Dragon Eye

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第一篇 - 四章 『鐘よ、朝を告げよ』

-10- 神秘殺し

 いざ決まったら、後は早かった。
 素早くは動けないラヴファロウに軽く肩を貸してやりながら、それでもカーレンはルティスを伴い、庭園へ向かって走っていた。
「エルニスとベルがここに?」
「ん、ああ……あと、レダンもここに来てるらしい……事情を知らないから、連れて来ちまったんだそうだ」
 それを聞いて、カーレンは軽く舌打ちしていた。こんな時に限って、どうしてこうもまずい事というのは重なるものだろうか。
 と、ラヴファロウの身体が一際大きく傾いで、カーレンは咄嗟に彼を引き上げるように支えていた。
「大丈夫か?」
「何とか、な……っ痛。ぁんの野郎、思い切り踏みつけやがって……」
 ぶつぶつと呟く彼の顔色は、相変わらず悪い。
 戦いで激しく動き回ったのか、服が乱れている。間から見えていたラヴファロウの体にちらりと目をやると、脇腹の辺りがどす黒く変色していた。骨が折れていてもおかしくはないか、と大方、彼の容態にあたりをつける。
 ついでに、セルの様子もそっと振り返って窺っていた。ティアにつけられた首の傷は、程度はそれほどでもないようで、張り詰めた面持ちで青年は駆けている。傷のせいか、あるいはレダンがいると聞いたためか、顔色はあまり良くはなかった。
「ティアは、おまえがまだ庭園にいると思っているはずだ。もしロヴェとエルニスが戦っているというのなら、そちらに行ってもおかしくはない」
「俺も同意見だよ。だが、気をつけろよ。おまえがいくら戦い慣れていても、ロヴェは同じドラゴンだ。人間から作り替えた偽体みたいに厄介じゃないが、一筋縄でいかない事は……分かってんな?」
「倒せない相手ではない……はずだが、何とも言えないな」
「おい、大丈夫かよ」
「…………」
 カーレンは小さく微笑むだけに留めた。
 身体が先ほどから熱い。時々足元がふらつく事に、ラヴファロウが気付いていないはずがない。
「この前も、魔力を派手に使ったばかりだ」
 精神的に動揺し、不安定だったからこそ、身体は緊張状態になって何も起こらなかったのだろう。開き直ってしまった今となっては、突然襲ってきたこの熱にどう対処する事もできない。
「暴発しない事を祈るばかりだな……」
 呟きながら、懐を探って小さな小瓶を取り出していた。指で器用に栓を弾くように開け、中身を素早く口に含む。手の甲で口元を拭うと、瓶を投げ捨てた。
「カーレン、今のは」
 セルが追いついてきて、後ろに遠ざかる割れた瓶を見ながら言った。
「魔力の流れを整える……集中する時に使う軽い薬だ。体質のおかげで、魔力を多く使うと、その翌日か数日後にひどい反動が来る。効果は症状を抑える程度で、応急処置ぐらいにしかならないが」
『その状態で戦うのは、いくらなんでも無謀かと思われますが?』
「それでもやらなければならない。エルニスとベルに任せたままにはできないからな。最悪、私がもしも――」
 ラヴファロウとセルの両方に咎めるような目で睨まれたために、言いかけた続きを口にする事はなかった。
 代わりに、カーレンは目をぎこちなく逸らしながら続けた。
「"その瞬間"、契約を破棄するかどうかは、おまえに判断を任せる」
『他には?』
 続きを促してくるルティスに、カーレンはしばらく考えを巡らせた後、答えた。
「それと――ティアを頼んだ」
 しばらく彼はこちらを見つめ、そして、深い嘆息の息を漏らした。
『……すみません。思わず呆れてしまって。ですが、手は尽くしましょう』
 悪かったな、と口をついて出そうになった言葉を呑み、走りながら首を小さく振った。
「すまない」
 いいですよ、と狼は溜息混じりに言った。
『もう、貴方の無茶には慣れっこですから』

□■□■□

 視界を埋め尽くす空と大地が、その過ぎ去る速さに霞んで見えた。
 例え今のこの身に翼はなくとも、空を舞う事はエルニスに限らず、ドラゴンにとっては何の造作もない。飛ばずに地面ばかり歩いていくのはカーレンぐらいだ、とエルニスは戦いの最中に思い浮かべていた。
 そう……カーレンだ。
(ああ、くそ。まただ)
 先ほどから、彼の身が案じられてならない。夜も幾分過ぎて、空はもっとも深い闇から次第に光を取り戻そうとしている事を、身体に染みこんだ感覚が告げていた。
 急がなければと焦る心とは裏腹に、現実は厳しい状況だった。
 なぜ、空を飛ばずに地面ばかりあいつは駆けているのだと、苛立ちに舌打ちをせんばかりに。
(その変わり者が俺と同じぐらい強いと来たんだから、変な話だよ……ったく。勘違いすんなよ、カーレン。おまえの願いが、俺の譲れないものよりもほんの少しだけ強かっただけなんだからな)
 エルニスは浅く息を吸うと同時に、身体の奥底から攻撃の源となる魔術を練り上げていた。
「――っふ!」
 口をすぼめると、吐息が紡ぎ出す先、桁外れの魔力が翡翠の炎の矢となって噴出して紅の髪の男に襲い掛かった。
 先ほど自身を襲った炎ほどではないが、それでも広い面積を十分に焼き尽くせるものだ。単発の威力が少ない分、的を絞った正確な一撃が恐るべき速さで、紅いドラゴンのところへと飛んでいく。
「……ふん」
 魔力を吹き散らしながら飛んでくるそれを、彼は少し眺めてから、宙を舞う羽のように軽やかに避け、禍々しい赤黒い輝きを放つ鞭をエルニスに放った。
 鞭はエルニスの頭部を撃ちぬかんと、鋭く伸びる。
「っ」
 かろうじて避けたが、鞭が放つ衝撃波が、肩を浅く裂いた。続いて追い討ちをかけようとする男に、
「させると思う?」
 間髪入れずに、ベルが放った光の羽が彼を押し包もうと迫る。それすらをも一陣の風のように吹き散らし、空を滑る彼の背後を追いすがるように氷結が起きるが、二人は彼の紅い髪一本すら、焦がす事も凍らせる事もできない。
「――言っとくが、神獣であった俺を傷つけようと思ったら、並大抵の攻撃じゃ無理だぜ?」
 真紅の髪を片手で背後に払い、男は薄く笑みを浮かべてみせた。彼の体には、未だにどんな傷も刻まれてはいない事を認めざるを得ない状況に、思わず舌打ちが出た。
 対して、窮地から無理矢理に脱したエルニスは腕に傷を負い、助け出したベルも、この"生きた伝説"を捉える事ができずに焦りの色を浮かべている。威力の高いものばかりを打っていたおかげで、消耗がいくらかエルニスより激しいようだった。
「ええ、そうね……まさか、貴方みたいな化け物がまだ生きていたなんて、信じたくもないわ」
 引き攣らせた口角を、どうにかといった様子で彼女は吊り上げた。
 返事の代わりに襲いかかってくる火の雨を潜り抜けながら――神獣、とエルニスは口の中で呟く。

 それは、アラフル・クェンシードと時を同じくして、世に生まれ出でた存在。
 ドラゴンでありながら、人に育まれた故に、人を助けた存在。
 千年の昔、最初のドラゴンアイを宿した寵姫――聖人エルドラゴンと共に、闇の時代に光を吹き込ませたと言われている、それが、彼だけが神の生み出したドラゴンと呼ばれる所以だった。
 ――もっとも、それは聖書の中だけの話だ。
 実際には己の父であるラジクや、"悪なる赤"として知られるアラフルも、戦乱と世界の平定に、ある時は好敵手、ある時は戦友として(主にアラフルが大分派手に)関わっていたそうだ。が、その辺りは教会の都合で、綺麗に好敵手の部分だけが、邪悪なドラゴンたちとの戦いとして聖書には記されている。

 そこまで思い出して、エルニスは、ふと寒気を覚えた。
(だが、ここにいるはずがない……!?)

 それほどの力を持つドラゴンなのだ、確かに今、生きていてもおかしくはない。そう、"既に死んでいるという証拠"がなければ。
 確かに死んだと分かる証拠か……あるいは、事実と呼べるものがあるのだ。それは、エルニスたちドラゴン側の認識でも変わらない。
 確か、エルニスたちが生まれる少し前だった。
 北大陸の山岳地帯で、ドラゴンが死の間際に放つ巨大な力の波動を感じたと、他の一族のドラゴンたちが噂をしていた。並のドラゴンにしては規模がやけに大きかったが、アラフルはまだ存命している。という事は、それと同等の力を持つとされている神獣が死んだのだろう。
 意見はすぐに一致し、その事実は瞬く間に人間たちも知るところとなった。
 波動が放たれた事を知ったアラフルは、
「……奴だ」
 と、呟いて、それから、舌打ちを一つ。
 それだけだったそうだ。
 友だと確信して、喪失による苦い思いを隠せなかったのだろうと思う。
(そうだ――時々、アラフル様が呟いていた、あの名前)
 ロヴェ・ラリアン。
 彼に知己はあっても、その名は既にエルニスも全員の分を把握している。残るのは、無二のかけがえのない友であったという、神獣である彼一人のみ。
 それが奴の名か。燃えるような色の髪を長く風になびかせ、こちらを見下ろす相手は、確かにそこにいる。認めて、エルニスは目を細めた。
 しかし、そうなるとやはり、疑問となるのは――。

「――なぜ、死んでいるはずのおまえが生きている! ロヴェ・ラリアン!」
「へぇ、名乗った覚えはなかったはずだけどな? 俺の名前なんか、ほとんど知られてなかったってのに。良く分かったな、おまえ」

 流星の如く、翡翠の魔力が尾を引く速さで肉迫する。爪を突き出すと、受け止めた彼は意外そうに目を見開き、愉しげに笑った。
「……クェンシードの子供たちは、戦い甲斐がある!」
 ギュガッ! と、耳元で岩を抉るような不気味な音がした。
「……あっぶね」
「流石だ」
 にこやかに賞賛を送りながら、ロヴェは顔の側面を狙った爪を引いて、エルニスの正面へとかざした。
「くっ――」
 どうにか受け止めていた手は、鱗を幾枚かはがされて血が滲んでいる。痛む手を、大きく広げた。
 炎の術は使えない。威力が高すぎて、自分を巻き込まないよう魔力を調整する時間が足りないのだ。馴染みすぎる魔力が仇となった。
(――これしかない!)
 一瞬で判断を下す。
 はがれ落ちた鱗を握りつぶす勢いで、拳を握り――開く。
 持てる魔力を注ぎ込みながら、同じく真正面に向けて、力任せに平手で殴りつけた。
「――ぁああああああっ!」
 あちこちから灼熱の痛みを訴える身体に鞭を打つように、エルニスは叫ぶ。
 既にロヴェの手から生じていた真紅の炎の奔流、新たにエルニスが生み出していた手の平から放たれる雷撃。
 双方が至近距離でせめぎ合い、お互いを喰らい尽くして、それでも飲み干せなくなった時――、
 爆発による激しい衝撃に揉まれる中で、もう一つ、かざされた手が見えた。
「……っ!?」
「エルニス――!」
 逃げて、と、ベルが悲鳴を上げて名前を呼ぶ。エルニスは、ベルが自分のすぐ後ろから援護しようと氷の刃を指の先に作り出しているのを肩越しに見て取り、全身を焼かれる激痛を振り切って絶叫した。
「馬鹿、逃げろ!」
「終わりだよ、"碧き流星"――ま、そこそこ愉しかったぜ」
「ベルっ! 逃げろ……ベル――――っ!」
 必死に手を伸ばすが、遠すぎた。
(く、そ……っ! 間に合わないっ――!)
 ロヴェが薄く笑みを浮かべながら、今までに見た事がないほど濃い紅の光を生み出し、
「!」
 次の瞬間、彼は目を見開き、後ろへと飛び退っていた。
 一瞬の後に、二人を引き離すように眩い銀色の閃光が突き抜け、光はそのまま、空を裂かんばかりに天へと上っていった。
 あまりに近すぎたために、光が前髪を僅かに焦がす。
 が、そんな事も気にならないほど覚えのある感触に、エルニスの肌は粟立った。
「…………この魔力は!」
 期待と予感を同時に感じて、エルニスは驚きながらも、咄嗟にロヴェと同じ行動を取っていた。
 一泊遅れて、閃光を追いかけるように大爆発が起きる。風が次々に巻き起こり、暴風にかき乱される髪は痛いほどに引っ張られて、巨大な竜巻の中に放り込まれたような錯覚さえ覚えた。
「――全く」
 下手をすれば自分まで吹き飛ばされそうな、強烈な風を全身で感じながら、エルニスは呆れた。
 自分の知っている彼の攻撃からすると、とにかく桁違いの一言に尽きる威力だった。これが滅多に使わないと聞く力のひとつなのだろう。
 地上を見ると、エルニスたちが探していた相手は、たった今圧倒的な力を放ったとは思えないほど平然と立っていた。見れば、どこかの将軍やセルも一緒にいる。

「……探したぞ、馬鹿!」
「悪かった」

 言ったものの、特に悪びれた様子もなく答えたカーレンは、宙に浮かぶロヴェを見やった。
 しばらく睨み合う両者に、エルニスは何らかのやり取りが視線だけで行われたのだと察する。
「…………ご察しの通りさ。今までのは時間稼ぎでもあったって訳だ」
 に、とロヴェは唇を薄く引き延ばし、手を空へと突き上げた。
「来な!」
 一言。
 叫んだ瞬間、ドン、と、先ほどの銀色の閃光に返礼をするように、紅い光の柱がエルニスたちからそう離れていないところを突き抜けて大地へと降りていった。
「っ……!」
 強い圧迫感に、一瞬息が詰まる。
「何……?」
 ベルが小さく呟いた。不安の色が明らかに声に出ているのを察し、エルニスも首を振る。
「分からない。けど、とにかく降りるぞ。まとまっていた方が良さそうだ」
 言いながら、カーレンたちの近くにエルニスは降り立った。ベルも続いて地面に降りて、こちらへと歩いてくる。
 再び光の方を見やると、紅い閃光は次第に細くなっていくようだった。
 ――数人の人影が現れて、光の中から歩み出てくる。
 長い黒髪を揺らし、ただ笑みを浮かべる男。彼に付き従うように、不安そうな色を浮かべ、後ろに控えている小さな子供がいる。その隣には、白銀色の青年が無表情に立っていた。
 続いて、二人の同じ顔をした少女たちが、騎士のような風貌の若い男と共に出てきた。一人には、見覚えがある。一人は不敵に微笑みながら、そして、もう一人、見覚えのある少女は――顔を俯けていた。
 まさか、とエルニスは目を瞠る。
「……レダン・クェンシード!? あんた、そんなところで何をしてんのよ!?」
 たった今ベルもそれに気付いたらしく、ぎょっとした声を上げていた。
「ティア――どうして」
 一度にこの人数を呼び寄せた事にも目を剥いたが、その中にありえない面々がいた事に、何よりもエルニスは驚いていた。
「は……良い反応で良かったよ」
 言いながら、ロヴェが黒髪の男の隣に着地してから立ち上がった。
「ロヴェ、ご苦労だったね」
 男の労いの言葉に、彼は首を振った。何かあったのか、盛大に溜息をついていたが、エルニスはその意味を考えるどころではなかった。
「……冗談じゃない」
 庭園の中央に立つ彼らをひとしきり眺めると、エルニスは振り向いてカーレンに問い詰めた。
「おい、俺たちが知らない間に一体何が起こった? 何でティアが向こうにいる? レダンのあの様子はどういう事だ」
 カーレンは答えずに、無言で腰の鞘から剣を引き抜いた。
「とりあえず、私のせいだという事にしておいてくれ」
 容易に語れるものではない、という事だろうか。
 エルニスが眉を潜めると、カーレンはそのまま、目元を歪ませた。
「すまない。後で必ず話す」
「…………分かった」
 しばらく躊躇った後に、小さく、エルニスは頷いた。
「ちょっと、エルニス」
「おい、それでいいのか?」
 ラヴファロウとベルが顔をしかめる。それを一瞥して制してから、カーレンはこちらを見た。
「……で?」
 エルニスは親指で炎塔の人間たちを示し、
「どうする。あっちは七人、こっちは五人。そもそも、」
 続いて、セルの方を見た。
「君は戦えるのか?」
「一応、騎士かエリシア――ティアちゃんじゃない女の子――のどちらかなら、何とか食い止められると思うよ」
『私もいます』
 いつの間に昇ってきたのか、肩からひょっこりと覗き込む、カーレンの使い魔もいた。
「あっちは、全員が多少なりと戦えるはずだ。ティアはまぁないとしても、エリシアとルヴァンザムは寵姫だし、ロヴェ・ラリアンとレダンはドラゴンだ。ついでに言うと、あのちっこいのは、ほら、分かるだろ。集まってきてるあいつらの本体だな……」
 早口に言って、ラヴファロウは少年と、なぜか庭の物陰のあちこちを示した。
「ひっ」
 気味が悪いものを見たとでも言わんばかりに、ベルが引きつった悲鳴を漏らした。
 つられてそちらを見やったエルニスも、思わず声を喉に詰まらせた。
「な……んだよっ、これは」
 どろり、と。粘り気をもった黒い塊が、庭園のあちらこちらの地面から染み出すようにして湧き上がり、生き物のように蠢いていた。やがて、塊は煮え立つ溶岩のような不気味な音を立てながら、生気がまるでない人間の姿へと形をとる。
「偽体と呼ばれる、死んだ人間から作られた異物だ」
 小さくカーレンが呟いて、近付いてきた一人を切り飛ばした。粘質な音を立てながら、熟れた木の実が潰れるように、地面に腕が落ちる。肉の腐り落ちたような臭気に、鼻がもげるような思いをして、腕で顔を庇った。
「少なくとも、人間と言うよりは魔物に近い。核を潰さない限り、首だけになっても襲ってくるぞ」
「気色悪い事を言わないでよっ!?」
 半狂乱になりながらもベルが氷の矢を放ち、数人を氷塊の中に閉じ込めた。
 凍り付いてもまだ、中でぐっと力を込めて身じろぎしているのは、見ているだけで身の毛がよだつ様だった。
 ああ、それと、とカーレンが全く動揺していない様子で言った。
「たまに水や霧にもなる。迂闊に触るな、生命力を奪われるぞ」
 バキッ、と嫌な音を立てて氷が割れた。隙間から、現れたときのように黒い水が染み出していく。
「このっ……!」
 エルニスが炎を浴びせると、水を伝って一気に火は氷の中まで燃え広がり、変化しかけていた一人がそのまま動きを止めた。
「そんな事を言ったって……きりがないぞ!」
 爆発と共に氷塊が砕け散る。水が一気に蒸発する音に負けないよう、エルニスは怒鳴った。
 そこに、良く通る声が響いた。

「――忙しいところを、悪いのだけどね」

「おいおい、今度は何だ……?」
 セルにもたれたまま、ラヴファロウが呻いた。
 はっとカーレンが目を瞠る。
 剣を振りぬき、
「伏せろ!」
 叱声が飛んだ。
 咄嗟に近くにいたベルの胸倉を掴むと、自分の身体と一緒に地面に引きずり倒した。
 薄い板がたわんで元に戻る時のような、奇妙な音が辺りに鳴り響く。激しい金属の衝突音と共に、烈風が一瞬で頭上を吹き抜けた。
「ぐぁっ!?」
「う……」
 たまりかねたように、ラヴファロウが声を上げる。よく見れば、セルも彼に地面へ押し付けられていた。
「――っ、無事か、カーレン!?」
「…………くっ!」
 顔を上げると、黒髪の男が振り下ろした剣を、カーレンがかろうじて受け止めて、その姿勢を保っていた。一瞬に生じた衝撃がどれほど強烈だったかを、剣を支える手の激しい震えが物語っているようだった。
「――ふ。君も、なかなか腕が良いようだね。ロヴェの相手にしておくにはもったいないくらいだ」
 男の手に握られているのは、華美ではないが、品のある装飾を施された白い剣。それが目にも止まらぬ速さで閃いた。
 同時に、カーレンもそれに合わせて剣を持ち直す。
 激突によって再び甲高い悲鳴のような音が鳴り響くが、男は見事としか言いようのない剣捌きをもって、更にカーレンに迫った。
「っは!」
 一撃一撃ごとに男はカーレンを圧倒し、また、反撃を確実に防いでいく。カーレン自身も全力で食い留めるのがやっととばかりに、後退を余儀なくされていた。
 格が違う、とエルニスはその強さに寒気を覚えた。
 再び相手の剣を捉えた時、カーレンが呟くのが聞こえた。
「殺させない、誰も」
「できるかな?」
 男が振り上げ、カーレンが防ぎつつも迫る。
 迷わずに男は艶めいた笑みを浮かべながら素早く身を引いた。
「七年前、何一つ守れなかった君が!」
 その拍子に、月光を反射して刀身が純白に輝いた。閃く刀身に刻まれた文字を見て取り、セルが悲痛な呻きを上げる。
「斬られちゃだめだ、カーレン! 父さんの持ってるそれ、英具だ!」
「何だと!?」
 ラヴファロウが目を瞠り、
「――分かっている!」
 カーレンが叫び返して、再び両者が切り結ぶ。
 ――英具。
 それの意味するところは、つまり。
 思い当たった瞬間、一気にエルニスの喉が干上がった。
(あらゆる生命の神秘を無視する、殺しの聖剣……! 本気でカーレンを狩る気か!?)
「っ、させるか!」
「エルニス!」
 堪えきれずに飛び出すと、男の紫色の瞳と目が合った。
「…………!?」
 途端に、恐怖が襲い掛かり、全身を凍らせた。重圧がエルニスの周りの時間さえもをゆったりとしたものへと変える。
 ――こんな重圧を押し殺して、カーレンは戦っていたのか。
 冗談、とエルニスの口が音もなく動く。
 こんなものに勝てるなどと、カーレンは本気でそう思っているのだろうか。
 戦慄した時、いつの間にやってきていたのか、赤毛の少年がエルニスの目前に立って、両手を重ねて前に突き出していた。
「――ごめんなさい」
 小さく呟く彼の目に、自身や戦いへの怯えはあっても、迷いはない。
「ブレインッ!」
「っ」
 セルの叫びに、少年の肩が小さく震える。
 結果、その瞬間に繰り出されるはずだった数十本もの黒い鞭は、ぎりぎりでエルニスをかすめて背後の大地へと突き刺さった。
 乾いた音と共に、色を失った砂が勢いに煽られてエルニスの元まで届く。その隙にどうにか追いついたベルの手が、エルニスを掴んで引き寄せていた。
 勢いに任せて面と面をつき合わせられたために、額がしこたまベルの頭にぶつかる。が、そんな事など気にも止めないというように、彼女はエルニスに怒鳴り散らしていた。
「あんた、馬鹿!? 見境なしに飛び出すなんてどれだけの命知らずよ!? 今日で何度目だと思ってんの!」
「わ、悪い……つい」
「ついじゃないわよ、ついじゃ!」
「! おい、来たぞ!?」
 至近で叫び合っていたのが良かった。ベルを抱えて飛びすさると、さっきまで自分たちがいた場所に鞭が鋭く突き立った。途端に、地面が砂漠のように乾いていく。
 その様子を、エルニスは険しい顔で、一方、自分を助けるのに夢中で一発目に気付かなかったのか、ベルは唖然として眺めていた。
「……生命力を奪うっていうのは、本当みたいだな」
 ひきつった笑みが、顔に浮かぶ。
 笑えない。
 生命力はドラゴンの命綱だ。魔力のもとであり、傷を癒す再生力の源であり、寿命も生命力次第で伸びる。逆に弱れば、その全てが衰えていく。その命綱が切れにくいからこそ、知ある魔物の中でも最強を誇る事ができるのだ。
 その前提を覆すこれは、洒落にならない脅威だった。
 一度にどれだけ吸い出すのか知らないが、相当の量を一度に吸えるのだろう。
「申し訳ないけど……」
 声を聞きながら、エルニスはずるずると集まってくる化け物たちを無表情に眺めていた。
 何も感じていないのではない。
 人外と化した少年と、ものも言わない偽体の群れ。
 悪夢としか思えないような脅威に、心臓が凍りついたような気分だったからだ。
 ずるっ、と少年の足元が地面に溶け、泥のような漆黒のぬかるみを作る。
 ぬかるみに手を差しいれ、槍状の形をした武器を引きずり出しながら、少年は呟いた。
「――貴方たちに、死んでもらいます」


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