Dragon Eye

Top page >  Novels >  第一篇目次 > 本編

第一篇 - 三章 『北の故郷』

-4- この場所で

 もうずいぶん飛んだのか、見える景色のあちこちに白い物が見え始めた。雪がこの辺りでは降り始めているらしい。思って、ティアは寒さに身震いをした。しっかりと服を着込んでいるおかげで暖かいものの、顔に当たる風は肌を切り裂くのではないかと思うほどに強い。冷たさなどとっくに感じなくなっていた。
『寒いか? あと少しの辛抱だからな』
 アラフルが声をかけてきたので、ティアは頷いた。声を出す気力など尽きている。
 それからしばらくして、セルが不意に口を開いた。
「見えた。あれがクラズア山脈だね?」
 ティアが視線を前へやると、地平線が山の影を成しているのが見えた。
 いくつもの高峰が連なってできた山脈は、ティアが思っていたものを上回る高さがあった。剣山と言える程に鋭く尖った尾根や、絶壁のような谷が近づいてくるにつれて、顔から表情が消えた気がした。
 山と比べれば、ドラゴンすら蟻に見える。そう言えば、誰もが笑うだろうが……実際に見れば、笑う前に何も考えられなくなるだろう。ティアはぼんやりと確信した。とにかく大きい。見上げると言うよりも、仰け反ると言った方が似合うくらいだ。
 みるみるうちに二体のドラゴンは山脈へと辿り着き、雪と氷に覆われた谷の合間を目指した。せり出した崖や黒い岩肌に、翼が触れるか触れないかというぎりぎりの場所もあり、その度に奇妙な圧迫感をティアは感じた。恐怖だったのかもしれないが、それを感じる場所がほとんど麻痺してしまったように動かない。
 絶壁の谷を抜けると、アラフルは大きく空へと舞い上がり、先ほどの谷よりも更に狭い、山肌に走った亀裂目掛けて飛んだ。
「!?」
『ほら、今度はしっかり捕まっていろ』
 悲鳴を上げる前にアラフルが声をかけて、一気に身体をひねった。視界がほとんど横倒しのまま、亀裂の中へと飛び込む。
「――――――っ!」
 暗闇の中で風が唸りを上げている。一度は耳のすぐ横を岩が通り過ぎたような気がして、ティアは身を凍りつかせた。生きた心地が全くしない。
 やがて、周りが急に明るくなった事に気付く間もなく、ぐるりとアラフルが回りながら体制を元に戻したので、ティアはセルの感じた恐怖を何となく理解した。
 今なら百回でも死ねるような気がして、ティアは震える息を吐き出した。
『……到着だ。二人とも、よく頑張ったな』
 苦笑混じりの声が降ってきて、ティアは上を見上げた。遅れてやってきたカーレンが、喉の奥からくぐもった笑いを漏らした。背中にいるセルはぐったりと突起に寄りかかっていて、顔から全く生気が見受けられない。
『近道をしたからな。次は他の安全な道を通ってやる』
「って事は、結構危険な通り道だったんだ――?」
 哀れなほどに白い顔をしたままセルが呟いたので、ティアは同情の意味もこめて兄を見つめた。
『そんな事もある。今回きりだ、次はない』
 アラフルがやや苦笑気味に言った。ティアは頷くと、前方の山に巨大な岩棚がある事に気付いた。
「あそこが……?」
 カーレンは頷いた。ふと、懐かしむように目を細めて呟く。
『ウィルテナト。クラズア山脈に隠れ住むドラゴン達の里、といったところか』
『もう少し意味は複雑なんだが……それよりもおまえ、こんな場所に人などが来れる訳がない事を考えたか?』
『貴方が客人として招いた事にすれば、体裁は整う』
 かなりぶっきらぼうな返事だったが、アラフルはにやりと笑った。
『なかなか言うな。……カーレン、おまえは知らんかもしれないが、里の若者は最近、私の考えを読む事に執心だ。しかも長直々に招いた客人となれば、あれこれ聞かれる事を覚悟しておく必要があるぞ。それと、』
 まだあるのか、と嫌そうにカーレンが鼻を鳴らした。
『自分の力は隠していても損をするだけだ。いい加減にひけらかしておけ。あまりひどいようであれば無理矢理引き出すからな』
 カーレンは無言のままだった。答えが返ってこない事はアラフル自身も予想していたのか、軽く肩をすくめるようにして、ウィルテナトを目指した。 
「アラフル、さっきのってどういう事なの?」
 小声で聞くと、ドラゴンの強面が器用に微笑む気配がした。
『……何を思ってそうしているのかは知らんが、あれは必要以上に力を抑えているようだ』
 浮かべた笑みに、小さく影が落ちた。
『大したものだよ。私とて、違和感を覚えたのは、カーレンを迎えてから五十年経った時だ』
 一体何がおかしいのか、アラフルは小さく含み笑いを漏らした。
『気付いた訳ではなく、ほんの小さな違和感だけだったのだ。興味深い事だとは思わないか?』
 言葉の端から不穏な気配を感じて、ティアは眉を潜めた。
『一族全員を騙して煙に巻いたついでに、真実まで覆い隠してしまった。相当な手腕の持ち主という証拠だな』
 ……よく分からない。
 ただ、アラフルは間違いなく何かを面白がっている。
 ティアはますます不信感を抱いたが、彼が面白がる『何か』の正体を考える前に、身体の下から重い衝撃が襲ってきた。
「え、わ!?」
 大きく身体が浮き上がる感触にやや恐怖を覚えたが、すぐに元の位置に収まると、アラフルが岩棚に着地したのだという事が分かった。
 自分の状況を理解してティアはしばらく硬直していたが、やがて、そっと辺りを見回した。カーレンとアラフル以外に、ドラゴンの姿はない。
『出迎えが来たな』
 ティアはつられてアラフルの向いている方向に目をやった。
 少し離れた場所に、数名の男女がいた。四人と見て取り、首を傾げる。
 皆が一様に、人間体のアラフルと同じ銀の髪と紫の瞳をしていた。自分は特別だからと言ったカーレンの言葉を思い出したが、あれは養子だからという意味だったのかもしれない、とティアは思った。
 岩の陰から出てきた四人のうち、一人の男がカーレンの姿を認めて、僅かに顔を強張らせた。外見はカーレンと同じで、二十代の前半といったところか。くせのある髪質なのか、短く切られた髪があちこちで特徴的な動きを見せていた。鮮やかな深紅のコートを纏い、手には抜き身の短剣が握られている。白い刀身から鮮血のような液体が雪の上に落ちて、紅い染みを作った。
『魔物の討伐に出ていたようだな? エルニス』
 男はカーレンから目をそらして、アラフルを――というよりも、その背に乗っているティアを疑り深げに見つめた。露骨に何だこれはという視線を受けて、ティアがぐっと睨み返すと、彼は慌てたように顔を背けた。
「長」
 どこか幼げな影の残る顔が、困惑の表情を浮かべた。無邪気な印象を受ける声は、セルに少しだけ似ている。
 エルニスと呼ばれた彼は、ティアを(なるべく見ないようにして)指差した。
「『それ』、何です?」
「――私はモノ扱いなの?」
 ぼそっと呟くと、エルニスは失言した事に気付いて言い直した。
「おっと、失礼。で、その人間は何です?」
『私の客人だ。カーレンの背に乗っている彼もだから、丁重に迎えてくれ』
「はぁ……?」
 まだ困ったように返事をすると、エルニスは再び、ちらりとカーレンを見やった。
 ティアは僅かに眉を潜めてその様子を見守った。一瞬だけ、彼の目に敵意が見えた気がしたのだ。セルを見ると、彼もきょとんとした顔を装ってエルニスを観察しているようだった。無駄に表情の動きが大きいのが難点だが、気付かれてはいないらしい。
「とにかく、お嬢さん、ええと……?」
 消えた言葉の先の意味に気付いて、ティアは名乗った。
「ああ――、私はティア・フレイスよ。そっちは私の兄さん」
「セル・ティメルクです。よろしく」
 すっと頭を下げてセルは一礼した。
 エルニスは納得したように頷いた。
「それじゃ、二人とも降りてくれ。長とカーレンが人間体になれない」
「分かった、今降りるわ」
 少し苦労しながらアラフルの背を滑り降りると、遅れてセルがカーレンの背から降りて近寄ってきた。
「こっちだ」
 手招きをするエルニスの後についていくと、ティアは一度、カーレン達と残った三人を振り返った。
「あの二人にはまた後で会える。君達は、今はこっちに来ないとだめだ」
 はっきりとした口調で言われて、ティアは渋々エルニスの背を追いかけた。セルもやや不安気な色を浮かべているが、それに気付いたのか、彼自身も困り顔で言った。
「一度くらいは、カーレンが人間体になった時の事を知ってるんじゃないのか?」
「あ、そういえば」
 セルが思い出したように宙を見やった。
「ドラゴンから人間になると、着ていた服は散らばっちゃうんだっけ?」
「その通り。服を着たまま元に戻る方法もあるけど、たまにしか使わないからね。しかもひどく疲れる」
 エルニスは軽く補足を加えてから、一つ頷いた。
「うん。もう一つ聞いていいかな? 君達、今がどういう時期か知っててここに来たのか?」
「え? どういう時期って……何の事?」
「ああ、やっぱり知らないのか」
 エルニスが髪を軽くかき上げると、右の小指にはめられた金の指輪が、光を反射して煌いた。全く飾り気がない。ティアが見ている事に気付いたのか、エルニスは少し気まずそうに右手を下ろして、袖の中に隠した。
「……それ、何か聞いてもいい?」
 聞かなければ失礼な気がして、ティアは言った。
 エルニスは頷き、寂しげに笑った。
「妹のだよ。形見なんだ」
「あ、ごめんなさい、そうとは知らずにじろじろ見ちゃって」
 ティアは少し慌て気味に謝った。
「どうして、亡くなったんだい?」
 セルが眉を潜めて聞くと、エルニスはまだ自分が短剣を握っていた事に気付き、血を袖で拭って腰の鞘に戻した。
「俺が魔物の討伐をしている理由だよ。……まだ幼い頃に強い奴に襲われて、ろくに抵抗もできなかったらしい。俺は直接見ていなかったけどね」
「……その魔物は、どうなったの?」
「カーレンが殺した。俺はそう聞いたけど、実際は――」
 どうだかね、と言った彼の声は、嘲るような色を持っていた。自分の手で敵を取りたかったのか、それとも。ティアが内心で彼の心をはかりかねていると、肩を軽くすくめ、エルニスは微笑んだまま立ち止まった。
「さ、ここだよ。この小さな館にしばらく住んでもらう事になると思う。申し訳ないけど、今の時期、一度里に余所者が入ったらしばらく出られないんだ」
「さっきもそんな事を言っていたね」
 セルとエルニスを背にして、ティアは目の前に立つ館を見上げた。白くて丸っこい形の陶器でできているような館だ。つるつるした頂上に帽子のように雪をかぶっている様子が、何となく滑稽だった。
「祭りがあるんだ。一族の掟その十一、祭りなどの儀式において外部の者が里に滞在している場合は、儀式が終わるまで彼らを歓迎したおす事」
「誰が決めたのさ、そんな掟……」
「もちろん長。面白いけど、何を考えているのか分からない人だろ?」
 セルが呆れ気味に言うと、エルニスは苦笑した。そのまま館に近付き、正面に描かれた翼を広げたドラゴンの紋章にエルニスが手を触れると、しばらくして紋章が光を放った。
 ティアとセルがそろって見守っている間に、紋章を中心として、アーチ型に壁の一部が消えた。霧のように薄っすらと透けていく様子を唖然として見つめていると、エルニスは中へ入り、笑いながら手招きをした。
「二人とも、とりあえず入ってくれ。突然だからまだ殺風景な場所だけど、必要な物は後から運びこむよ」
 言われて顔を見合わせると、ティアはきょろきょろとあちこちを見回しながら館の中へと入った。どうも用を足す場所は別にあるようで、館は一部屋だけのつくりらしい。
 あまり大きくはないが、思っていたよりも館の中は広かった。どういった魔術なのか、部屋のやや高めの位置に透明な水晶が浮かんでいて、そこからさまざまな色の光の玉が飛び出しては、部屋中をゆるやかに動いていた。エルニスが水晶に向かって手をかざすと、光の玉の色が暖かみのあるオレンジや、ティアのマントのように淡い赤に変わった。時折明るい蒼も混じっていて、見ていて退屈しない。
 首が疲れたので見上げるのをやめ、ティアは部屋の中央に置かれた椅子に座るエルニスに目を戻した。
 エルニスが初めてここに来たティア達のために、少し時間を置いてくれていたらしい。気付いて、ティアは小さく礼を言った。
 彼は首を振ると、穏やかに口を開いた。
「とにかく、三人だけになれて良かった」
「三人?」
「……それってどういう事かな」
 困った顔でセルが聞いた。
「うん。とりあえず、長い話になるかもしれない。二人とも座っていいんだよ。ここは君達の場所、俺は客なんだから」
 戸惑いを感じながらも、ティアはマントを軽くはらって、残り三つのうちの一つに腰掛けた。セルも隣の椅子に腰を降ろし、三人が部屋の中央で向かい合う形になった。
「さて、さっきの質問の答えだ。簡単に言えば、俺はティアとセルがどうして長の客人になったのか、そのいきさつが知りたい」
 探りを入れる目で見られて、ティアは自分の手に目を落とした。
 アラフルの言葉通りになった。エルニスもやはり、彼が何を考えているのか、少しでも知りたいのだろう。それに、うまくいけば、自分とセルもアラフルの考えを知る事ができるかもしれない。思って、ティアは顔を上げ、セルと顔を見合わせた。
 いいわよね、と首を傾げると、セルは微笑んで頷いた。それから少しの間、緊張した表情のエルニスを見つめていたが、話すに足ると判断してティアは頷いた。
「分かったわ」
「座って正解だね。僕とティアちゃん、旅に出てから一ヶ月くらいでここに着いたけど、いろいろとすごい体験をしてきたから。話は長くなるから覚悟してよ」
「それくらい十分承知の上だよ」
 エルニスはほっとした様子で、肩から力を抜いて笑みを浮かべた。
 ティアも自然と、顔がほころぶのが分かった。自分達の話をこんな風に話すのは初めてだった。
「……私とセル兄さんは、親が居ない孤児なの。中央大陸の――リスコって言うんだけれど、その小さな港町で暮らしてた」
 そっとセルに視線を送ると、彼は察して、後を続けてくれた。
「実は、僕らはアラフルじゃなくて、カーレンに北大陸まで連れてこられたんだ」
「カーレンに?」
 意外だったのか、エルニスが驚きの声を上げた。話の続きを促すように、僅かに身を乗り出した彼を制して、ティアは補足した。
「いつも万引きとかで食べ物を手に入れていたんだけど……ある日、その帰り道で屋根から私が落ちたの。そこをカーレンに助けられたのが、最初の出会いだったって訳」
「それからいろいろあって僕らは旅に出る事になったんだけど、結構これも長くなるから省くね。後で細かい所は話すから。で、カーレンに出会った僕らは、彼に連れられて、ほとんど転がり出るようにリスコを出たんだ。僕ももうすぐ十八だし、大人になったら何をするか、それを探すのもいいと思ったしね」
「途中でカーレンを追っている人達も見かけたわよね。……それと、カーレンの友人にオリフィア王国で会ったの。ぼろぼろの服しか着ていなかった私と兄さんは、その人の助けも借りてどうにか格好を整えて……その後どうだっけ?」
「ほら、お父さんから……つまり、アラフルから手紙が来たんだよ。それでカーレンが僕らに北大陸に行くって話したんじゃないか」
「へぇ、長から手紙がねぇ……」
 話を追っていたエルニスは呟くと、眉根を寄せて考えこんだ。
「そう。それで、北大陸に向かって、途中の船の上でアラフルに会ったのよ」
 初めて聞く話ばかりで混乱してはいないかとティアは口を止め、エルニスが目をあちこちに走らせながら聞いた事を整理するのを待った。
 しばらくして、エルニスは怪訝な顔をした。聞きたい事は他にたくさんあるはずだが、何より気になったのは、やはりアラフルの動向だったらしい。
「そういえば、突然数日前に長が出かけていったな。船の上で長に会ったって、どういう事だ?」
「速達をカーレンに送った後、どうも直々に彼を迎えに出たらしいんだ。流石に北大陸を出てまでここを開ける訳にはいかないだろうし、それで船の上にいたんじゃないかな。……おかげで初めて会った時はすごく怪しい船長に見えたよ」
 船室で受けた仕打ちを思い出したのか、セルがちょっと顔をしかめた。ティアもその時の事を思い出して、笑みを引っ込めた。あまり楽しい記憶ではない。それに、あれ以来ないが、自分の事を『エリシア・メイジ』と呼んでいた。
 ティアのように、黒髪、黒目の姿をしている人間が、この雪の大陸にはヒスランと同じくらいに多い。そうアラフルは言っていた。そして、まるでエレッシア山に住む、人を惑わせ、迷わせる妖精のようだからとも。
 ……そういえば、とティアは思い起こした。前にも、似たような話をしていた事があった。いつだったかと記憶を辿り、ティアは口を開いた。
「ね、エルニス。パヤックって、黒い髪と目をしているのかしら?」
「え? ――ああ、そうだよ。それで、俺達は『エリシア・メイジ』って呼ぶ。エレッシアの妖精にそっくりだから」
 やはり。エルニスとアラフル、そして、オリフィアに向かう途中での話からすると、自分はパヤックの民という事になる。
「……じゃ、カーレンの人間の姿って、結局どこの生まれでもないじゃないか」
 セルがぽつっと呟いた。
「あ、そっか」
 思わずティアは納得した。そういえば確かに、パヤックの話をしていた時、同時にカーレンの姿がヒスランではない事にも触れた。
「そりゃ、当たり前に決まってるじゃ――」
 言いかけて、エルニスはぴたりと口をつぐんだ。うっかり触れてはならないものに手を出してしまったような顔をしているのに気付いて、ティアとセルは無言で同時に首を傾げた。
「………………ぅ」
 二人からの見えない圧力に耐えかねたらしく、エルニスは小さく呻いた。
「それ、どういう事? カーレンはクェンシードの中で親を亡くしたんじゃないのかい?」
「……それは違う」
 エルニスは首を緩やかに横へと振った。
「こんな事を話しても意味なんかないのは分かってるんだけどさ……俺は、実の所、あいつがあんまり好きじゃない。普段の妙な行動からして得体が知れないし、成獣するまでの早さもかなりの異常速度だったし……そうでなくても、どうして長があいつを養子に迎えたのかも引っかかる。極め付けに、」
 言って、頭をかきむしりながら溜息をついた。
「もともとカーレンは、クェンシード族のドラゴンじゃないんだよ。長が勝手に外から連れてきて、そのまま自分の子供にして、それであいつはクェンシードのドラゴンになったんだ」
 ティアは目を瞠った。
「それって、いつの事?」
「さぁ。俺が人間で言うと七歳ぐらいだったかな。で、あいつはまだそんなに……二歳半くらいだったけど、ドラゴンの姿は生まれてまだ二ヶ月くらい……」
 エルニスも困惑しているのか、眉を寄せて疲れた顔を見せた。
「しかも、既にその時点であいつには使い魔がついていた。俺だってカーレンが来る数日前にやっと使い魔を持てたのに、あいつは最初からルティスを連れていたんだ。……それで、あいつの得体が知れない理由なんだけどさ――」
「――――」
 次にエルニスが語った内容を理解するのに、ティアはひどく時間がかかった。
「今……何て言ったの?」
「だから、」
 エルニスは業をにやしたのか、苛立った口調で繰り返した。
「あいつの親が誰で、どこで卵が産み落とされて、どんな状況、どんな場所で生まれたのか、その全てが分からないんだ。同じ年頃のドラゴンが行方不明になってはいないかと調べてみても、他の一族の所にも、そんな子供はいない、全員ちゃんと親元で生まれていると言われたんだ」
「つまり、直接の親が見つからなかった……?」
 セルが訪ねた。
「そういう事なんだよ。死んだのか、生きているのか、あるいはやむを得ず捨てたのか。いずれにしても、誰にも――長ですら、突き止めることはできなかったのさ」

□■□■□

 カーレンは長の館の一室で、アラフルと向き合って座っていた。彼の好みの問題で、部屋は深紅を基調として、飴色をした調度品が適当に並べられている。最近の執務を行う場所として使われているのか、コートかけが以前とは別の場所に移動している。その頃は、もっと向こうの部屋にあったのだ。ちなみに今、コートかけには、カーレンとアラフルのマントが垂れ下がっている。そういえば、もともと彼はコートをあまり着ない性分だった。
 二人の間にある机の上には、空の封筒がある。取り出された中身は、今はアラフルの手にあった。
 彼は眉を潜めながらつらつらと文字を追っていき、やがて小さく溜息をついた。
「……やはり、おまえが一年前に潰した村もそうか」
 カーレンは小さく頷いた。
「そこにもあるように、竜の紋章を施した子供だけが本物だった。目印になればと思ったが、どうにも良くない気がする」
「しかし、これだけの文書……よく旅の忙しい合間をぬって書き上げたもんだな」
 感心に値するとアラフルは肩をすくめ、総数三十枚ほどの羊皮紙の束をふった。
「オリフィアにいた時よりも動きが激しくなってきた。潰してきた村は二十を下らない」
 束を受け取ると、カーレンは封筒の中に元通りにそれを収めた。
「しかも、潰すたびに完成度が上がっている。よくできてはいるが、何が目的なのか……」
 アラフルは軽く頭を振った。勘弁してくれとばかりに手の平を揺らす。
「よせ。考えるだけ頭が痛くなるだけだ。……おまえの報告をまとめると、中央の情勢はすこぶる良くないようだな。オリフィアの隣でそんな村が二十となると、おまえが言う道化将軍も大変だろうに」
「そう言うのなら、援助でもするか?」
 ぴたりとアラフルが口をつぐみ、カーレンを凝視した。
「どうかしたのか」
 なぜ彼が喋るのをやめたのか不思議に思って首を傾げると、アラフルはやや引きつった顔を手で撫でて戻した。
「……おまえが私の前で軽口を叩くのは初めて見たな。旅の途中ではいつもそうか、ルティス?」
 カーレンの影にアラフルが呼びかけると、一部が黒く染まって青い目が開いた。じっと見つめ返した後、不意にその目が縦にふれる。
 疑わしげな視線が注がれるが、涼しい顔をして流すと、反対にひどく渋い表情をされてしまった。
 アラフルは小さく唸ってから、低く笑った。
「ますます食えん奴になりおって。やはり、おまえをもう一人に選んで正解だった」
 カーレンは緊張に少し顎を引いた。何か来る、とほとんど本能が告げている。
「……もう一人、とは?」
 注意深く訪ねると、案の定というべきか、にやりとアラフルが笑みを浮かべた。
 危険な笑みだ。おそらく、カーレンの知る限りでは最も危険な。
「実は、私はそろそろ身を引こうと考えているんだが。どうだ?」
「却下」
 即座に答えて、カーレンは震える息を吐いた。思っていた通りになりそうだ。知らない間にまたしても彼の手の平で転がされて、とんでもない事に巻き込まれている。というよりも、速達で呼び出した真の目的はこれだったのだ。
 せめて聞かなければ何とかなるかと僅かな望みをドアに託したが、それを許さないとでもいうかのようにアラフルが立ち上がった。まだにやにやが口元にある。
「まぁそう言うなよ」
「貴方が言う時にはもう既に始まっているんだろう。それでも一応却下と言った」
「ほぅ」
 興味がなさそうに頷き、アラフルはカーレンの瞳を覗き込んできた。
「では、おまえは何を却下するのかな?」
「……貴方が提案する、この件に関するあらゆる事項を」
 手厳しいな、と肩をすくめられるが、ここでこんなややこしい事に巻き込まれるのは、死んでも御免こうむる。
「ま、今回の私の決断を踏まえて、おまえに要求するのはそんなに難しい事じゃない」
 カーレンの周りをぐるりと一周、ゆっくり歩いて回ると、アラフルは振り向いて穏やかな笑みを浮かべた。
「長の後継者の、あくまで『候補』になってくれと頼んでいるんだ」
「だから、それが嫌だと言っている。私は里に縛りつけられるつもりは毛頭ないからな」
 カーレンは溜息混じりに言ったが、アラフルはどういう訳か、凄みのある表情を浮かべてこちらに詰め寄ってきた。
「断れば……ルティス、いや、ルリエン・ティウスをおまえから引き離す事も考えているんだが」
 知っていたのか。カーレンは怖気が走るのを抑えて、アラフルを睨んだ。
 やると言ったらやる、それが彼の信念の一つだった事を思い出して、カーレンは苦いものを怒りと共に噛み締めた。
「それは頼みではなく脅しだろう……!」
 実際、長という地位についている彼の実力をもってすれば、カーレンから簡単にルティスを引き剥がせるだろう。ただし、気が狂うほどの激痛と、丸三日間は喪失感による脱力で動けなくなるのは確実だ。廃人状態からベッドの上で目覚めるというのは、できれば体験したくない事の一つだった。
「脅したくもなるさ」
 疲れた表情を浮かべて彼は身を引いた。
「赤ん坊の時から使い魔を持っていた。そして、成長の早さ。私という前例があるからこそ特に違和感を感じなかったのが敗因だったな。まさか"第一位"だったとは。まぁよくも私相手に三百年間騙し続けられたものだと感心はするが。だが、逆にそれだけできる手腕があるのだ、後継者にしても不足はあるまい?」
「…………」
「あまりに正論すぎて、ぐぅの音も出ないらしいな」
 さらりととどめを刺されて、カーレンは大きく溜息をついた。また負けた。
「……他にまだあるだろう」
「さすが。話が早くて助かる」
 アラフルは、ドラゴンの時のようにぞろりと笑みを浮かべた。
「あといくつかある。一つでもできないか、あるいは手を抜けば、さっきの脅しが実行されるからな。心配するな、おまえができない事など里の誰にもできんさ」
 よく言うものだ、とカーレンは半眼になってアラフルを見つめた。
『頑張ってくださいよ。でないと私も厄介な事になる気がするので』
 足元から聞こえた小さすぎる声援に、カーレンは自分の影を軽く踏むと呟いた。
「……少しは私の心境も察してくれ」
 あるいは呼び出して踏み倒そうか。どうでもいい事へと思考を飛ばす事で、カーレンはこれからこの地で起こるであろう出来事を、今だけでも忘れ去ろうとしていた。


Top page >  Novels >  第一篇目次 > 本編
Back  Next