Dragon Eye

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第一篇 - 三章 『北の故郷』

-7- 狂騒の夜

 宴は、ティアが想像していたものとはずいぶんと違っていた。
 屋敷に集められたのだから室内でやるのかと思いきや、歩く方向からして、どうやら外に向かっているらしい。廊下を歩くカーレンの後を追いながら、ティアはそんな事を思った。
「結局、屋敷そのものはただの控え室だったって訳だね」
 セルが言うと、カーレンは薄く笑った。
「当たり前だろう。ウィルテナトに住むドラゴンの数は、昔と比べれば減りはしたが、まだ少ないとは言えない。……その分争い事も耐えないが」
『そりゃあそうでしょう。本質からしてまとまる事に慣れない種族だというのに、こうやって一族として人間のように生活しているんですから、アラフル様の手腕も大したものです』
「全くだ。私に同じ事ができるとは思えん。何を考えているんだろうな、彼は」
「何の事?」
 ティアが首を傾げると、カーレンはそっと目を逸らした。
「いや。大した事じゃ」
『ない訳にもいかないですよ、マスター。いろいろ面倒ですし。あ、説明はアラフル様から宴で直接聞ける事でしょうから、お二人共それまでもう少し待っていて下さいね』
「単に説明が面倒だって言ってるようにしか聞こえないんだけどな」
 セルがぼそっと呟いたが、なかった事にされたらしかった(ティアだけは、あははと乾いた苦笑いを浮かべたが)。
「まぁそう言うな。実際に宴に出れば、嫌でもそんな事は忘れてしまう。……はしゃぎすぎて翌日に熱を出すなんて事にならないよう、それだけは十分に気をつけておけ」
 カーレンは肩をすくめると、立ち止まった。ティアもつられて止まり、目の前にあるものを見上げた。濃い飴色をした木製の大扉で、目を瞠るほど細かい細工の成された取っ手が金色に輝いていた。取っ手の鍵穴らしき場所には、クェンシードの紋章なのか、翼を広げたドラゴンと、その下で身体を休めるドラゴンが描かれている。角の長さが違うので、おそらく雄と雌なのだろう。迷う事なくカーレンは取っ手に手をかけると、見るからに重そうな扉を片側だけ開いた。もう片方をこっそりティアも押してみたが、びくともしなかった。見かけによらずという言葉ももうあてはまらない気がする。あっさりとこんな重いものを動かせたり、通りをはさんで向かいの建物へと飛び移れたり、望めばできない事もない、たぶんそういう感覚なのだろう。
 開かれた扉の向こう側は、夕闇の中だというのに明るかった。暖色の光がティアを照らし、カーレンのまとう暗い色の衣も、真紅の色に染め上げていた。
 どうやら、開けた場所が屋敷の裏には広がっていたらしい。中央では、丸太を乱雑に組み上げた台が、炎に包まれて勢いよく燃え盛っていた。先ほどの異常なほど明るい光はこれのせいだったのか、とティアは納得した。巨大な火を囲むように、大勢の人の形をした影が騒いでいる。
「……うわぁ」
 思わず歓声を上げると、カーレンがにやりと笑った。
「ウィルテナトの歓迎は荒っぽいぞ。宴が終わった後で、火傷を負っていない者は一人もいないぐらいだからな」
「何でそんな事になるのさ」
「一番よくあるのを上げるとすれば、全員がふざけて火の中を通り抜けるんだ」
「……うわー」
 別の意味でセルが声を上げた。ティアのそれとは違い、声は呆れを含んでいて、やや低めだった。
「他にも、口に含んだ酒を火に吹きかける真似をする豪儀な奴がいたり、本当に魔力で火を噴いたりする傍迷惑な奴がいたりと原因はいろいろなんだが、言える事は結局これぐらいだな。……まぁ、ほどほどに頑張ってくれ」
「その控えめな応援は何の冗談だい?」
 カーレンのにやにや笑いとは対照的に、セルが恐怖に引きつった笑いを浮かべた。ティアも苦笑しながら先ほどまでの高揚はどこにいったのかと自分の内側を探すが、どこにもない。なにやらとんでもない事に巻き込まれた気がしてきたところで、カーレンが打って変わって、遠い目をしているのが目に留まった。
 瞬間、ティアから笑みは引いていった。
「……あ」
 見てはいけないものを見てしまった気がして、ティアは顔を曇らせた。やはり、ユイの事は話に出すべきではなかったのだ、と今更ながらに後悔する。心配させまいといつも通りに振る舞っているのだろうが、そのせいで時折、彼もあまり見せない表情を出していて、余計にちぐはぐに思えてしまった。
 気付いてしまったら、彼の気遣いも無駄になる。気付かないようにしなければ、とティアはその様子から目を逸らした。
 俯いていると、視線を頬に感じてティアは小さく振り向いた。ルティスが影の中から鼻先だけを出して、こちらを何か言いたげな目で見つめていた。
『……誰でも、そんなものです。無理をしなくてもいいんですよ』
 この狼はいつも何でもお見通し、という訳か。囁きに似た声に僅かに寂しさを感じ取って、ティアは小さく首を傾げて微笑んだ。
「……ルティスも似たような事、あった?」
 蒼い瞳は僅かに細まった。
『ええ。たくさんね。もとから割り切れないものなのだと割り切った方が、かえって楽になった事もあったぐらいに。シリエルは、甘いと切り捨てていましたが』
 苦笑する気配に、誇り高い白狐の姿を思い出し、ティアの顔に笑みが浮かんだ。確かに、割り切ろうとしてもできないものはあるのだろう。それでも割り切って立ち向かおうとしている彼女の姿が、すぐ目の前に見えた気がした。
『さ、宴を楽しんできて下さい。少しの間だけでも忘れさせてやれば、マスターもすぐに立ち直りますから』
 頷き、ティアは顔を上げた。少しだが、自信を持てた気がした。
「ありがと、ルティス」
 小さく呟くと、微笑む気配が背後でして、するすると影の中に沈んでいった。ウィルテナトでの決まり事さえなければ、いつもこうして慰めてもらえるのに。けれど、あまり頼っても駄目なのだろう。
 セルを見ると、ルティスとの会話には気付いていたのか、首を傾げていた。行こう、と目が促している。カーレンは気付いているのかもしれないが、目を細めて笑っただけだった。
 意地を張ってばかりいる黒狼の主人をティアはじっと見ていたが、不思議と悪い気はしなかった。
 ティアは中央の炎へと近寄ると、激しく燃えるそれを見上げた。ルティスの言う通りかもしれない。今は忘れよう。どうせカーレンも、ここで忘れるつもりなのだろうし。
 内心で呟いた時、ティアの中で、いっその事、思い切って彼が言っていたように炎の中を通り抜けてみようかという考えが浮かんだ。周りを見回すと、かなりの人数が火の中へと飛び込んでいっている。
 思わずつられてティアが一歩踏み出そうとした時、背後から声がかかった。
「こら。炎に挑むつもりなら、水をかぶり忘れているのは頂けないな」
 振り向くと、エルニスが踊る炎を紫色の瞳に映しながら、顔をしかめてこちらを見ていた。見ると、両手には、水の張られた桶が二つ抱えられている。
「水はかぶらないと駄目なの?」
「俺たちはドラゴンだからあまり気にしないけど、君は一応人間だろ? 万が一に大火傷を負ったってすぐに治るわけじゃないし、そんな事になったらこっちも後味が悪いしね」
 ティアは首を傾げたが、そう言われて納得した。ただ、わざわざ水の桶を用意している所を見るに、通り抜けをやらせる気は満々だったようだ。視線をもう一度エルニスに戻すと、彼はにやにやと笑っていた。
 思わず苦笑いを浮かべながら差し出された片方の桶を受け取ると、ティアは軽く深呼吸をして、それを一息に被った。冷たい感触が背中や胸を伝って、全身へと広がっていく。途端に襲ってきた寒さに、意識しなくても身がすくんだ。
「ほら、勢いよく行って。君もずいぶん思い切りがいいと思うけど、それ以上に大胆にいかないと、怖いかもしれない」
 寒くてそれどころではなかったが、エルニスの言う通りだった。炎は燃える勢いがかなり激しい。また一つ深呼吸をすると、ティアは台を駆け上がった。
 炎の中に飛び込んだ瞬間、熱いを通り越した凄まじい熱がティアを襲った。うっと息が詰まり、水はあっという間に身体から蒸発した。肌がぴりぴりと痛むが、それでも水を被ったおかげか、火傷は軽い。髪も肌も、纏う服も炎が舐めていったかと思うと、気がつけば炎を抜けていた。
 ぷは、と息を弾ませて、駆け下りてくると、ティアはしばらくその場に立ち尽くして放心していた。それから思い出したようにあちこちを確かめてみたが、どこも軽い火傷程度で済んだようだ。髪が数本だけ燃えたのか、焦げ臭い匂いは少し鼻についたが、嫌な訳ではなかった。振り向くと、他にも何人かが炎の向こう側から飛び出してきていた。何やら見覚えのある三人も混じっていた気がするが、彼らはティアと目が合うと、乾いた愛想笑いを浮かべながら去っていった。ティアも、同じような笑いを浮かべるしかなかった。名前は知らないが、後で会いに行ってみよう。そうでなければ何となく気が済まないように思った。
 だんだんと通り抜けた実感が出てくると、ほっとするよりも先に興奮が沸き起こってきた。ティアは笑みを浮かべながら、炎の周りをゆったりと歩き、エルニスの所まで戻っていった。
 なかなか戻ってこないのをやきもきしながら待っていたのか、セルが最初にティアの姿を認めて、ほっとしたような、嬉しいような、複雑な表情を浮かべた。どちらにしても、喜びに近いものであるのは変わらない。
「なかなか楽しいものだろ?」
 エルニスが濡れた布を差し出しながら聞いてきたので、ティアは頷いて返し、布を受け取った。雪解け水を使ったのか、きっちり絞られているものの、恐ろしく冷たい。布を頬や火傷した部分に当てたりして、少しの間ティアは布の冷たさを楽しんだ。炎のおかげですこし寒さは和らいだが、いきなり熱かったり冷たかったりと温度が激しく変化したせいか、緊張して、浮かべた笑みは少し硬くなった。
 強張った頬をほぐしていると、エルニスが隣に立つセルに目をやった。
「そういや、セル。もう目は痛くないのか?」
「うーん……」
 セルは困ったように笑って、目を細めた。
「楽しすぎてそれどころじゃない、かな」
 肩をすくめながら言われると、エルニスは声を上げて軽く笑った。
「それもそうか。――そら、君もやってみろ!」
 言うなり、残っていたもう一つの桶の中身を、エルニスは空へとぶちまけた。襲いかかった水の冷たさに二人が笑い混じりの悲鳴を上げ、そのまま大笑いを続けながら、同じように炎の中を潜り抜けていった。彼らが戻ってきた時には、あまりにそれが予想外で突拍子もなかったために、ティアは寒さを忘れてその場で笑い転げていた。
 ひとしきり三人で笑い終えると、エルニスが目尻に溜まった涙を拭いながら、息をついた。
「ああ、こんなに馬鹿騒ぎをしたのも何年振りだったかな。いつも楽しいけど、今回は特別だよ」
 言った彼の顔は、熱に火照って赤くなっている。セルも同様に頬を真っ赤にしていたので、この分だとティアも同じようになっているのだろう。ティアは声もなく頷いたが、笑いすぎて、息も絶え絶えだった。痛む腹を抱えながら、思わずくしゃみをして、それでまた三人で笑ってしまった。
「そのままじゃずぶ濡れで寒いだろ。何か暖かいものをもらってくるよ。待ってな」
 くっくっと笑みを堪えながらエルニスは言うと、里のドラゴンたちの間をかき分けるようにして、喧騒の中へと消えていった。
 セルを見やると、満面の笑みでティアを見つめ返していた。
「あー、楽しかった。いきなり火の中に入っちゃったけど、おかげで気分がすっかり盛り上がったよ」
 言ってから、彼もティアに負けず劣らず、っぶしゅ、と大きなくしゃみをした。ばつが悪そうに鼻をこすると、あーともうーともつかない声を上げた。
「カーレンが気をつけろって言った意味がようやく分かった……熱を出すって、風邪を引いちゃうって事だったのね」
「……ん、そうみたいだ」
 ティアが言うと、セルは可笑しさに顔を綻ばせた。
「せいぜい、風邪を引かないうちに暖まっちゃおうか」
 にやりと、彼は先ほどのカーレンのように笑った。ただ、セルの場合は悪戯好きな光が目に踊っている。それがとてつもなく面白い事に思えて、ティアも思わず同じ笑みを浮かべたが、そういえば本人はここにはいない。
「カーレンはどこにいったの?」
 ティアが首を傾げて聞くと、セルはあ、と声を上げた。
「さっきまであの辺にいたんだけど……エルニスと火の中を潜ってきたから、見失っちゃったよ」
 セルが示した辺りにティアは目をやったが、当然ながら彼の姿はない。
「あーあ……カーレンと一緒にまたやろうかなと思ったんだけど」
「それもいい考えだね」
 言って笑い合った時、ティアの頭にコンと硬い物がぶつかった。
「え? あ、いたっ」
「――それほど痛いわけじゃないだろう?」
 呆れ交じりに笑う声が後ろから聞こえた。正面にいたセルが目を見開いたが、じわりと広がるように、驚きは苦笑いへと変わっていった。
「……噂をすればなんとやら、だね」
「そんな所だな」
 ティアが振り返ると、肩をすくめつつも、カーレンが笑みを浮かべて立っていた。手には、木のジョッキが片方に二つ、もう片方に一つ握られている。中身が気になったが、漂ってくる匂いから察するに、温かい甘酒と牛乳を合わせたもののようだった。
「あ……ありがとう」
 意外に思いながらもおずおずと受け取ると、何が気に入らなかったのか、カーレンは渋い顔をした。
「人に持って来させておいて、なんだ、その態度は」
「あ、違う、そんな意味じゃないわよ! ……って、ちょっと」
 慌てて否定した時、カーレンがかかった、とでも言いたげな表情を浮かべたので、ティアははめられたのだとすぐさま理解した。
「まさか。冗談だ」
 本当な訳がないだろうと笑われたため、ティアの目は反射的に半分になっていた。オリフィアではラヴファロウの事をさんざんなじっていた彼も、人の事は言えないのではないか、と僅かに疑念が湧いた。
 その様子を、あーあ、とセルは微妙な温度の視線で見つめている。ティアに同情しているのと同時に、カーレンの意地の悪さに呆れてもいるようだった。
 からかわれた悔しさと少しの怒りをまぎらわすため、ほんの少し、ティアは飲み物に口をつけた。匂いがやけに鼻につくところからすると、よほど酒がきついのだろう。
 顔をしかめながら飲んでいると、同じ木のジョッキを二つ手に持ったエルニスが人垣を掻き分けてやってきた。彼はカーレンの姿と、ティアの持つものに目を留めて、顔をややしかめた。対するカーレンは、あまり表情を変える事はなかったが、ぴく、と片眉を上げた。
 これは、まずいのではないか。思ってティアは少し警戒心を抱いた。セルもそれは同じようで、注意深く二人の様子を見守っている内に、緊迫した会話は始まった。
「……しばらくだな」
 最初に口火を切ったのは、カーレンだった。そういえば、これが二人が初めて交わす会話だった、とティアは思い出し、余計に緊張が高まった。
「ああ。おまえも、長く帰ってきてなかったようだが、何かあったのか?」
 エルニスは音もなく目を細めた。
「特には。ただ、戻る気がしなかっただけだ」
 目をそらして素っ気無くカーレンは答え、そこで一旦、気まずい会話は終わったように見えた。
 わざとらしくエルニスは肩をすくめ、ティアとセルに渡す予定だったのか、飲み物が一杯に注がれたジョッキを見つめた。
「あげる相手がいなくなったな」
 別の相手から受け取ってしまった身としては、決まりが悪かった。うっと詰まりかけ、思わずティアはセルと顔を見合わせた。ただ、ジョッキの行方は意外な形で決着がつく事となる。
「それじゃ、あたしがもらうけどいいわよね?」
 答えを聞く間もおかずに、ひょいと音がする程軽い動作で一本の腕が伸びてきて、エルニスの手からジョッキを一つ取り上げていったのだ。
 いきなりの事に全員が唖然とし、腕が出てきた方向に、つられて目をやったカーレンが、驚いて目を点にした。
「――ベル?」
 ぽつりと、呟きがカーレンの唇から零れた。
「ベリブンハントか……?」
「そ、あたり! 元気してた、カーレン?」
 言って、快活な笑い声を上げたのは、褐色の肌が珍しい……しかし、髪と瞳はヒスラン特有の銀と紫という、やけに取り合わせが奇妙な女性だった。焦げ茶色をした長い毛皮のコートを、薄くぴったりした修道着のような服の上に一枚着ただけという寒そうな格好だが、本人はあまり寒いとは思わないのか、くすくすと笑っている。彼女からも少し焦げた匂いが漂ってきているので、ちょうど火潜りをしてきたところなのだろう。
「……その肌、一体どうしたんだ」
 ようやく我に返ったのか、エルニスが呆然と呟いた。
「あはは、これ? たまには遠出してみようかと南国に行ったら、ちょおっと焼けすぎちゃってね……おかげでこのザマ。祭りでは注目の的になるわ、長からはからかわれるわで散々だったな」
 舌を出して頭を軽く叩く姿は、年頃の少女のそれとあまり変わらなかった。それを見てティアはほっとして、そこで、なぜほっとしたのだろうかと首を傾げる事となった。
 思い悩むティアをよそに、ベルとカーレンたちの話は続いていく。
「戻ってきたとは聞いていたけど、まさかそんな姿になってたとはね……」
「――私は、おまえが帰ってきている事は聞いていないんだが」
 カーレンがいつになく驚きながらも、やっとの事でそう言っているのが聞こえた。
「別にそれほど驚く事でもないでしょ。あ、それよりも私が気にしてた事、調べておいてくれた?」
「ああ……あれか。リスコまでは辿っていたんだがな。その後は結局分からずじまいになった。悪いな」
「なんだ……でも、カーレンが放っておくって事は、そんなに大した事じゃないね。それだけでも聞けたら旅路も安心かな」
 リスコ、という聞きなれた単語を耳にして、ようやくティアは意識を浮上させた。
 カーレンに目を向けると、ベルがティアに気付き、おや、と瞳を見開いた。
「ああ、今回のお客様、こんなちっちゃな子達だったんだ」
「ちっちゃ……!?」
 言われて、セルが絶句した。確かにベルは長身だったが、セルとあまり変わらないはずだ。それらを知ってか知らずか、ベルの話は続いていく。
「長もお祭り好きだけど、何で私だけじゃなくてカーレンまで戻ってきてるのかね。帰ってくる時期が同じなんて、五回に一回あるかないかだったのに」
「おまえも呼び戻されたのか?」
「うん。直接魔術で報告する時にいきなり、戻ってこい、って感じだったけど……、カーレンは違ったの?」
「いや、こいつの場合は手紙だった」
「何で知ってる」
 カーレンが顔をしかめたので、ティアとセルは咄嗟に目線をあらぬ方向へと向けた。まさか喋ったと言える訳がない。
 エルニスもその辺りを察してくれたのか、ん、と首を傾げた。眉が片方だけわずかに上がる。
「おかしいか?」
「いや、別に……確かに隠すほどの事でもないが」
 決まりが悪そうに目を逸らしたカーレンは、何かに気付いて表情を硬くした。
 ん、とつられてティアたちがそちらに目を向けると、広場よりも一際高い場所で座り込み、傍観していたアラフルが立ち上がったところだった。

 ぱん、と彼が手を一つ打ち鳴らすと、周りが一瞬にして静まり返った。

 突然訪れた静寂に戸惑いながらも、ティアはぴりぴりとするものを肌で感じ取った。アラフルが発している空気がそうさせているのだ。クェンシードという一族も、カーレンとエルニスがそうであるように、一枚岩だとは言えない。それでも全てがその名の下にまとまっていられるのは、長という存在が彼らの全てを象徴し、その手に握っているからなのだろう。
「――さて。今宵の宴は二人の小さな客人を迎える為にあり、もちろん皆、楽しんでくれたと思うが……ここで、私が知らせなければならない事が二つある」
 ざわ、と静寂が揺らぐ。静かな動揺の波の中、動じていないのは、何がなんだか分からないティアとセル、そして、突然の事に面食らっているエルニスとベルだ。さらに妙だったのは、カーレンが眉一つ動かさず、目を細めるだけに留めた事だった。
 アラフルはドラゴンたちを見回し、最初の一つをまず、口にした。
「一つは……私は長い間、このクェンシードを長として守ってきた。……が、そろそろ、長の座を退こうと考えている」
 どよめきが起こった。
 驚きながら囁く者がいれば、眉を潜めて首を振る者、これからどうなるのかと固唾を呑んで見守る者まで、皆が様々な反応を示した。
 ティアもまた小さく驚きの声を上げたが、セルがすかさず静かにするようにと唇に指を当てた。
 アラフルはまだ話が終わっていない事を示すため、ひとつ咳払いをした。同時に、一同を制そうと手をかかげていた。
「――そして、二つ目。そのために、空席となった座を埋めるため、二人、長となるに相応しいと私が選び出した者たちに、その力を競ってもらう事になる。最終的に勝利した者が、次の長となるだろう」
 アラフルが告げる間、誰もが石のように固まって動かなかった。いきなりすぎだろう、とティアも少し眉を潜めて思った。まさか突然、歓迎の席でこんな重大な事を発表するとは誰も予想していないだろうに。しかし、これが本当の狙いだとしたら納得がいく。ウィルテナトに来る時、妙に含みがあったのはこのせいだったのだ。
 セルに目をやると、彼は肩をすくめただけだった。自分達が口を出してはいけないという事だろう。ここは静観するべきだ。
 確かに一理ある。不安を抑え、ティアは事の成り行きを見守った。
 アラフルは何かを探すように目線を巡らせながら、口を開いた。
「まずは一人目。――エルニス。前に来なさい」
 ぎょっとエルニスの背中が緊張した。聞かされていなかったのか、目を大きく見開いて、唖然として長を見つめている。やがて、ぎくしゃくした動作でベルに自分の酒を預けると、強張った顔で歩いていき、アラフルの隣に立った。それを確認して、アラフルが一つ頷く。
 二人のうち、一人が明らかになった。……では、もう一人は誰か? ティアが視線を向ければ、至るところで目線が交わり、慌ててそらす様子が何度も見られた。
「さて、この人選でいくとなると、もう一人は彼に何らかの形で相対する事が出来る必要がある。幸いな事に、私は一人、そんな者を知っている」
 アラフルの目が、音もなく細まった。
「カーレン。やってくれるな」
 意志を窺うのではなく、確認だった。これまでよりも一層大きなどよめきが広がり、カーレンにさまざまな感情の入り混じった視線が向けられた。
「…………!?」
 ティアが目を瞠ってカーレンを見つめるが、彼はティアとセル、そしてぽかんとしているベルに視線を向け、首をそっと振った。
「……大丈夫だ。持っていてくれ」
 何が大丈夫だというのだろう。カーレンやエルニスから聞いた話だと、彼とクェンシードのドラゴンたちの間には、過去から続いてきた深い溝がある。それを承知の上で、アラフルは長という皆を率いる役目を争わせる気でいるのだ。
 しかも、宴に出る前に一度、屋敷の中でエルニスに対する里のドラゴンたちの行動を見かけたが、誰もが彼に一目を置いているようだった。間違いなく、エルニスは力関係でも高い位置にいる。支持する者も多いはずだ。
 でも、この里には、カーレンの味方は誰も居ない。
 愕然としているティアにジョッキを預けると、さして動じる事もなく、カーレンは歩き出した。特に何かをする訳でもないというのに、何人かが弾かれたように後ずさって、彼が進む道を開けた。その中を毛ほども表情を変える事なく通り過ぎていき、カーレンは紅い瞳で辺りを見回した。向けられる視線のどれもが、恐怖と嫌悪の色に染まっていた。
「……どうなってるの?」
 困惑に思わずベルが呟きを漏らした。答えられる者など誰もいない。
 彼女と同じで、戸惑う者がほとんどだ。
「"最強"と"最弱"?」
 はっ、と小さく鼻で笑う気配がする。
「どう見たってエルニスが勝つだろ。あいつの方がいいに決まってる」
 誰かが、背後でそう言う声が聞こえた。
「私も。それに第一、カーレンはこの里のドラゴンじゃないわ。髪も眼の色も違うもの。それにユイの事件だってあるし」
「おい、やめないか。エルニスもいるんだぞ」
 ――彼の存在は望まれていない。
 そうなんじゃないかとは思っていた。淡い予感は、一日もしないうちにだんだんと濃厚になっていた。
 だが、これではっきりしてしまった。ティアは唇を噛んだ。
 カーレンは全くの独りだった。そして、たった独りで、こんな不利な争いに挑むつもりでいるのだ。
 エルニスの隣にカーレンが立つのを確かめると、アラフルは薄く笑って続けた。
「二人には、一対一でこのクラズア山脈全体を舞台に戦ってもらう事になる。時間は無制限、規則は一切なし」
 懐からルビーとサファイア、二つのかなり大きな石がそれぞれ繋がったペンダントを取り出すと、アラフルはそれをカーレンとエルニスに渡した。
「この二つの石をどちらかが片方から奪い、両方ともそろえた場合において、勝敗が決まるものとする。……尚、観戦もできるようにするつもりだが、何か言いたい事はあるか?」
 静寂が答えとして返ってきた。
 石を手に持った二人の視線が、無言で交錯する。アラフルは一つ頷くと、右腕を伸ばし、見えない幕を払いのけるように脇へと振り切った。
 ヒュンッ、と風を切る音がした。皆が何かを思う暇もなく、後ろで睨みあっていた二人がはっと目を瞠って、お互いにその場から飛び退いた。一泊遅れて、二人の立っていた場所が水の蒸発する凄まじい音を立て、見えない攻撃によって雪が大きく抉れた。
「……なかなかいい反応だな」
 攻撃をしただけではない。信じられない事に、すぅっと音もなくクェンシードの長は笑ってみせた。
 全員が唖然としているのがティアには分かった。驚きの理由が手に取るように分かる。考えるだけで気分が悪くなり、やや感情はささくれ立っていた。
「さて、宴を再開しよう。夜通し踊り狂った後は、小さな客人達には私のところに来てもらう。少し、話があるのでね」
 やんわりと言った彼は、しかし、その柔らかな表情の裏に、得体の知れない何かの切っ先を隠しているようにも見えた。


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