Dragon Eye

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第一篇 - 三章 『北の故郷』

-3- 空への飛翔

 ティアの目の前で、カーレンは盛大な溜息をついた。
「全く、こんな紹介をする羽目になるとは……。ティア、セル。あと……レダン。もう分かっているかもしれないが、この男が、現在のクェンシード一族の長を務めるアラフル・クェンシード。私の義父だ」
「カーレン」
「……何か?」
 後ろから声をかけたアラフルに、カーレンは嫌そうな顔で振り返った。
「私にも彼らを紹介してくれないか?」
 そう来ると思った、と言いたげな表情だった。が、あえてその言葉は飲み込んだらしい。カーレンは重く口を開いた。
「そこの少女がティア・フレイス。隣の少年はセル・ティメルク。この二人は私が中央大陸の港町で拾った孤児で、残る一人がレダンだ」
「姓は?」
「……クェンシード」
「ふむ……うちでは見ない顔だが?」
 彼は興味深げにレダンを見つめた。一方、見つめられた方は、軽く目礼をする。ややあって、なるほどな、と呟きつつも頷くと、アラフルは言った。
「まぁ、名乗るのは勝手だ。名前は汚さんでくれよ」
「もちろん――心得ているよ、長」
 レダンの口元に軽く笑みが浮かんだ。微妙に安堵したような色が見て取れるのは、それなりに緊張していたという証拠だろう。よく見れば、額に汗が滲んでいる。
 セルがその影で小さく胸を撫で下ろすのを見て、ティアはそっと笑った。
「さて。自己紹介も終わったところで、そろそろ出発するぞ」
「もうなのか?」
 カーレンが聞くと、アラフルはこれ以上はないというぐらいの呆れ顔になった。
「私がおまえに送ったあれは、急ぎの手紙だ。速達である事からも分かったはずだぞ。……どうせ世界中をほっつき歩いているおまえの事だから半年はかかると思っていたが、意外と早かったな」
「丁度オリフィアに寄る必要があっただけだ」
 言って、カーレンは背負った荷物の中から封筒を取り出した。
「……?」
 黙って話を聞いていたティアは首を傾げた。こんな封筒は、一体いつ受け取っていたのだろう。
「十年前の事はリエラから聞いているはずだが……その件に関しての追加事項と思ってくれていい」
 アラフルは封筒を受け取ると、小さく眉を潜めた。
「……新たな動きまで七年、か。彼らも相当慎重に事を進めているようだな」
「そろそろあってもおかしくない時期だ」
 ふん、と彼は鼻で笑った。
「最初にそれを迎え撃つのは私ではない。それはおまえの役目だな」
「……分かっている」
 重く頷くと、カーレンは目を細めた。
 話はそこで終わったようだった。アラフルは小さく肩をすくめると、懐にそれをしまいこんだ。
「ま、きな臭い話はクラズアに戻ってからだ。ウィルテナトまで一気に飛ぶぞ」
 言って歩き出した彼を、カーレンが呼びとめた。
「アラフル」
「ん?」
「わざわざ港に出て半年過ごす気になる程の用とは、一体何だ?」
「――ふ」
 答えずに軽く笑みを浮かべると、アラフルは人ごみの中へと歩いていった。
 ティアとセルが顔を見合わせていると、レダンが身をかがめて間に割り込んだ。探るような目は、真っ直ぐにカーレンと、その先にいるアラフルを見ている。
「族長は、カーレンに何か役目があるような事を言っていたね」
「うん……」
 セルが頷き、カーレンを見やった。
「一緒に旅をする仲間だから、ある程度信頼はしてるけど……たまにちょっと謎めいたところがあるんだよ、彼」
「話からすると、何か危ない事みたいよね……?」
 ティアが言った時、ルティスを伴って歩き始めたカーレンが三人を呼んだ。
「――三人とも、来なければ置いて行くぞ」
「うん、すぐ行く!」
 声をかけると、ティアは振り返り気味に二人を見た。
「レダンは私達と別れるのよね?」
「そうだけど……セルと会うまでに、ひとつ確認しておきたい事もあるからね」
「良かった。それじゃ、ちょっとしたお願いがあるんだけど、後でいいかしら?」
 レダンは頷き、顔を上げた。
「行こう。これ以上ぐずぐずしていると、本当に置いていかれそうだ」
 ティアは答えず、苦笑するだけに留めた。やや小走りにカーレンに駆け寄ると、彼は困ったように肩をすくめ、また歩き出した。
「話があるのなら、歩きながらだ。いいな?」
 ティアは目を瞠った。気付いていたのか。
「……うん」
 ティアは前を見ながら口を動かした。ルティスはともかく、あまりセルや、前を歩くアラフルに聞かれたくないからだ。
「さっきの事だろう」
「そう。それで……カーレンの役目って、何?」
「守人だ。クラズア山脈には、元からそこにいる者達以外は普段から生き物が滅多に立ち入らない。ただ、それでもドラゴンがいる事を知った者が、稀に害意を持って入り込んでくる事があってな。私は最初の旅に出るまでの間、ずっと入り口を守っていた」
「でも、それって危険な役目じゃ」
「そうだな。確かに危険だ」
 カーレンは何でもない事のように頷いた。
 だが、とティアは眉を潜めた。危険だという事が分かっていて、どうしてアラフルはカーレンにそんな役目を任せたのだろう。カーレンは自分でも言っていたように、全体的に発揮できる力が少ないはず。
「ひょっとして、他のドラゴンがカーレンを……」
 言いかけて、ティアはぴたっと口を閉じた。疎んじているからか、と聞くのは、本人を傷つけはしないのかと心のどこかで囁く声があった。ただ、カーレンは何となくその先を察したらしい。ふと思いついたように、彼は口を開いた。
「……そうか。そういう見方もあったな」
「え?」
「いや、何でもない」
 カーレンは首を振った。
 一方で、ティアは少し混乱していた。そういう見方もあったというのは、カーレン自身はティアの考えたものとはまた違う見方をしていた事になる。
「まぁ、おまえが心配したような事が原因ではないな」
 後から付け加えて、カーレンは少し笑ったが、ティアは笑うどころではなかった。無意識に直感が働いて、自分が考えた可能性は当たっていたのだと確信が強まった。
「でも……」
「ん?」
 ティアはじっとカーレンの紅い瞳を見つめた。その瞬間だけは、自分の唇が動くのが、やけに遠い世界での出来事のように感じられた。
「自分が痛めつけられただけなら、それでいいと思っては駄目なのよ」
「!」
 カーレンは大きく目を瞠り、驚愕の表情を浮かべた。虚を突かれたという言葉がそのまま当てはまるような驚き方だった。
「……、」
 やがて、ゆるゆると表情を崩すと、カーレンは首を振って深い溜息をついたので、今度はティアがぎょっとさせられた。これも違ったのだろうか。
 しばらくの間、お互いに黙って歩いていると、カーレンが口を開いた。
「ラヴファロウにも同じような事を言われたな」
 カーレンの言葉に、え、とティアは声を漏らした。ぽん、と頭の上に、ティアよりも一回り大きな手の平が置かれた。おかげで彼の顔がろくに見えない。
「分かった……抵抗はする。だから、これでいいだろう?」
 カーレンの顔はすぐに逸らされたが、ティアは確かに、カーレンが安堵したような表情を浮かべていたのを、長い指の間から覗き見ていた。
 ――まるで、いつも自分の行動に理由を求めているようだとティアは思った。
 もしかしたら、と、どこから降って湧いたのかも分からないような考えがティアの顔を強張らせた。慎重すぎるくらいに動く。それは、逆に言うと、自分が何かをする度に失敗しないかと、そう恐れている事にはならないのだろうか?
 ……多分、考えすぎだろう。ティアは溜息をついて、頭を振った。自分の考えた事が本当であっても、一体彼は何を恐れる必要がある? 最強の存在にもなれるドラゴンに、恐れるものなどないのだ。
 思って顔を上げると、視界には港町の検問が見えて来ていた。

□■□■□

「……さて、ここら辺りでいいか」
 アラフルは草地を踏みつけて地盤を確かめると、そう漏らした。
 ティアが後ろを振り返ると、遥か遠くに港町が見える。前を向けば、目の前に広がる草地の向こうに、小さくいくつかの山が連なっているのが見えた。
「カーレン、あの山がそうなの?」
「いや……あれはクラズア山脈じゃない。エレッシアの山だ。オリフィアにいた時に話したろう」
「ふうん」
 そういえば、そんな山があったか。頷くと、ティアはレダンがこちらを見つめている事に気付いた。
「何?」
 レダンは屈みこんで、ティアの耳元に口を寄せた。
「頼みがあるって言っていたろう」
 ああ、とティアは納得した。カーレン達に聞こえないようにと声を潜めて、ぼそぼそと囁く。
「あのね――」
 他の面々は何事かとティアとレダンをじっと見つめていたが、頼みを言い終えると、彼は笑った。
「それぐらいならいいよ。ただ、どうしても細かい調整が必要になるけど、それでいいね?」
「ええ。ありがとう」
 言って、ティアはカーレンを振り返った。
 カーレンは目を瞑っていたのか、片方だけを開けて振り向いた。紅の瞳が紫色へと変貌している。
「もういいか?」
 ティアは笑みを浮かべて頷いた。
 カーレンの姿が一瞬だけ掻き消え、オリフィアの時のように、漆黒のドラゴンが間近に現れた。首を巡らせ、カーレンはティア達を見た。
「気が早いな」
 アラフルは苦笑した。
「あれ? 目が……」
 セルが声を上げ、きょとんとアラフルを見つめた。
「ああ、これが私のドラゴンアイなんだよ」
 彼は濃紺へと変わった瞳に、悪戯好きな少年のような色を浮かべた。同時に、先ほどのカーレンと同じようにドラゴンへと戻る。
 ティアは唖然として、本来の姿であるドラゴンのアラフルを見上げた。鮮やかな緋色の鱗が目に付く彼は、濃い灰色の鬣をなびかせ、黒い牙を剥くようにしてぞろりと笑った。にやけたのかもしれないが、何か邪悪な気配すら感じられるような気がする。というより、この存在自体に聞き覚えがある。確か、『悪なる赤』という異名までついていたはずだ。
 カーレンがクルルル……と喉から太い溜息をついた。
『聖書はほとんど彼にまつわる話で埋め尽くされているだろう』
 ああ、とティアは納得した。一度、教会のミサというものを布教に来ていた宣教師に見せてもらった事があるのだが、そういえば、やけに真紅のドラゴンが率いた魔物達との戦争が取り上げられていた。
「という事は、僕達は生きた伝説に会ってるのかな」
『そういうことになるな。何ならどちらか、乗ってみるか?』
「いえ、遠慮しておきます」
 セルはやや引きつった笑顔を浮かべた。一方で、ティアは首を縦に振った。
「ティアちゃん!?」
「『悪なる赤』の背中に乗った事があるのって、聖人だけなんでしょ?」
 セルの叫びを無視して聞くと、アラフルは懐かしげに茶色の目を細めた。
『ずいぶん昔だった。まだ私が若かりし頃の話でな、死の息を浴びても立っていられるなら背中に乗せてやると言った事が発端だったか』
 言うと、アラフルは突然、豪快に口を開けて黒い息を吐き出した。
『ティア!』
 カーレンが本気で驚いた声を上げたので、これがそうかとティアは息を詰めながら薄っすらと思った。
 しかし、鼻につく臭いから察すると、実際は焦げ臭いだけの煙のようだ。
「どこがっ……死の息よ?」
 うっかり吸い込んでしまったティアが派手に咳をしながら聞くと、アラフルはくっくと笑った。
『つまり、ただのはったりだ。毒気を抜かれたあの奴の顔ときたら……! できる事なら見せてやりたいくらいだよ』
 アラフルは再びぞろりと笑った。
『私の洗礼を受けても立っていられたのだ。我が背に乗るがいい、ティア・フレイス』
 きっと、かつての聖人に対しても同じ事を言ったのだろう。煤だらけになった顔を拭うと、ティアは笑みを浮かべた。
 牙と同じく、黒く尖った背中の突起の間にティアがよじ登って跨ると、アラフルは首を持ち上げてカーレンに向かって笑いかけた。
『おまえも心配性だな』
『貴方の冗談は本当に洒落で済まない時があるだろう』
 そっぽを向いてカーレンは言った。憮然とした答えがおかしいのか、先ほどまでティアとアラフルを凍りついた様子で見守っていたセルが、噴き出すのをこらえながら彼の背に跨った。
「でも、僕達はアラフルと気が合いそうだな」
『お、分かってくれるか』
 アラフルが身体を揺らしたので、ティアはバランスを崩さないようにと慌ててしがみついた。
『アラフル』
 カーレンがたしなめた。
『心得ている。他人を乗せているのに飛び方が荒いとかどうとか……、エルドラゴンにも散々文句を言われたな』
 言って、アラフルはレダンを見やった。彼も既に、ドラゴンの姿に戻っている。こうして見ていると、三体のドラゴンが集まっている様子は壮観だった。間近で見ているのだから、余計にそうなのかもしれない。我ながら珍しい経験をするものだとティアは思った。
『ではな、レダンとやら。また会える事を祈っている』
『ああ』
 簡単に首を巡らせて目礼すると、レダンは軽い足取りでこちらに背を向けて尾を一振りし、一気に飛び立った。しばらく低い滑空を続けていたが、翼をはばたかせて空高くへと舞い上がっていった。
「……行っちゃったわね、レダン」
「うん。でも、どうせまたすぐに会えるからいいんだ」
 セルは明るく笑った。
「それよりも、人に見つかる前に早く行った方が良さそうだね」
『む。言う通りだな』
 わざとらしく眉間に皺を寄せるので、思わず笑いが込み上げた。
 アラフルは身を低くして地面を蹴った。久しぶりの飛翔の感覚に、ティアはやや肌を粟立てた。少し振り返ると、カーレンがすぐ横に並ぶ。
「どれくらいかかるの?」
『長くはかからない。一時間程度だが、風で身体が冷える。しっかり身体にマントを巻きつけて、落ちないように捕まっていなさい』
 ティアは頷いてふと目を細めた。
 まるで、本当の親のように世話を焼く口調が、どこか懐かしいと思ったのだ。
 そうする気はなかったのだが、ティアは身体をひねって、遠くなっていくエレッシアの山を眺めた。
 ――自分の親は、どんな人だったのだろう。生きているのだろうか。
 何度も自問してきた事に対して、ティアは複雑な思いを抱えていた。考えるその度に必ず声が聞こえてくる。オリフィアで覚えた頭痛とはまた別に、痛みは伴わなくとも、無意識に涙が出るのだ。
 声はずっと囁きかけていた。
 ――おまえだけしか助からなかったのだ、と。
 泣いているのを気付かれないように、ティアは目尻を乱暴に袖で拭い、目を見開いて前を見つめた。
 いつか必ず、なくした記憶を取り戻す。そして、自分の本当の故郷に戻りたい。
 旅を続けていて、ティアはそう思うようになっていた。

「……アラフル? 何か、カーレンの時とは比べ物にならないくらいの速さで飛んでるみたいだけど」

 耳に飛び込んできたセルの怒鳴り声にティアが下を向くと、彼の言っているように、眼下の景色が次々と後ろへと滑って行くのが見えた。確かに、オリフィアの時よりも早いようだ。
 アラフルはにやっと笑った。
『急ぎだからな。それにしても……カーレン、おまえ、ウィルテナトに居る時の『全速力』よりもやけに早いな?』
『!』
 何故かカーレンは僅かに目を瞠った。
『……はめられた、という事か』
 すぐにそれを隠して苦々しい口調で言われると、鼻から不機嫌に息を吐き出し、アラフルは首を巡らせて一気に下降した。
『徐々に速度を上げていたのに気付かなかったおまえの失敗だな』
 カーレンの表情は見えなかった。訳が分からず、ティアは兄を見上げて、目を合わせた。首を軽く傾げると、セルは横に頭を振る。彼にも分からないようだ。
『さっきも言ったが、急ぎだ。できる限り早く飛んでくれ』
 しばらく漆黒のドラゴンは返事をしなかったが、やがて頭上から溜息が聞こえた。それがどうやら了承の意味だったらしい。
 カーレンは険悪な声で言った。
『……セル。しっかり捕まっていろ』
 言うなり、カーレンは翼をはためかせ、横に一回転しながらアラフルとティアよりも低くまで高度を下げた。かと思うと、一気にこちらを追い越してしまった。おかげで、兄は返事をする代わりに悲鳴を上げる事になったようだ。尾を引くように声が遠ざかっていく。
 唖然としてその様子を見送っていると、一瞬で引き離されたにも関わらず、アラフルは笑うように咆哮を上げた。
『やはり、ドラゴンは常に全力飛行でなくてはな』
「それって掟?」
『いや、私の信条だ。こちらも速度を上げるぞ、ティア・フレイス』
 やはりというか、返事をする暇もない。
 一気に顔に当たる風が強さを増し、ティアはありったけの力でアラフルの背にしがみつかなければならなかった。

□■□■□

 エレッシア山の頂すれすれを飛んだためもあってか、巻き上げた雪や雲で視界が悪かった。冷えて痛む身体に、レダンは内心で小さく舌打ちをした。やはり、まだ本調子ではないところにこんな飛行をするのは無茶だったか。
 そんな事を思いながらも、山のすそを伝うように谷間へと降りると、絶壁の間を抜けた。
『……この辺りだったはずなんだけどな』
 呟いて、レダンは首をもたげて下を見た。
 眼下に広がるのは広大な平原だった。冬も迫り、もう初雪の気配がそこまで訪れているようだ。その中心を流れていく大河を認めて、レダンは一つ翼をはばたかせると、そのまま下降を始めた。
 ――ローラ、と呼ばれる河だった。空はほとんど厚い雲で覆い尽くされているため、割れ間からほんの僅か差す光は、空を映し出す黒い水面に映っている。光の中を通り抜ける度に、レダンの銀の鱗が日光で煌き、その様子さえローラの水は鏡となって捉えていた。
 何とも幻想的な事だ、とレダンは川に映る姿を見て思う。見る者がいれば美しいと謡うだろう、そんな姿がこの上なく醜いものに見えた。
 不愉快だった。レダンは水面すれすれまで低く飛び、自分の足先で水を撫ぜて、映る姿を消し去った。
『――、』
 しばらく河の水で白く長い水しぶきの筋を作っていたが、やがてレダンは意を決して、水の中へと飛び込んだ。ある程度深く沈みこみ、水泡の幕を押しのけるように、水を掻いて前へと進むと、頭だけを外に出して大気を吸った。再び潜り、身体をしならせて泳ぎ出す。
 目を凝らして水底を見つめていると、澄み切った暗い水の中で、レダンの鱗から放たれた僅かな光を跳ね返すものがいくつもあった。
 やはり、とレダンは目を細める。
 底に降り立つと、砂煙が水の中で巻き上がった。一気に濁る視界の中で、レダンは首を伸ばして、光を跳ね返していたものの一枚を咥え、また水面へと上っていった。
 大量の水を噴き上げながらもまた空中へと戻ると、レダンは軽く身を震わせて水をほとんど弾き飛ばし、岸へと飛んだ。これが予想通りのものかどうかを確かめなければ、自分の推測を証明するための入り口にすらならない。
 岸に登ると、レダンはじっと、何もない草原を見た。数年前ならばまだこの辺りにも人が住んでいたが、ある時を境に、この地に住む者は一人もいなくなった。その原因となった事件には、レダンも関わった事がある。意識を奪われ、ロヴェに身体をほとんど制御された形でだったが。それから幾度となく、いくつかの村を死滅へと追いやらせてしまった苦い記憶を、あえて今は奥底に封じた。
 さて、とレダンは、川岸に生えた短い草の上に、咥えていたものを落とし、まじまじと眺めた。
 黒い鱗だ。
 ……果たしてこれが、真実を知るための手がかりになるのだろうか。
『かつて、ローラの岸で栄えた大国……か』
 レダンは一人、小さく独白した。視線を巡らせ、エレッシア山の向こう側にまで思いを馳せる。
 ぱき、と乾いた音が足元でして、レダンは自分が何を踏み砕いたのかと目を落とし、そして、しばらく沈黙した。
 乾いて黄ばむほどに、月日の経った白骨だった。形から察するに、どうも腕の部分のようだ。離れたところには、腕の主と思しき死体が転がっていた。周りを遥か遠くまで見渡せば、草に混じって、同じような物が無数に散らばっている。よく目を凝らして見ると、レンガの崩れた跡や、家々や道の痕跡があちこちに見受けられたが、そのどれもが原型を残さぬほどに黒く焦げ、打ち砕かれていた。
 その場で立ち尽くしていると、柔らかく風が吹き抜けた。
 冷たく音もないそれに、まだ死臭が混じっているような気さえする。七年経ってもまだ色濃く残る闇の気配に、レダンは目を伏せた。暗闇に包まれ、漆黒のドラゴンの姿を思い浮かべる。
 炎に照らされ、薄っすらと浮かび上がった痩身。振り返る彼の眼には、深い絶望の色がある。力なく浮かんだ笑みは、全てを諦めているようにも見えたが、あれが本当の彼だとは思えない。
 おそらく、とレダンは考えた。あの状態からして、彼はほとんどレダンの事など分からなかったのではないだろうか。いや、それどころか、誰でも構わなかったのかもしれない。
 それでもカーレンの声は、今でもレダンの耳にこびりついて離れない。
 レダンは首を持ち上げて空を見上げた。
 僅かに漏れた冷たい金の光が照らし出すだけで、不気味なほど静かな世界が広がっている。死が深く大地に根を降ろし、いつ消え去るとも知れない場所だ。
『……きっとあんたは、俺に言った事を覚えてないんだろうけど。セルにはとんでもない頼み事をしてしまったかなぁ』
 ここには居ない彼にぽつりと呟くと、レダンは再び翼を広げて飛び立った。
 今、自分が胸に感じているものの名前は知らないが……、答えは出なくとも、自分は行かなければならない。
 失われた痛みなどに、いちいち構ってなどいられないのだ。思うと、レダンは前から吹き付ける風に目を細めた。
 空を覆いつくす雲から、白い雪の欠片が静かに舞い落ちはじめた。


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