち、良く分からない――」
「分からなくていい」
 アラフルは、エルニスの言葉を遮って首を振った。
「……分からない方が幸せというものだ」
 開いた目には、どす黒い絶望の色が映りこんでいた。表情が彫像のように冷たく硬い。初めて見るアラフルの暗い部分に、誰もが一瞬、息を呑んでいた。
「……、さて」
 やがて、深呼吸を一つしてから、ようやくアラフルの顔には生気が戻った。
 偽体には核があるだろう、とアラフルは言った。
「ロヴェには、おそらくそれはない。偽りとは言わないが、本物の生死からはそれでも程遠い。そうなったのは、三百年前の事で間違いはないだろうが」
 カーレンをロヴェが連れて行った事と、アラフルの話に、どんな関係があるというのか、まだエルニスには見えてこなかった。
「ここまでが前置きだ。本題に入ろう。この前、船の上でカーレンに再会してからここに来るまで、私がずっと考えてきた事だ。再度言おう、おまえたちの話を聞いてはっきりした」
 アラフルは疲れた声でそう告げた。
「今、一番危険な状態なのは、カーレンの寵姫……ティア・フレイスだ」
「…………ティアちゃんが?」
 セルが唖然として聞き返した。
 かつて、“悪なる赤”と呼ばれたドラゴンは、嘆息しながら頷いた。
「突然、こんな質問をされて戸惑うかもしれないが、……聞いてくれ。おまえたちは、ドラゴンアイを知っているだろうか?」
 きょとんとした顔を、ベルがこちらに向けてきた。セルも更に混乱したのか、目をしきりに瞬かせている。オリフィアの将軍とエルニスだけが、冷静に話に耳を傾けていた。
「ドラゴンの力を発現させるのに、おまえたちはその本質を目に表すだろう。確かにそれも、同じ名で呼ばれているが――、ひとつ、大抵忘れられている事がある。ドラゴンが自分の力をより上手く扱う方法を、便宜上、ある昔話から引用して呼ぶようになっただけだという事をな」
「……神の力として畏れられた、聖人と神獣だけに許された能力ってやつだな」
 相変わらず口は悪かったが、ラヴファロウが確認するように呟いた。
 アラフルも特にそれを咎める事なく、重く頷き返した。

「そこに在るだけで世界を変える力がある。それが例え何者であっても、世界の覇王、『ドラゴン』として覚醒させる力……それが、ドラゴンアイだ。カーレンもティア・フレイスも、おそらくそれを発現する可能性が高いだろう」


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