Dragon Eye

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第一篇 - 四章 『鐘よ、朝を告げよ』

-5- 朝への始まり

「……こりゃ、すごいな」
 ラヴファロウが隣でそう呟くと、乾いた笑いを漏らした。
 カーレンは賓客の待合室前のテラスから、既に満杯に近い会場を見下ろした。
 舞踏会は夜になってからのはずだが、日が沈む前から会場となる宮殿は、着飾った男女やその護衛に就く者たちで溢れかえっている。しかも会場はこれだけではなく、別の場所に第二、第三会場を設けているので、とにかく規模が大きい。
 これではさすがに誰かが妙な行動を取っていても、警備の兵がそれを見つけ出すことは至難の業だろう。
 各人が護衛を連れて来るのは当たり前といえばそれまでだが、見るところを間違えなければ、どの護衛も相当の腕利きである事は明らかだった。警備が信用できないという証拠だ。
 大きな騒ぎは起こらないだろうが、今の段階から、水面下で暗殺者と護衛たちの必死の攻防は始まっているのかもしれない。
 カーレンは彼の後ろに控えながら、周囲に不審な人物がいない事を、目だけを動かして確認した。
「警備がいくら厳重でも、これでは意味がなさそうだな」
「ああ。国家規模の行事だ、そりゃあちこちから賓客も来る。おまけに王侯貴族の護衛もついてくるとあれば、まぁこれぐらいは当然だよな。……つっても、予想以上だ。ポウノクロスは一体どれだけ諸国から呼び込んだんだか。で、」
 ラヴファロウは緑色の瞳をカーレンに向けた。
「ティアたちから聞いたぞ。おまえ、長になったって本当か?」
「ああ、いや。そう、第一継承者といったところだな。だが、今はまだ無理だ」
 カーレンは目を伏せた。
「放り出してきたとしか言いようがないが……まだ、長を継ぐ事ができない」
「……何つうか、あれだ、いかにもおまえがやりかねん行動だな」
 ラヴファロウが小さく呆れた時、カーレンはその顔の前に素早く手を差し伸べた。
 瞬間、きょとんとした顔をした友人に、カーレンは溜息をついた。
「気をつけろ」
「……なるほどな」
 呟くと、ラヴファロウは抑えた笑みを浮かべた。
 カーレンは彼の前で、くるりと手に捉えたナイフを回すと、しっかりと握り直した。
「勘が鈍っていないか」
「まさか。おまえが居るから任せてるだけだぜ?」
 どうだか、とカーレンは内心で呟いた。
 しかし、確かにナイフは見えていたのだろう。全く驚いていない上に、手が小さく動くところも、カーレンがナイフを取る時にちらっと見た。
「ま、ドラゴンの長の第一継承者が直々に護衛についてくれるってんなら、これほど心強い事もないよな」
 笑いながら頭をかきあげた――かに見えた手は、やはりしっかりと、自分に向けられたナイフを掴んでいた。
 正確には、それを握る第三者の手を。
「呑気だな、こんな状況で」
 テラスに視線を戻し、カーレンは言う。その合間に、ラヴファロウによって数秒で屈服させられた暗殺者の呻き声が上がった。
「呑気でなきゃ、やってられねぇってやつだよ」
 笑いながら言う事ではない。
 暗殺者らしき男に目を落とすと、意識を失っていた。組み伏せられた時に、頭でも打ったのだろう。
 廊下の向こうからやや急いだ様子で警備兵がやってくると、慣れた手つきで昏倒した男を縛り上げて引っ張っていき、それで『ちょっとした小競り合い』は収まった。
 警備兵の隊長からの礼に手を振って応えると、ラヴファロウはカーレンに向き直った。
「…………」
 いつまで待っても、声がかかってこない。
 それなのに何やら言いたげな気配を察して、カーレンは僅か、溜息をついた。
「――それで? 聞きたい事はそんな事ではないだろう」
「さすがだ。やっぱ察しがいいな」
 言って、彼は肩をすくめてみせた。
 おまえがそうさせたんだろうと軽く睨むと、ふっとラヴファロウは笑んだ。
 だが、その笑みもすぐに消えた。
「ずっと、おまえの意思を尊重して避けてきたんだが……これだけは知っておきたい。エリシア・メイジは、おまえの寵姫なのか?」
 カーレンはラヴファロウを見返していた。
 どう答えるべきか、返事に詰まる。
「……実を言うと、分からない」
 ラヴファロウに再び背を向け、様々な言葉を思い浮かべたが、結局そのほんの一部を口にした。
「憎まれる心当たりはあるのか?」
「……それに値する仕打ちを、私は寵姫にしたはずだ。ただ、それでも今は彼女の心が分からない」
 カーレンは振り向いた。
「何故、炎塔なのか。復讐したいのなら、すぐに私を殺しに来ればよかった」
 途端、目に入ったのは、いかにも嫌そうな、ラヴファロウの強烈な表情だった。
 彼の引きつった表情を見るなり、カーレンは少しだけ目を細めた。
「……何かまずかったか?」
「まずすぎだ、どあほ」
 即答で返されたのは返事だけではない。
 目にも留まらぬ一撃を右の頬に思い切り喰らって、カーレンは思わずよろけた。まるで力が手加減されていない。
 どうやら、相当に彼の気分を害してしまったようだった。
「……あーくそ、やっぱ着いてきて正解だった」
 殴った方の手を振りながら、ラヴファロウが忌々しげに言った。
 カーレンは頬に残る鈍い痛みに耐えながら、小さく切った口の端を、舌で軽く舐めた。
「心外だな」
「うるっせぇよ。おまえがあんまり命を大事にしねぇから、俺がこうやって苦労する羽目になるんだ……そこ、分かってるのか」
「命を大事に……か」
 カーレンは呟き、室内の方を向いた。ラヴファロウに殴られた所は、幸い二、三人しか見ていなかったらしい。護衛が横暴な主に殴られるという風に彼らの目には映ったのだろう。関わりたくないのもあってか、あまり気にしていないようだった。
「――そういえば、彼女にも言われたな」
「寵姫に?」
 カーレンは頷いた。
「例え死を望んでも、生きろと……。彼女は、私が生きてくれる事を願った。私はその願いを叶えた。あの子の側に、その存在を示す事で。……だが」
「炎塔がやってきたのか」
 ラヴファロウは腕を組んで、小さく顔をしかめた。
「私が気付いた時には、あの国は彼女が居た地域を除いて、そのほとんどが死に絶えていた……。日常はそのままに、中身は変わり果てて、私の手ではどうにもならなくなっていた。ルヴァンザムの力は恐ろしく強い。私はあの子を救うだけで精一杯だった」
 カーレンは一度目を伏せて、ラヴファロウを見返した。
「そうだな。おまえにだけは話しておこう。後半は途切れ途切れで、全てを思い出せはしないが……それでも分かる事はある」
「俺がティアに話すかもしれないぞ。いいのか」
「それは……おまえの自由にするといい」
 カーレンは力なく俯いて、目を足元に落とした。自分ではなく、他者が客観的な事実を伝えるのならいいのか、と僅かに自嘲の笑みを漏らす。
「ラヴファロウ・スティルド。おまえだから話せるんだ。今の私を最も良く知る、おまえだけにしか……たぶん、私の事が理解できないだろうから」

□■□■□

「よし、そこの二人、通っていいぞ。――中では舞踏祭の真っ最中だからな。人に踏み倒されんように注意しなよ」
 ポウノクロスの王都の検問所で、憲兵が並んでいた二人の男女を呼んだ。
「ええ。ご忠告どうも、憲兵さん」
 女は爽やかな笑みと共に軽く会釈し、ワイン色の瞳を片方だけ瞑ってみせた。憲兵は僅かに頬を赤らめた。が、隣に居た男が鋭い視線を投げかけると、すぐにはっと我に帰り、咳払いをしてから、次に待っていた人間にも通れと許可を出した。
 二人はそのまま人の流れに沿って、王都の中心部へと向かって行った。舞踏会が行われる会場はすぐそこまで迫っていたが、その流れには乗らず、男女は屋敷の立ち並ぶ方向へと、そこから吐き出される人ごみに混じり、逆らうように進んでいく。
 しかし、貴族などの賓客が多く見られる場所に来るようになっても、男だけは慣れない状況に戸惑うように、子供みたいにきょろきょろと辺りを見回していた。
 女はくすくすと、男のそんな様子を見て笑った。
「やあね。まだ慣れないの、エルニス? ぴりぴりしすぎよ」
「……こんなに人間の多い人里に降りた事がないだけだ、俺の事は気にしないでくれ。……それでベル。カーレンがどこに居るのか、居場所は見当がついているのか?」
「何となくね」
 ベルはにっこりと満面の笑みを浮かべた。ほっそりとした指で差した先には、豪奢な王城の様子が見える。
「貴族様のところにいるんじゃないかしら? 彼、人間の基準から見たら、旅人の中でもいい格好してたわ。きっと有力者の知り合いが居るのね」
「あいつが特に人付き合いがよかったとは思えないんだが」
「またそんな事を言って。居場所が絞れそうな知り合いが居ただけ感謝しないと。もしもアラフル様がオリフィア国王からの手紙だと見破れなかったら、この広い王都を探し回らなきゃいけないところよ。あんただって、その重い紋章を早く身体から放したいんじゃない?」
 指摘されて、エルニスは鉛並みに重い溜息をついた。頭が同時に大きく上下し、その拍子に首元に白金の輝きが零れ落ちた。
 輝きの源は、天へと翼を広げ、今まさに飛び立たんとするドラゴンの姿を象ったシンボルだった。表面に傷は一つもなく、なめらかで光沢のある表面が光を照り返して、目が生き生きと輝いている。じっと見つめていると、生きているのではと勘違いをしてしまいそうなほど、静と動が一体になった姿がそこにあった。
「長の証だから、肌身離さずっていうのは分かるんだけどな……一体何で俺に渡すかね」
「でも、話に聞いたところじゃ、長になったアラフル様の頭に紋章をかけたのはラジクおじさんらしいじゃない。その息子であるあんたが、同じくアラフル様の子であるカーレンにそれを手渡すのは、考えてみれば極めて自然な事なのよ?」
 ベルは微笑んでそう答えた。
「さて。私もそろそろコネを使いましょうか。実はポウノクロスに、ちょうど知り合いが居合わせてるのよね。情報をとっても良い値でくれるから重宝してるんだけど。屋敷に居るかしら……」
「屋敷って事は、そいつは貴族なのか?」
「いいえ。その貴族に……確か、ラヴファロウ・スティルド、オリフィアの将軍だったかしら。執事として仕えてるのよ。名前をマリフラオ・ディノス。ま、友達みたいなものね」
「おまえと気が合うんならよっぽどの変人だな……あれ?」
 ぼそりと呟いた時、エルニスはあるものに目を止めた。

 と、思い切りベルに足を踏まれた。

「てっ!?」
「いつもいつも一言多いわね……あんたには学習能力ってもんが欠如してるのかしら」
 呆れた口調で言われたが、今度ばかりは、エルニスはベルを軽く睨んだ。
「馬鹿、おまえのせいで見失ったぞ」
「何をよ?」
 エルニスは小さく振り向いた。たった今すれ違ったはずの、見た事のある顔を思い出す。向こうは気付いていなかったようだが、あれほど目鼻立ちの整った顔を見間違えるはずがない。
「セルだ」
「うそ、本当に彼なの?」
「ああ。……それにしては、やけに身なりが良さそうだった。あと、あれは……ティア、だったのか?」
 いまいち自信がないのは、あまりにも記憶の中の少女と、すれ違った彼女の様子が違ったからかもしれない。腰まであった髪が、きちんと丁寧に梳かされて、しかも綺麗に結い上げられていたからだ。
 気品のあるドレス姿は、どう見ても舞踏会に向かう貴婦人たちと同じ類のものに見えた。
 孤児の少女だと聞いたのに、そんなものを着ても気後れする事なく、堂々とセルと親しげに腕を組んで歩いていく姿が目に焼きついて離れなかった。
 ベルはしばらく疑わしそうな目で貴族たちが通り過ぎていく通りを見ていたが、やがて、深刻な表情こそ浮かべなかったものの、首を不安げに小さく振った。
「……急ぎましょう。何か嫌な予感がする」
 エルニスは頷いた。首から外に出たままの長の紋章を服の中に放り込むと、少しためらったが、代わりにヴィランジェを引っ張り出した。
 何もなければ、それでいいのだ。
 しかし――兄の呼びかけに答えるように、ユイの遺した力の断片は、未来の先の暗い闇をほんのりと照らし出した。

 そこに血の色で滲み出たのは、十字架にかけられたドラゴンの姿だった。

「っ……!?」
 ――口に出さなかったのは奇跡に近い。
 エルニスは息を呑みそうになったのを、咄嗟に手を当てて息を止めた事でどうにか阻止した。
 心臓が一気に早鐘を打ち始め、呼吸しているだけでも、緊張に苦しくなってくる。吐き気がして喘いだが、何とか先をゆくベルに振り返られる前に追いついた。
「どうかしたの? 顔色悪いわよ」
「いや……何でもない」
 何食わぬ顔で嘘を吐くのにかなりの労力を裂いたが、エルニスはどうにか呟いた。
 首をかしげながらベルが首を戻すのを確認すると、恐怖に鷲掴みにされた心を叱咤しながら、エルニスはヴィランジェを隅々まで凝視した。
 十字架に、巨大な剣で磔にされているドラゴン。苦しんでいるようには見えない。ただ、目を伏せている。
 震える手でそれを裏返すと、もう一つのユイの言葉が託されていた。
 鐘の印。東の印を中央に抱えた太陽に照らされ、大きく揺れている様子が表してあった。
 ――鐘……朝を告げる鐘の音か。
 その時に、何かが決まるのだと直感した。
「カーレン……?」
 震える声で、彼の名を囁く。
 朝が来るまで、カーレンは生きているのだろうか。

 それとも。

□■□■□

 ティアは見知った顔を見た気がして、咄嗟に後ろを振り向いた。
「どうかした、"アンジェリーナ"?」
 兄の声にはっとして、ティアはセルを見つめた。
 そう――今の自分は、アンジェリーナ・ミーナ・ファジオン。貴族の令嬢で、彼の恋人役として共に歩いているのだ。
 当然、仕草も変わってくるが……そこは、マリフラオに猛特訓されたおかげでどうにかなった。
 セルは生まれた時から貴族だったおかげで、優雅な仕草も型にはまっている。すっかり、礼儀正しい完璧な貴族の青年となっていた。
「ええ……"シウォン"。私たち、今エルニスとすれ違わなかった?」
「エルニス? ああ、そうだね」
 セルは薄っすらと微笑んで頷いた。
「確かに見た気がする……ベルも一緒だったよね?」
 セルもまた小さく後ろを振り返るが、当然ながらもう彼らの姿は見えなかった。
 ひょっとしたら人違いだったのかもしれない。だが、もし本当に彼らだったのだとしたら、どうしてここに居るのだろうか。
 内心で首を小さく傾げると、ティアは前に顔を戻し、それにしても、と小さく呟いた。
「……本当に大丈夫かしら。カーレンに見つからなければいいんだけど」
 髪型も雰囲気も、鏡を見た限りではかなり変わっている。顔には粉がまぶされ、唇は薄くふっくらと紅で色づいているために、顔を見ても目が合わない限り、すぐにぴんと来ないだろう。絶対に彼に出くわさないという自信もなかったので、そこは運次第だ。
「アンジェリーナ、あんまりきょろきょろしてたら怪しまれるよ」
 と、セルが横から小声で注意してくれた。
「あっ! ご、ごめんなさい、にい……じゃなかった、シウォン」
 くす、とセルは堪えきれないように噴き出した。
「だいぶ大変みたいだね。会場に着いたら、なるべく人気のないところに移ろうか」
「…………うん」
 顔を伏せると、ティアは顔を真っ赤にしながら頷いた。
 全く、恥ずかしいったらない。
 何をしているのかと自分を叱り、まだ頬をほんのり赤く染めたまま、ティアは前をしっかり見据えて歩き続けた。
「……ねぇ、シウォン」
「ん?」
「レダンの事……あなたのドラゴンアイの事。どうして、話してくれなかったの?」
 ティアが聞くと、セルは目を逸らした。
「……そう。君も、とうとう知ったんだね」
「……ええ」
 兄の口調に滲む苦さを感じ取り、ティアはためらいがちに頷き返した。
 セルはしばらく、遠い日の記憶を目の前に浮かべていたようだった。
「――僕が会わなくちゃいけない相手はね。二人いる」
 ややあってセルが語り始めたのは、レダンとは全く無関係の、別の事だった。それでも、ティアには聞いてほしい話だったのだろう。察して大人しく耳を傾けていたが、途中でティアは眉を潜めた。
「……二人?」
 一人ではなかったのか、と兄を見返すと、歩きながら、セルは硬い表情のまま続けた。
「そのうち一人には、シリエル・ファオライの森で偶然会った。逃亡者とその追手という立場でね。もちろん僕は逃げた……エリック・ヒュールスって名前、君もこの前に聞いたはずだ」
 ティアは目を瞠った。兄が炎塔の騎士に出会っていたとは、全く知らずにいた。
「彼はね、僕が小さい頃によく会いに来てくれた人なんだ。貴族の身分としては僕の方が上だったから、年上なのにすごく丁寧に話しかけてくれた。性格がとっても真面目で……なんていうか、僕のお目付け役みたいな感じだったんだ。それでも、数少ない友人には違いなかった」
「……会った時、何か言われた?」
 セルはなぜか、苦笑した。
「何でここにいるんだって驚かれたし、怒られたよ。僕は、向こうにはもう死んでるとばかり思われてたんだから。――そう、九年前に、貴族としての僕は死んだんだ。確かに、死んだ人がいたんだよ、ティアちゃん。僕が……僕とレダンが殺したんだ」
 ティアはセルの自嘲するような表情を見つめている内に、それが誰なのか、分かった気がした。
「――アンジェリーナ・サシャ・ディアン?」
 組んでいた腕に、ぎゅっと力がこもった。唇を噛み千切らんとばかりに、白くなるまで真っ直ぐに引き結んで、セルは目を閉じていた。
「僕のせいだよ。僕が、外に出たいって言ったから……僕が、ここは嫌だって言ってしまったから、あの子は僕として死んだんだ」
「……シウォン」
 名前を呼んで、そっと手を伸ばした。髪を撫でると、セルは僅かに震えてから、薄っすらと目を開けた。
 もう、泣き顔に近いというのに、それでも顔を必死に歪めて笑っていた。
 くしゃくしゃの顔が、迷子になった子供みたいだ。急にセルが、とても幼くなっていた気がした。初めてティアが彼に会った頃の少年の姿にまで戻っているような、そんな気が。
「そしたら、ほら。君が、七年前に現れた。僕は、君がサシャだったんじゃないかって思って……違うって分かっていたけれど、救わずにいられなかった。独りにしてはおけなかったんだ。しかも、僕が自分自身の罪の意識を軽くするために……最低だよ。僕には君の兄になる資格すらなかったのに、君は僕を兄さんって呼んで、無邪気に笑っていたんだ。僕が殺したサシャとおんなじ笑い方でさ。しかも今夜は、同じアンジェリーナって名前を名乗って僕の前にいる。しかも恋人役で、だ」
 あんまり可笑しすぎて、狂っちゃいそうだよ。
 セルは顔の半分を覆いながら、笑って呟いた。
 だが、自分が彼にとって、あまりにも皮肉な役を知らず演じていた事に対して、ティアは何とも言う事ができなかった。セルが七年、どういう思いを秘めて生きていたのかを、ティアが推し量る事などできるはずもない。
 けれど、兄は罪悪感に苦しめられながら生きてきたはずだ。そして、未来永劫、ずっとその苦しみを抱え続ける。
 レダンは、ひょっとしたらセルの事を思いながら、ティアにその覚悟はあるのかと聞いたのかもしれない。
 セルは笑い終えると、ふと表情を消した。
「けどね。これが使命なんだとも思った。この子を僕はずっと守っていようって。そのために、力が必要だった。けど、その力を――ドラゴンアイを、僕はレダンを助けるために使ってしまって、ひどい代償を支払う羽目になった」
「だから、目がいつも……?」
 セルは頷いてから、目を逸らした。
「心配させてしまってごめんね。でも、あれは治るための痛みだから、仕方がなかった。もしも途中で再び使っていたら、もう二度と治らなかったかもしれないってレダンにきつく言われたぐらいに」
 そして、空を見上げた。つられて、ティアもセルと同じように頭上を仰いだ。
 満天とまではいかないが――星空を背景に、ポウノクロスの宮殿がどこか荘厳な雰囲気を漂わせながら、静かに建っていた。
「でも、それも今夜で終わるんだ。僕のドラゴンアイは、この夜が終わったら復活する。……レダンの力は強い。僕だって、魔力を持ってる」
 独白に近くなったセルの言葉を聞きながら、ティアは夢見心地で、宮殿へと足を踏み入れていった。
 だからね、とセルは言った。
「僕は、今度こそ本当に自由になる。自分がこうだと思うように生きてみせる……罪を背負っていても、それでも自由になる。レダンと僕が目指すのはそれなんだ。自由が欲しくなかったら、僕らは出会わなかったんだよ」


 舞踏会の第一会場にまで足を踏み入れると、そこは人で溢れかえっていた。
 セルに肘でつつかれ、指差された先を見ると、二階のテラスにカーレンとラヴファロウの姿があった。こちらには全く気付いていないようだ。
「……見つからないようにね」
 こく、と小さく頷く。
「どうやってこんな人ごみの中からエリシアを探せばいいの?」
「うん。実はね、こういう舞踏会では、王族の他にも大貴族が来ていたりするんだけど……。その貴族が、たまに王族と一緒に、ほら、あの中央の階段を降りてきて、お披露目みたいな事をするんだよ」
 セルが示した階段の先には、巨大な扉が兵士に守られ、ぴったりと閉ざされている。
「あの中から出てくるかもしれないって事?」
「ルーベム・ラーニシェスはね。護衛としてエリック・ヒュールスがついてくるかもしれない。少なくとも、あのドラゴンが一緒に来る事はまずない。とにかくいろんな意味で目立つからね。彼は」
 ティアは出会った時のロヴェの威圧感を思い出し、思わず頷いた。
 確かに、あれは破格だ。
「それで……肝心の彼女は?」
「さぁ……どうだろう。一緒に出てくるか、それとももうカーレンのところに向かってるのかも……」
「でも、それってまずいんじゃない?」
 仮にも炎塔の人間だ。カーレンを見たら何をしだすか分からない。
「エリシアがカーレンに出会わなければいいんだけど……」
「それ以前に、僕らがカーレンに見つからないようにしなくちゃいけないからね。まぁ、大丈夫だとは思うよ」
 セルが肩を軽くすくめた時、会場中に大扉の錠が外される音が響き、会場が静まり返った。
 重々しい音を立てて、扉がゆっくりと開け放たれる。
 ティアが首を巡らせると、数十人の王侯貴族たちが、列になって扉の向こうに並んで立っていた。
「――――来たよ、アンジェリーナ」
 セルが小さく囁くのと同時に――ゆっくりと、長い列が歩みを始めた。 


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