Dragon Eye

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第一篇 - 二章 『迷いの地』

-4- 炎塔の少女

「どうして! どうして!? 何で、私じゃなくて――なの!? ――が犠牲にならなきゃいけないなら、こんな力なんて要らない!」
 遠く、耳鳴りの中で声がした。懐かしい声。幼いあの頃、自分の耳に届いた声が。
「落ち着け、――! おまえまで死ぬ気か!?」
 ああ、"あいつ"の声だ。そういえば、そんな事も言っていたっけ。
「じゃあどうして――は死んだの!」
「――っ」
 あいつの唇が動く。けど、どうしても分からない。何を言っていたのかも覚えていない。頭が動いていなくて、ただ目に入る光景が残った。それだけ。
「  、   」
 待って、争ってはだめだよ。私、ちゃんとここにいて、あなたと――の話を聞いてるのに。でも、こうなったのはもともと、あいつのせいだった。あいつさえ、――と出会わなければ、私達は幸せで居られたのにって。そう思った後に、じいの声が聞こえたんだった。

「――、という訳で……あの、エリシア様?」
「え?」
 はっと顔を上げると、報告に来ていた『じい』の姿があった。
「あ、ああ……ごめんなさい。もう一度言ってちょうだい、じい」
 言うと、エリシアは自分の気を紛らわせようと、辺りを見回した。が、見えるのは大理石で出来た壁だけだ。無用なほど広い円形の建物の中で、じいと二人でこうして話している。
 それにしても、とエリシアは溜息をついた。相変わらず、ここでの生活は違和感を覚える事が多すぎる。建物だけでも凄まじい量の金貨が飛んでいるだろうに、頭上にドーム状に広がる豪奢なステンドグラスや、吊り下がっているシャンデリアだって相当なものなのだ。
 建物と同じく円形の空間は、入り口から入って正面の少し奥が高くなっており、正面からの階段でのみそこに上る事ができる。その高台から、エリシアは少し遠くに跪き、首を垂れているじいの姿を眺めた。漆黒の床の上を滑るように敷かれた真紅の絨毯だけが、二人の間に道を作るようにして、入り口まで続いている。
「ええ。では、最初から……。先ほど報告がありましたが、進路からして、どうやらカーレンは北大陸へと戻る途中だったようです」
「それで、私が差し向けた者達は?」
「今のところ、エリック殿と精鋭十名を残して、送った増援はほぼ全滅したようです」
「……」
 エリシアは自身が身につけている衣(これもやはり豪奢なものだった)の長い袖を揺らして遊び、しばらくその様を眺めた。
 報告の最中に白昼夢など、よほど自我が飛んでいたようだ。それにしても……カーレンは相変わらず、人間の姿をとっている状態で力も衰えているというのに、ずば抜けた強さを誇っているようだった。
「人間の状態でもあれだけの戦闘能力を持ち合わせているとなると……我々にも相当の被害が予想されますが」
「もとから予想していた事よ。でも、これは想像以上の労力がかかりそうね」
「カーレンは長い間、人としてこの世界を放浪しております。今ではドラゴンを見かける事も減っておりますが、相当数が残っている事も確かです。何としても捕らえて、仲間の場所を吐かせなければ」
「そうね」
 エリシアは軽く頷いた。
「ねぇ、じい」
「何でございましょう、エリシア様」
「……ティアは見つかった?」
 返事を待ったが、七年前からいつも自分の問いに答えてくれたじいが、今回は答えを返さなかった。
「いえ……それが、報告の中に彼女も入っているのでございます」
「え?」
 驚きに目を軽く開き、エリシアは声を漏らした。
「リスコでカーレンについて調査を行ったところ、この町から二人の子供を伴って旅立ったようで、森でも姿が確認されております。一人が、エリシア様が仰るとおり、あなたと良く似た容姿をしていた、という事で」
「……カーレンはどうして北大陸に行くのだったかしら?」
「は、」
 低くなったエリシアの声に戸惑いながらも、じいは明快に答えた。
「おそらく、クェンシードの一族より呼び出しがかかったのではないかと」
「そう。ありがとう、もういいわ」
「では、御用がありましたら、またお言い付け下さい」
「うん」
 柔らかく笑んで頷き、エリシアはじいに背を向け、頭上を仰いだ。
 大扉が閉まる音が聞こえた後、この場で息をするのはエリシアだけとなった。
「……鳥かごみたい」
 呟いたのは、本当に自分が居る建物が鳥かごのような形をしていたからだった。ぽっかりと空いた空洞の中で一人、こうして閉じこもっているのもあるためか、外に出たいと思った。だが、今はまだ出るわけには行かない。
「いよいよなのね。カーレン……私とあなたの決着をつける時が、もうすぐくる」
 胸の上で拳を硬く握りしめ、エリシアは高鳴る気を静めようと深呼吸をした。
「ティアを返してもらうわ。私に唯一残された――たった一つ残ったものさえ奪っていくのなら、私はあなたを絶対に許さない」
 震える声で、遠く離れた場所にいるドラゴンに向かって呟いた時、背中にかかる声があった。
「よぉ」
「!」
 咄嗟に振り向くと、あざやかな銅色の髪が目に入った。振り向いたエリシアでさえ思わず仰け反るほど近くに出現したのは、見覚えのある一人の男だった。
「……あなただったの」
 ほっとして身体から力を抜くと、エリシアは脱力してその場に座り込んだ。
「そんなに驚くなよ。怪物じゃあるまいし」
「実際に怪物じゃないの。国ひとつ滅ぼすほどのね」
「皮肉のつもりか?」
 ロヴェは眉を寄せ、渋い顔をしてみせた。ついでとばかりに、伸び放題の髪を背中へと払う。よく前に落ちてきて、邪魔になるようだった。
「カーレンにおまえの事を伝えてきたよ」
 そのまま無視をしようとしたエリシアは、思わず振り返った。
「彼に会ったの? なぜ殺してこなかったの」
「レダンとばったり出くわしてね。相変わらず、何かに振り回されている感じだったなぁ。おかげで消耗が激しくて、もう一戦やらかしたらこっちが殺される危険があったよ」
 のんびりと話すロヴェに、エリシアは鋭い目線を送った。
「ティアには会わなかったでしょうね」
「まさか。おまえが会うなって言ったんだろう」
 ロヴェは音もなく笑って首を傾げた。何が面白いのかは、相変わらずエリシアには全く理解できない。
「けど、ティア・フレイスはおまえの見ていないところで二体のドラゴンに出会っている。レダンとカーレンだな」
「……ティアの名前を気安く呼ばないで。あなたみたいな者がここに居る事さえ、本来は許されないのよ?」
 エリシアが眉を潜めるのも気にせず、ロヴェはこちらの神経を逆撫でするような事を言ってきた。
「まぁ、おまえの大嫌いなドラゴンだからな。気持ちは分かるさ」
「人外なんかに気持ちを理解されたくないわ」
 苛立って背中を見せると、ロヴェは後ろでまだ笑っているようだった。喉まで鳴らし始めている。
「手厳しい事で。でも、俺に背中を見せてくれるって事は、一応信頼してくれているんだな」
「一応よ。それと、信頼ではなくて信用だけどね――っ!?」
 冷たくあしらう途中で、エリシアは背中に襲ってきた感触に唖然とした。
 後ろから回された腕が、自分の体を拘束するように抱えている。耳元でくすくすと悪質な悪戯を楽しむ笑い声が聞こえて、エリシアは自分の思考を空白から無理矢理に引き戻した。
 ――自分が背後から抱き締められているのだ。あの、ドラゴンに! 思った瞬間、猛烈な怒りと憎しみにエリシアの瞳が燃えた。
 振り向いて睨みつけると、エリシアの身体とその周りに深紅の火柱が立ちのぼった。が、本来燃やすはずだったロヴェの姿はない。どこに行ったのかと辺りを見回すと、身体の正面で視線がかち合った。咄嗟に手を上げようとすると、軽く手首を受け止められる。
「ドラゴンブレスとはね。俺がやったドラゴンアイをこうも使いこなすなんて……でも、結構怖い使い方をしてくれるみたいだ」
 ゆったりと余裕の笑みを浮かべながら言うロヴェに、自分でも底が見えないほどの深い嫌悪感を抱いたエリシアは、思い切りその目で睨んで圧力をかけた。普通の人間ならばこれだけで死んでいるのだが、ドラゴンに対しては異常とも言える魔力に関しての耐久力があるために、ほんの少しひるませるくらいしか効果はない。
「……今後、絶対に私に触れないで」
 手を振り払い、肩を掻き抱きながら後ずさると、ロヴェは微笑んだ。何気なく揺れた瞳にエリシアは一瞬だけ悲愴な色を見た気がしたが、それが何かを考える時間などなく、ロヴェは目を伏せた。
「やっぱり、俺とおまえ、立場は違っても似てるな」
「一緒にしないでよ」
「してる訳じゃないさ。俺は憎まれる側、おまえは憎む側だ。けど、信じていたのに裏切られたところだけは似ている」
「一緒にしないでって言っているでしょ!?」
 顔を歪めて叫ぶと、彼が何を思う間もなく、エリシアは暴風を巻き起こしてロヴェの身体に叩き付けた。ロヴェはあまり堪えなかったようだが、大人しく吹き飛ばされて、入り口のぎりぎりの所に降り立った。
「もう来ないで! あなたが居ると、私はいつも惨めな気持ちになるわ!」
 痛いほど肩を抱く腕に力を込め、エリシアは心底からロヴェを拒絶した。だが、彼はそれを全く無視して、エリシアの心の中に土足で踏み入ってくる。
「……惨めだと思うのは、おまえが心のどこかでドラゴンを憎む事を認めていないからじゃないのか?」
 冷徹な、それでいてどことなく沈んでいるような声だった。
 あまりの物言いに目を瞠ってロヴェを見ると、彼の姿はもう建物の中のどこにもなかった。
 逃げられた。
「――、」
 呆然とロヴェの言葉を思い返したエリシアは、その意味を考え、意味もなく込み上げた悔しさに罵声を上げてその場に泣き崩れた。

□■□■□

「はぁ……」
 とん、と壁にもたれかかり、エリシアの泣き声を聞きながら、ロヴェは重く溜息をついた。
 聞こえてくるのはロヴェやドラゴンを呪う言葉ばかりであり、時々神の矢に打たれて死ねなどといった決まり文句が入っている。
「あれは相当に重傷だな……」
 呟くと、ロヴェは疲れ果てた身体を少しでも休めるために、その場にずるずると座り込んだ。
 エリシアは否定しているが、ロヴェが彼女に言った事は嘘ではない。ただし、本人から見た場合だけであり、ロヴェは何となく事の真相を察していた。
 ああも綺麗に誤解をしているというか、思い込みをしている例も珍しい。れっきとした証拠を既に持っているのに、何度も思い返しておきながら全く気付いていない。だからといって呑気に傍観している場合でもないのは確かだが。
(にしても……)
 どうしてこうも自分があらゆる方向から憎まれなければならないのか。
 正直誰かに零したい気分ではあった。
(まぁ、憎まれるのには慣れているからいいけどな)
 思って、ロヴェは長く息を吐いた。そろそろエリック達を回収に向かわねばならないだろう。彼らの失態をエリシアに報告するじいに哀れみすら感じるが、塔の方こと"奴"の言いつけでは仕方がない。重い身体を引きずり上げるように立ち上がる。
 すっと目を伏せて、ロヴェは森の光景を思い浮かべた。ここから飛んでいくのでは恐らく間に合わない。時空を移動するというのはまた、難しい上にかなり力を食う能力だが、あっても使わないというのは賢い選択ではないと思う。
 やがて、微妙な空気の違いを感じてロヴェが目を開くと、どうした訳か、目線の高さに地面があった。目を瞬いて数秒考えた後、やっと自分が自身と同じ背丈ほどの、深い穴に立っているのだと気付いた。
「……何だこりゃ」
 辺りを見回すと、ロヴェは自分の周囲にいくつものフードマントを被った人間が転がっているのを見て、ああ、と思わず納得の声を上げた。
「シリエルの奴にやられたのか。あれほど木は切るなと注意をしたのに」
 これだから話を聞かない奴は、と文句を垂れながらも、ロヴェは折り重なって倒れている彼らの一人に歩み寄ると、かるく靴の先で蹴った。
「おい。起きろ、エリック。もう魔物もいないんだ、こんなところで気絶している場合じゃないだろ」
「……黙れ。既に起きている」
「だったら何で寝ているんだ」
 半分呆れ顔になってロヴェがエリックを見下ろすと、彼はのろのろとした動きで起き上がった。
「この顔を見れば……分かるだろうが!」
「あ?」
 苛立った口調に彼の顔を覗きこんでみると、ロヴェは一瞬のうちに、自分の目が皿のように丸く広がるのが分かった。
「それは……」
 ぶっ、と思わず口で手を塞ぐと、ロヴェはエリックの顔から目を逸らした。ますます険悪になっていく彼の気配が分かって更に可笑しさが倍増し、ロヴェは堪えきれずに爆発した。
「くっ……っぷ、ははははははっ! 何だその顔! 落書きか!?」
 これほど自分を笑わせてくれるものに出会った事は数える程しかない。だが、今のエリックの顔はその中でもかなりの出来だと言える。
 真っ赤なインクのようなもので、子供の悪戯書きのような絵が顔のあちこちに描かれていた。一体誰にやられたのかは分からなかったが、それにしてもこれは斬新な発想である。
「それ程笑う事かっ!」
 インクと同じくらいに顔に朱を上らせ、エリックが怒鳴った。よほど恥ずかしかったと見えて、この男にしては珍しくも、悔しそうな表情を浮かべている。瞳さえ、悔しさか恥ずかしさかよく分からない涙に潤んでいた。
「いや、これは、よっ、予想外だと……っ」
 否定しながらも、もう我慢ができなかった。ロヴェはその場に転がって腹を抱えて悶絶し始めた。
 その声に目を覚ました他の精鋭達も、自分達で顔を見合わせた途端に愕然と凍りつき、ロヴェの笑う時間を更に延長させた(つまり、彼らの顔も同様の手口でやられていたのだ)。
 涙を目尻に滲ませながら、ロヴェはもう一度カーレン達を追いかけようと決意した。こんな思い切りのいい悪戯をこの堅物に仕掛けられる人物が彼の連れに居るのならば、その連れを、諸手を振って応援してやってもいいと思ったのだ。

□■□■□

「う〜ん……」
 ティアはじっと兄の腰から下がっている鞄を見つめ、首を傾げて唸っていた。
 この、鞄からはみ出している紙は何なのだろう。
「……そんなに気になる?」
「うん」
 迷いもなく頷くと、セルは苦笑して、紙の端を摘んで引っ張り出した。ティアが顔を近づけてよく見ると、赤い絵具をふんだんに使って、子供の落書きのような絵が一面に描かれている。
「……まさか」
 ティアはこの紙を兄が何に使ったのか、すぐに理解できた。最近はなかなか材料となる紙や塗料が手に入らなかったのでやっていなかったが、よくこれを作って、乾かないうちにあのパン屋の顔に二人でぶつけていたのだ。しかも、紙を取り出したセルは満面の笑みを浮かべており、今までで一番楽しそうな目をしていた。きらきら瞳が輝いているようにも見える。
「何枚か同じようなのを作って、追手の顔に貼り付けてきたんだ。すごくいい出来だった!」
(……この人って)
 それが第一感想だった。
 今度奴らに出会えば兄さんも殺されるわよ、とは、とてもではないが言えなかった。あまりにも兄が幸せな顔で語るので、言う気になれなかったのだ。代わりに、ティアは紙から目を逸らして辺りを見渡した。
 この大木の上にやってきたのはいいが、セルから聞いたカーレン達が居るという方向から、何かが連続して爆発するような音が聞こえるのだ。
「兄さん。カーレンとルティスに会ったって言うけど、その時様子が変じゃなかった?」
「え? 別に普通だったよ。ただ、ちょっとルティスが怒っていたみたいだ」
「怒っていた?」
 ティアは聞き返した。
「うん」
 セルは紙を畳んで鞄にしまいながら頷いた。まだ嬉しそうな顔をしている。
「『やっぱり隠していたんですね!?』とか、『どうしていつもいつもそんなに頑固なんですか!』とか……」
 ご丁寧に口調と表情まで真似をしてくれたので、ティアはその時の状況が何となく理解できた。
「つまり、またカーレンがルティスを怒らせたみたいなんだよね……」
 腕を組んで唸るセルの姿を横目に、ティアは深く嘆息した。
「……カーレンもどうして懲りずに同じ事を繰り返しているのかしら」
「さあ――何だかんだで二人とも楽しいんじゃない?」
「……あれで?」
 ティアが聞き返した時、遥か遠くで一際大きな爆発が起きた。
「うん。――たぶんね」
 自信なさげにセルが付け加えた時、ティアは爆発の中から黒い影が飛び出してくるのを見つけた。遠めに見ても、影の形でルティスだと分かった。
「あ、こっちに来る」
 セルが言うとおり、ルティスは宙を滑るようにこちらへとやってきた。
 宙を駆けてくる事で余計な時間を省こうと考えたらしい。ルティスが恐ろしく不機嫌な顔をしているのを見て、思わずティアは、彼とその背中にのんびりと乗っているカーレンから目を逸らした。
「二人ともずいぶんと暴れたみたいだね?」
『シリエルが仲裁に入ったんですよ』
「それくらい派手にやっていたからね」
 あはは、とセルがからかい半分に言うのを見つめながら、ティアはどうしてこの兄はここまで見事に場の雰囲気を無視した発言ができるのだろうと考えていた。先ほどまではしっかりと考えている証拠が、彼の言った事のあちこちにあると思ったが、それが今度は全くない。相変わらずくせっ気が強い人間だ。――そもそもどうしてこんな事を考えたかといえば、ティアが目を逸らした時にカーレンが妙な色を浮かべた目でこちらを見たからだった。動揺したのを表に出さないよう、咄嗟に関係のない事を思い浮かべて逃げたのだ。
「……ティア」
 静かな声で、カーレンがティアを呼んだ。
「うん?」
 できるだけ自然体を装って振り返ったつもりだったが、思ったよりも真剣な目で見られていた。顔が強張るのを抑えられない。
 真紅の瞳が、相変わらずティアが見た事のない感情を秘めたまま怪訝気に細められた。
「何を持っている?」
「え?」
「鞄の中」
「あ」
 ティアは卵の破片の事を思い出し、鞄から破片を取り出してカーレンに見せた。よく考えれば、同じドラゴンであるカーレンが同族の気配に気付かない訳がなかったのだ。
「これの事?」
 破片を前にした途端、音がするのではないかと思うほど急激にカーレンの顔色が変わった。蒼白になったまま、震える唇で問いかけてくる。
「……これは、どこで」
「さっき森の中で見つけたの」
 答えると、カーレンは破片をそっと手にとって、指で優しく撫でた。
「まさか。レダンのものが、炎塔の手に渡っていたのか」
「たぶんそう。シリエルが悪用される事もあるって言っていたから」
『……マスター』
 不機嫌な面もこれを前にして吹き飛んだ様子で、ルティスが気遣うように声をかけた。
「近くに追手は?」
 聞かれて、ティアは首を横に振った。
「誰も居なかったわ」
 ティアが答えると、カーレンはしばらく破片を指先で弄って、何事かを考え込んでいるようだった。
「……そうか」
 カーレンは軽く頷いた。
「分かった」
「……?」
 何が分かったというのだろうか。眉を寄せてティアはカーレンを見た。
 セルもカーレンの言葉を不審に思ったらしく、静かに彼を見つめている。
 視線を一身に浴びる本人はしばらく目を閉じて破片を握り締めていたが、やがて小さく息を吐きだした。
 ティア達が何を思う間もなく、カーレンは紅い目を憂い気味に伏せ、手のひらに向かって息を吹きかけた。
「! カーレン!?」
 ティアは悲鳴を上げた。一瞬だが、破片が銀色に炎上したのだ。炎はすぐに治まり、何事もなかったかのように、カーレンの手の上には無傷の破片が残っていた。
「……ずいぶんと強い力だ。燃やそうとしても、私が力負けするな」
 呟いて、カーレンは口の中で何かを唱えると、自らを閉じよ、と小さな声で囁きかけた。セルには何の事かさっぱり分からないようだったが、ティアにはそれが、破片の力を封じるための簡単な儀式だと分かった。その証拠に、素のままでも何となく感じ取れていた寒気がなくなっている。
『マスター?』
 ルティスが言外に、良ければ私が、というような態度を見せた。
「いい。またやり直すのも面倒だ」
『ですが、長でも燃やせるかどうか……』
 彼の言葉に再び首を振ると、カーレンはティアに向き直った。
「これは、しばらく預かっていて構わないか?」
「別にいいけど……そんなにレダンの力が強いなら、燃やすのは無理だって事でしょう?」
「……いや」
 カーレンは否定して、破片を自分の懐に入れた。
「たった一つだけ、燃やす方法があるにはある。ただ、それが簡単にできる事ではないというだけだ」
「その方法って、どうすればいいんだい?」
 セルがいつの間にかルティスの横に回り込んで、毛をいじりながら聞いた。
「――ルティスの支配権を手放す事だ」
「……え?」
 カーレンは、それがどんなに重大な事かを知らずに言ったわけではなかっただろう。ただ、あまりに突拍子な発言だったために、ティア達はその意味を理解するのに、少し時間がかかった。
 まず、自分の耳を疑い、正常な事を確認し、続けてカーレンの言った事について考えた。
 ルティスの支配権を手放す――つまり、ルティスを、使い魔から、開放する?
「「…………えぇっ!?」」
 答えに辿りついた瞬間、ティアとセルは、素っ頓狂な声を上げていた。


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