Dragon Eye

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第一篇 - 四章 『鐘よ、朝を告げよ』

-6- 嘘の命

 ティアたちの目の前を、貴族たちが通り過ぎていく。
 その中に黒髪の少女の姿がありはしないかと、ティアは懸命に大勢の人間からできている列を目で隈なく探していた。
 と、セルが横から小声であれ、と言って、列の中の一人を視線で示した。
「あれが炎塔のルヴァンザム――ルーベム・ラーニシェスだよ」
「あの人が――?」
 ティアは目を丸くして、セルが示した男を見た。
 優雅に歩くその姿は、他の貴族に勝るとも劣らない。
 病的なまでに白い肌に、貴族にしては珍しい長い漆黒の髪が、いっそ不気味なほどよく映えていた。
 と、その紫色をした瞳がこちらを向いて、ティアはぎくりと見を強張らせた。
 ルヴァンザムの視線がしばらくじっとティアに注がれ――、なぜか、彼はふっと、感情の読めない微笑みを浮かべて目を逸らした。
 傍らを歩いている騎士のような男に、ルヴァンザムはぼそぼそと何事かをささやいている。きっと彼がエリック・ヒュールスなのだろう。男がこちらを見やり、僅かに目を瞠った気がした。
「……気付かれたね」
 慌てる事なく、セルがぼそりと呟いた。
「そんな事を言ってる場合じゃないわよ。炎塔の黒幕に見つかっちゃった……」
 ティアが蒼ざめると、セルは首を振った。
「大丈夫、彼は何もしない。というか、その事じゃなくて」
「何?」
「ラヴファロウが、ルヴァンザムを見ていたから……僕達の存在にも気付いちゃったみたいだ」
「うそ!?」
 小さく叫んで、はっとティアは口を塞いで素早く辺りを見回した。誰も聞いていなかったのを確認してから、セルがなぜ慌てていないのか、改めて疑問に思った。
「カーレンにもばれたのに、何でそんなに落ち着いていられるの……?」
「アンジェリーナ、考え過ぎだよ。僕の話を聞いていた? カーレンが気付いたなんてこれっぽっちも言ってない」
 セルが軽く呆れた顔をした。
「気付いたのはラヴファロウだけだ。カーレンはそんなにルヴァンザムに注目してなかったから、彼が僕らの方を見た事が分からなかったんだよ」
 言われて、恐る恐るラヴファロウの方を見やると、目が合った。
 しっかりとこちらを見ている――苦い表情で。
 しかし、カーレンには顔が見えないようにと、テラスに半分もたれかかっているのを見て、ティアは驚いた。
 秘密にしておいてくれるのだろうか。
 ラヴファロウは明らかに、余計な事を……、という目でこちらを眺めていたが、その口元が大きく動くのが見えた。
『フォローはするが、ばれない保障はできねぇからな』
「……あ、ありがと」
 大きく口を動かして感謝の意を伝えると、ティアはセルに顔を戻した。
「ねぇ……この後って、確か」
「うん、踊るよ。……くれぐれもカーレンの側に行かないようにね?」
「わ、分かってる」
 こくこく頷くと、ティアは絃楽器が奏でる華やかな前奏が聞こえてきたのに気付いて、身を硬くした。
 その様子を見て、セルは苦笑しながらもティアの手を取った。
 軽く腰を折って、遊びのように手の甲に口付ける。
 ちらりと、悪戯っぽい上目遣いでセルは微笑んだ。
「それじゃ、踊ろうか。我が小さな姫君?」
「もう、からかわないで、シウォン」
 ティアはぱっと頬を赤く染め、セルを睨みつけた。
 兄は軽やかな笑い声を上げながらティアをリードして、優雅に踊りの中へと誘っていった。

□■□■□

 冷たい夜風が、ポウノクロスの町を囲う壁の外には吹いていた。
「――ふん?」
 ロヴェは壁にもたれながら、感心して鼻の奥で唸った。
「これだけの数をよく集めたな」
「はい。あの、言われた通りの数は、ここに来る途中から呼び寄せていましたけど」
 答えたブレインは、ロヴェの目の前に立っている人間たちを、おそるおそる指差した。
 無理もない、とロヴェは思う。物も言わず、数十対もの見開かれた空虚な瞳が、こちらをじっと見つめてくるのだ。しかも検問所からも遠く離れた防壁の外という、目立たなくて暗い場所に集めたせいで、更に不気味さに拍車がかかっていた。
「……おい。何も、全員にこっちを見させなくていいんだぞ」
「あ。そうなんですか? ……それなら、こうします」
 ブレインはほっとした様子で、手をすっと動かした。

 それだけで、一斉に彼らは目を閉じてその場に跪く。

「あぁー……こりゃ、ちょっとした部隊だな」
 呟いて、ざっと頭を垂れている人間たちを見渡していると、こちらに向きなおったブレインが口を開いた。
「……あの、どうして彼らが必要なんですか?」
 聞かれて、ロヴェは彼を見下ろした。
 困惑した顔でこちらを見上げてきているブレインに、ロヴェは小さく微笑んだ。
「成獣したドラゴンから命を奪おうと思うなら、短時間でかなりの傷を与えなければならない。これは、なぜか分かるよな」
 いきなり聞かれて、ブレインは面食らった顔をしたものの、ロヴェの質問に頷いた。
「はい。傷に強いから、ですよね」
「うん。まぁ、それもあるな」
 ロヴェは再び、ブレインが連れてきた人間たちを見た。
「ドラゴンが脅威だと恐れられてきたのは、牙や爪、筋力でもなければ、魔術でも呪いでもない。再生力も強いが、そんなものは他の魔物だっていくらでも持っている。――本当に脅威なのは、瀕死だと思われる傷を負っても、すぐには死なない事だ。傷口から出血を止める事が出来れば、死にかけの状態から持ち直す。とにかく強い生命力を持ってる――というのが、人間の考えだな。実際、"悪なる赤"と呼ばれたアラフル・クェンシードは、千年以上経った今も生きている」
「千年って。千年前といえば、ほとんど聖戦の時代じゃないですか」
「はは……。そうか、教会はあの戦いを聖戦と祭りあげているんだったな」
 ロヴェは乾いた笑い声を漏らした。
「とにかく、そんな強い生命力を持っていたんじゃ、いくら傷をつけても話にならない。……ただ、こいつらは見ての通り、普通の人間じゃない」
「――偽体、とルヴァンザム様は呼んでいましたけど」
「そのまま、偽りの体だ。一度死んだ人間の身体に魔術の核を埋めて、生きた操り人形とする。核は人形そのものを変質させ、やがて、異形の力を持った化け物を作り出す。――当然、死んでいる訳だから、二度も死ねる訳がないよな。だが、死んでいるからこそ、逆に生きているものの生命力を奪い取れるという利点も存在する」
「ああ、つまり、ドラゴンの生きる力を弱らせて、それから殺すという事ですか?」
「そういう事だ」
 ロヴェはブレインをちらりと見やった。
「おまえは生きた身体に直接核を埋め込まれたから、操り人形でありながら自我を持ってるんだけどな」
「じゃあ……だから僕は、あの人に殺されなかったんでしょうか」
 ロヴェは一瞬、口をつぐんだ。
 ぽつんと偽体たちの前に立ち尽くし、ブレインは何か、思い詰めたような顔をしていた。
 彼が何も言わなくとも、思い浮かべている人物は、ロヴェには簡単に察しがついた。
「あの時、僕、死のうと思ったんです。そうしたら、みんな、あんな風にずっと笑っていられると……操りさえしなければ、人間らしくいられると思ったから。あの人と、レダンの中に入りこんだあなたが来た時に、そう思った」
 ロヴェが顔をしかめたのを見て、ブレインは軽く慌てたようだった。
「いえ、ルヴァンザム様には言いません。僕も、ロヴェさんがどうしてあんな事をしたのか分かります。……同じ偽体ですから。死にながら生かされているのは、生きているのとは違うと僕は思いますし」
 顔を背け、ブレインは一呼吸おいてから、続けた。
「あの人は、村のみんなの核をひとつひとつ潰していった。そんな中で、僕だけは、あの人は殺してくれなかった」
「――迷ったんだろう。カーレンは」
 ロヴェは呟いた。
「偽体である事は分かるのに、それでもちゃんと生きていたおまえを、殺すべきか、生かすべきか」
 うつむいたまま、ブレインは小さく頷いた。
「僕もそう思います。それに、僕は――多分、半分死んでるようなものだったから、時間を越えちゃったんでしょうけど――ちょっとだけ、リスコに送ってくれた事に感謝してるんです。姉さんと兄さんに出会えて、本当に嬉しかったから。……けど、やっぱり僕は偽体の子供たちを引き寄せてしまったみたいで」
「……あの頃、ルヴァンザムはあちこちで孤児の子供を見つけては、偽体の核となる魔術を施していたからな。おまえがあいつに偽体たちを操る力を与えられていたせいで、そうなったんだろう」
 でしょうね、と呟いて、ブレインは顔を伏せた。
「あんな小さな子供たちまで、偽体にして……ルヴァンザム様の考えている事が、僕には分かりません。それに、僕は姉さんたちに、僕らのこんな姿は見せたくない。――だから、早く終わらせます。こうする必要を、深く考えてしまわない内に」
 ロヴェは項垂れるブレインを見つめた。
「……そうか」
 溜息混じりに言って、ロヴェは空を仰いで星の位置を確認した。
 もうそろそろだろう。
 王都に入って、宮殿に向かった方がいい。
「それなら、始めようか。ブレイン・オージオ」
「はい」
 ブレインは静かな瞳で偽体たちを一瞥すると、手を挙げた。
 偽体たちは、音もなくするりと立ち上がる。
「俺とブレインが先行する。おまえたちは後からついて来い」
 偽体たちに聞こえるように指示をすると、ロヴェはその場で軽く弾みをつけ、跳躍して一気に防壁の上へと降り立った。
 そのまま休まずに跳び、中の建物の屋根に着地すると、人目を避けるようにして宮城を目指す。そのすぐ後に、ブレインが同じように屋根を飛び移りながら続いた。
 偽体たちは何の表情も浮かべる事なく、ただ二人の後を追ってくる。

□■□■□

 胸がざわつく。
 奇妙な感覚を感じて、レダンは伏せていた顔を上げた。
「……何だ?」
 思わず、肩に手が伸びた。左肩の、水晶が溶けている部分がひどく熱い。やけに強い力が中で脈打っているのを感じて、レダンは身を強張らせていた。
 封印が、解けようとしている。
「……よりによって、今日、なのか」
 じわじわと、身体から力を抜く。
 嘆息混じりにそう独りごちた時、鋭い聴覚を持つレダンの耳が、小さな話し声を捉えていた。
「マリフラオ・ディノス……誰と話しているんだ?」
 執事の名を呼ぶと、レダンは立ち上がって部屋を出た。足音を立てないように歩きながら、耳を澄まして、話し声の方向へと近付いていく。
 もうこれ以上は近づけないというところまで近寄り、太い柱に身を隠すと、レダンはマリフラオと話している者たちの様子を静かに窺った。
「――待っていましたよ、ベリブンハント」
「久しぶりね、マリフラオ」
 そんなやり取りをマリフラオと交わしたのは、長い銀の髪に、鮮やかなワイン色の瞳をした女だった。
(あれは……アラフル・クェンシードと同じ匂いがする。クェンシードのドラゴンか)
 女が身にまとう気配からそう感じ取って、レダンは目を細めた。
 マリフラオが隣にいる男を見やった。こちらも、どうやらドラゴンのようだ。
「こっちはエルニス・クェンシード、私の幼馴染よ。そうね――族長の補佐、といえば話は伝わるかしら?」
 ああ、とマリフラオは納得した声を上げた。
「ええ、カーレン・クェンシード様なら、居場所は知っていますよ」
「本当か!? ――どこにいる!」
 エルニスがマリフラオに一歩詰め寄った。  ベリブンハントと呼ばれた女が、不思議そうな顔をしてエルニスを見た。
「ちょっと、どうしたの? さっきからやけに様子が変じゃない」
「あ……いや」
 ためらうような色を顔に浮かべ、エルニスはゆるゆると首を振った。
 その拍子に、首元にちかりと銀に光るものを目にして、レダンは小さく目を見開いた。
 ヴィランジェ。

 あれは、確かカーレンが首につけていたものだ。

「…………どうなっているんだ?」
 小さく呟きが漏れた。
 はっとエルニスがこちらを見やった。
「誰だ!」
 しまった……。レダンは口をつぐんだが、すぐに無駄だと気付いて、大人しく柱の影から姿を現した。
 レダンの姿を見るなり、マリフラオが驚いた顔をした。
「レダン様……お部屋におられたのではなかったのですか?」
「俺は他に比べると耳が良くてね。話し声が聞こえたから来てみれば、」
 レダンは二人を指して、肩をすくめて見せた。
「見知らぬ二人が居た……って訳だよ」
 女がこちらを疑わしげに見つめた。
「あなた、ドラゴンね。里はどこなの?」
「いや。俺ははぐれ者だよ。あえて言うなら、クェンシードと名乗るのが一番近いのかな」
 レダンは首を振って答えたが、エルニスが眉を潜めていた。
「クェンシード? なぜ俺たち一族の名を名乗るんだ」
「一番簡単な理由は……俺に、カーレン・クェンシードと浅くない関係があるからさ」
 薄く微笑むと、エルニスはじっとこちらを見つめた。
「――俺たちは、ティアとセルが舞踏会に向かっているのを見た。マリフラオ、あと……レダン、か? おまえたちは事情を知っているんだな?」
 マリフラオは眉尻を下げた。
「私はあまり深く存じ上げませんが……レダン様なら、セル様とティア様の考えについては、良くお察しかと」
「ならレダン、あなたから事情を聞いた方が早いわね。マリフラオ、カーレンの居場所を教えてちょうだい。……もちろん、代金ははずむわよ」
「いえ、今回は要りません」
「何? ……珍しい事もあるのね」
 女は驚いたように片眉を上げた。
「お金は要らない。代わりに、真っ先に、第一会場におられる我が主のところへ行ってやって欲しいのですよ。どうにも嫌な予感がするので」
 マリフラオは謎めいた微笑を口元に浮かべたが、それだけで女は何かを理解したようだった。
「そう……! カーレンはラヴファロウ・スティルドと一緒にいるのね。エルニス、行くわよ」
 早口に言うと、エルニスの脇を女がさっと通り抜けて行ったが、エルニスはレダンから目を逸らさないままだった。
「カーレンに関係しているというのなら……おまえも一緒に来い」
「いや、俺は……」
 レダンは困って顔をしかめた。そうでなくても、ロヴェがレダンを支配するためにかけた呪いの封印が切れかかっているのを、今も感じている。もしも彼らが戦う事になった時にその場に居合わせてしまうと、まずい事になる可能性が高い。
 第一、セルとティアとの約束も破ってしまう事になる。
「いいから。来てくれ」
 レダンの困惑をよそに、エルニスはきっぱりと言った。
 数秒躊躇したが、レダンが仕方なくエルニスに駆け寄ると、ぼそりと彼はレダンの耳元で囁いた。
「夜が明けるまでが山場だ。……カーレンが危ない」
 それを聞いた瞬間、頭から全ての事が吹き飛んでしまっていた。
 レダンが目を瞠って彼と顔を見合わせると、真剣な視線とぶつかった。
 エルニスは黙って頷いた。

 二人で屋敷を走り出ると、女がいらいらした様子で待っていた。
 レダンが一緒に出てくるのを見ると、女は溜息をついてから口を開いた。
「自己紹介を言い忘れていたわね。私はベリブンハント・クェンシード。ベルと呼ばれているわ。……もし足を引っ張る事になったら、あなたは見捨てるからそのつもりでね。レダン・クェンシード」
 クェンシード、と呼ばれた時に、その口調にいくらか皮肉がこめられている事に気付いたが、レダンは黙って頷いた。
「いいわ。それじゃ、急ぐわよ。……ああ、もう。何なのよ、この胸騒ぎは」
 ベルが毒づくのを聞いていたレダンには、その胸騒ぎの正体が何なのか、大体察しがついていた。
 遠く離れているというのに、それでも感じる重圧には馴染みがある。小走りにベルたちに追いつきながら、王都の外へ向かう方角を見やり、レダンは呟いた。
「……ロヴェが来る」
 彼は、カーレン・クェンシードが邪魔をするなら、彼を傷つけるだろう。だが、殺しはしない。
 それを、心の中で彼の精神と同居した事が何度もあるために、レダンは誰よりも良く知っていた。
 そして、おそらくは。
「狙いはラヴファロウ・スティルドか……」
 彼もまた、ドラゴンと関わったために殺されるのか。
 レダンは、ぐっと歯を噛み締めた。
 ドラゴンに関して、彼には何の罪もないはずだったのに。
「そこまで、自分の一生を狂わせたドラゴンが憎いのか。――ルヴァンザム」
 生まれる前の――まだ卵であった頃から、自分をあの暗い牢に閉じ込めていたように。
 セルが来て、そして、カーレンに出会うまで、自分は己が何者なのかすら知らなかった。
 生きる意味を与えてくれた彼らを死なせてはいけないのだと、強く思う。どんな約束や理由に縛られていようと、それだけは変えられないし、譲れない。
 死なせてはいけない。絶対に、あの日を繰り返してはいけないのだ。
 だが。

『なぜ、死なせてはいけないんだ?』

 ここしばらく静かだった呪いの声が、小さくレダンに囁きかけた。聞いた事のある声で。
『おまえはもう罪人だろ? その血まみれの手に全てをゆだねればいい。殺せよ、レダン。殺し尽くせ』
「――うるさい。あんたは、嘘をついてる」
 耳障りな笑い声が、頭の中で響く。レダンは一瞬だけ目を閉じて、耳障りな呪いの声を断ち切った。
「一番辛いのは、あんたのはずだろう……ロヴェ……!」
 ――この手が憎くなかった日など、一度もない。
 そして、琥珀の瞳が紡ぐ嘘が、悲しくなかった日も。
 きつく握り締めた拳から、音もなく血が滴り落ちた。

□■□■□

 くるくると、二人で廻る。
 まるで自分ではなく、世界の方が廻っているような錯覚を覚えながら、ティアはセルに導かれるようにして踊っていた。
 周りで踊る人々の間をすり抜けるようにしてステップを踏むと、セルはティアに微笑みかけた。
「練習では足がもたついてたけど……うまくなったね、アンジェリーナ」
「そりゃ、あれだけマリフラオさんの足を踏んじゃったら、嫌でも上手くなるわよ」
 目を合わせて、くすくすと笑い合う。
 これがただの舞踏会だったなら、本当に楽しかったはずなのに。思いながら、ティアは笑ったその顔を僅かに曇らせた。
 エリシアは、まだ見つかっていない。舞踏会に参加していないはずがないのだが、どうやら踊りはせずに他の場所にいるようだった。
「そろそろ、他の人とも踊り始める頃だよ。さっきも言ったけど、本当にカーレンには気をつけて」
「分かったわ、シウォン」
 セルの囁きに頷きかけて、ティアは繋いでいた手をすっと離した。くるりとその場で廻りながら、近くに差し出されていた手を取った。
 顔を上げると、そこで出会った鮮やかな紫色に、ぎくりと身を強張らせた。

「やぁ。君とここで出会えるなんて、光栄だね。ティア・フレイス」

「……ルヴァン、ザム」
 男の名を目を瞠って呟くと、ルヴァンザムは薄っすらと笑いかけた。
「エリシアに会いに来たのかな?」
 聞かれて、ティアは驚きから覚めた。
「ええ……あなたたちは?」
「そうだね、少し狩りをしに来た」
 ルヴァンザムは表現こそぼかしたが、明らかに人を殺しに来たのだと、ティアは動揺して瞳を揺らした。
「ドラゴンを狩るの?」
「いや。カーレンではないよ」
 答えて、ルヴァンザムはティアの手を少し強く引き、巧みな足運びで二人の身体の向きを変えた。
「正確には、彼に魅入られてしまった哀れな子羊を、だね」
 まるで聖職者のように言う。
「子羊……?」
 声が少し震えたのを、隠せただろうか。
 ルヴァンザムは底冷えのするような目で、冷たい微笑みを表情に浮かべて囁いた。
「ラヴファロウ・スティルド」
「!」
 驚きに足が乱れたが、それを感じさせない動きでルヴァンザムは危なげなくティアをリードした。
「ただし、彼を守ろうとしたなら、カーレンにも少し仕置きをしなくてはならないけれどね」
「……させないわ」
 自分で呟いて、ティアの中に迷いが生まれた。
 そんな事ができるのだろうか。本当に、自分の力だけで?
「できるかい? 君に」
 ティアの心を見透かしたように、ルヴァンザムが言葉を重ねた。
「ドラゴンアイは確かに強いし、絶大な力だ。しかし、君自身を強くする訳ではない」
 そんな事は分かっている。
 けれど、本当に分かっているだろうか。反論を呑みこみ、ティアは唇を噛んだ。
 いくら心を奮い立たせても、迷いが消えてくれない。
 ただ、そう――確かなのは、自分が強くならなければならないという事だ。カーレンや、レダンを信じる強さを持てなかったために、ティアはここに居るのだから。
「君が強くなりたいというのなら、私はそれを叶える事ができるよ」
「え?」
 何を言いたいのかが分からなくて、ティアはルヴァンザムの目を見つめ返した。
 踊るのに合わせて、ルヴァンザムの顔にかかった黒髪がさらりと揺れる。その動きに紛れるように、彼は口を開いた。
「向き合う心の強さを、私は君に与えられる。さぁ、ティア。彼が君の故郷に何をしたのか、知りたくはないか?」
「……!」
 ティアは、すぐに答える事ができなかった。


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