Dragon Eye

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第一篇 - 一章 『ドラゴンの盟友』

-6- 各自に思う所あり

「で、何でこんなに手際良く準備ができるのかしらね」
 ティアはソファに座り込み、自分の姿を見下ろしながら呟いた。先ほどまで着ていた服ではない。給仕の男が持ち去ってしまったからだ。
 代わりに、新しい衣服がその身を包んでいる。
「それは……やっぱり、ラヴファロウが只者じゃないって事だと思うよ」
 と、目隠しとして立てられた衝立の向こう側から、セルの声が聞こえた。
「……そりゃそうだろうけど」
 でもやっぱり納得できない、とティアは口を尖らせた。
 それもそのはず、カーレンはどんな魔術でも使ったのか、ラヴファロウに一言呟くだけで、彼に快く承諾させてしまったのだ。一応念のために聞き直したが、断じて呪文などではない。ましてや、指定した魔術発動条件の言葉でもない(ティアはそれ自体を知るのも初めてだったが)。
(みちのけん……道のけん……道の件よね?)
 意味を確かめ、ティアは低く唸った。
「何の事なのかしら」
「あまり気にしない方がいいと思うよ。僕は少なくとも、数年ぶりにこんなまともな服が着れたし。ティアちゃんは初めて……とは言えないのかな? 七年前は着てたよね?」
 ティアは考えるのを止めて、記憶を手繰った。
 ……確かに、そんな感じはしていたが。大体、汚れていただけでなく、あちこちに焼け焦げがあったせいで、ほとんど使い物にならなくて服は捨てられたはずだ。
「着てたけど……でもやっぱり、どんなだったか覚えてない。そんなにひどい生活してたのね、私達」
 手首まで腕をすっぽり包み込む慣れない感触に、ティアは右の二の腕から肘まで、左手でそっと撫で下ろした。
 その手の分野とは程遠い場所にいたので良く分からないが……抑え目の白や淡い暖色があり、随分と女性らしい、柔らかな感じが溢れている。正直言って、あの将軍にこれほどの色彩感覚があるとは意外だった。聞けば、まだ青年にもならない頃は、よく王都に住む幼い子供達の為に、いろいろと絵を描いたりして遊んでやっていたらしい。思っても見ないところで培われていた才だが、どうして貴族である彼がそんな事をしていたのかは謎である。
 おそらく聞けば話してくれるのだろうが、何となく、それを少し避けている感じがした。それでティアも、あまり深くは突っ込まなかっただけだが。
「そうだね」
 同意するセルに、ティアは沈み込んでいた意識を浮上させた。
「着替え、終わった?」
「うん。もう済んだよ」
 衝立の陰から、長身痩躯の青年が出てきた。
「でも、湯浴みとかが大変だったね。せめて健康でなくても、身体だけでも、とか言われて熱々の布で身体のあちこち拭われたり、やたら熱いお湯をかぶせられたりしてさ。言われるまでてっきり虐待行為かと思ってたよ」
 極端に突っ走った兄の冗談に笑うと、ティアは立ち上がってセルを見た。
「……やっぱり、私と一緒でちょっと大きいみたいね」
「仕方ないよ。孤児って不健康な子が多いもん。僕やティアちゃんみたいに身長が伸びたの、多分奇跡に近かったんだろうね。たまにチーズとか、そんな感じの乳製品を持ってきて食べるのを覚えた頃から、背が伸びだした気がするけど」
 肩を竦めながら、セルは自分の額辺りに手を当て、上へ引っ張った。背を伸ばすというのを動作で表現してみたらしい。
「とりあえず、必要なものはこれから付けるさ。旅ばっかしてるから、ちょっと偏りそうだけど……ろくな物が食べれないよりは何だってマシ」
 セルは微笑むと、部屋の唯一の出入り口であるドアへ向かって声をかけた。
「カーレン、ルティス。終わったよ!」
 一泊あいて、ドアが僅かに軋みながら開き、できた隙間からルティスがするりと入り込んできた。遅れて、カーレンがゆったりした動作で部屋に踏み込んでくる。つと視線を上げ、セルとティアの立ち姿を認め、次いでざっと全身を眺めた。
「……少しだぶついているな。まぁ、間に合わせなら仕方ない、か」
 ぽつ、と漏らした感想に、ルティスが同意の意味を込めて頷いた。
 相変わらず、宝石と見紛う程に鮮やかな赤色の瞳を伏せて、カーレンは吐息を吐き出した。意識してのものだろう、と気付いたのは、部屋の空気が張り詰めたのを感じたからだ。
 しばらく集中していたらしい。やがて、カーレンは目を開いた。一瞬、彼の瞳孔の奥で、紫電が閃くのが見えた。
「春の祝福を」
 耳に声が届いた途端に、着ていた衣服の着心地が明らかに変わった。目に見えての変化はないが、体の温度を保つ術でも服にかけたらしい。
 軽く触って確かめると、ティアは頷いた。
「ありがとう」
「礼を言う必要はない。この程度なら、調整をして術を吹き込むだけで済むからな」
 熱に魔力を混ぜて服に織り込んだだけだと言いたいらしい。察してティアは笑った。
「やっぱり、ドラゴンは魔術が得意なの?」
「さぁな。――が、少なくともドラゴンの中に、向き不向きは有りながらも、魔術が使えない者はいない。ちなみに、ルティスは――」
 カーレンは足元にちょこんと居座る従者を見下ろし、少し考えているように見えた。
「――彼は、"闇"の術を使うのが得意だ」
「闇?」
『また機会があればお見せしますよ。人間の中でもちょっと優れた者どもに言わせれば、私は"邪悪で強大な力"を持っている魔物だそうですから。町中で使えば、明らかに精霊ではないと分かるでしょう? それにしても、人間という生き物は誇張が好きですね。我々の居場所はたくさんありますが、彼らが正義を名乗って仲間をどんどん殺していく様は、見ていて滑稽でしたよ。一応私達も命を持って生まれてきたのに、これじゃ完全な差別と偏見ですね』
 と、彼は少し、困ったように首を傾げた。
 そこで、ティアは少し俯いた。
 自分も同じように、ユーラを殺そうとした事を思い出したのだ。
『いえ、貴方は仲間と、自分の身を守る為に彼の魔物に対峙した。死にたくないから生きようとあがく、誰にも平等に許された行為ですよ。最も、そのお陰で一番地に近い行為だと軽蔑されていますがね。やり方次第とはよく言ったもので、人はいくらでも綺麗にしていますが、所詮本質はそれです』
「……人より、魔物の方が物事をよく知ってるね」
『我々は長い時間を生きられますから』
 しみじみと呟いたセルに少し背伸びをするように言って、ルティスはカーレンの足の上から退いた。ティアは今しがた気付いたのだが、ずっと足を踏んづけていたらしい。それでも足の持ち主が怒りもせずに、ルティス蹴飛ばす事もなかったのだから驚きだった。もう少し短気かと思っていたのだ。
 ソファの上に這い上がるルティスの後姿を見やった後、カーレンはその隣に座って、肘の下に潜り込んでくる黒い毛並みを軽く撫でた。そればかりか、息苦しさを感じていたのか、襟を緩めて、軽く首筋を晒していた。
『マスター……行儀が悪いですよ』
「別に構いはしない」
 ルティスの諫言と、それを聞こうとしないカーレンの様子に、ティアは僅かばかり苦笑した。
 緩んでいたカーレンの表情が真剣なそれに切り替わった。
「あまり時間的に余裕がない。すぐ出発する事になるんだが……構わないか?」
「うん。僕らは全然構わないよ」
 セルが答え、ティアも兄に同意して頷いた。
「そうか」
 カーレンは少し安堵したような表情を見せた。
「でも、どうして北大陸なんかに向かう事になったの?」
「それについては、少しややこしい事情がある」
 やや渋い色が彼の目に浮かんだ。
「手紙は、父が私に宛てたものだった」
「お父さん!?」
「……義父だがな」
 小さく補足をつけ加えて、カーレンは小さく息を吐いた。
「名を、アラフル。……クェンシードのドラゴン一族の長だ」
「長……って事は、ドラゴンを束ねる王様みたいなものがあるって事なのね?」
「具体的な役割はそれに近い。ドラゴンの間に身分制度はないが、その代わり、誰でも力があればそれなりの地位につける、どちらかといえば実力派の社会。そして、私は故郷であまり争う事をしてこなかったため、地位はそれほど高くない。むしろ低い。それでも曲がりなりにも、私はアラフルの養子だ」
 ティアの確認に、カーレンは顔に重く沈うつな雰囲気を漂わせた。
「これが話をさらにややこしくしているんだ。さして地位のないはぐれ者のドラゴンでも、血を引いていなくても、名前を引き継いでいるからな」
 ティアとセルは頷いた。
 カーレンは更に細かい点をティア達に解説していった。
 ドラゴンの名前はそれ自体で呼んでも構わないが、長い名前が基本的に多いために、そのドラゴンを表す称号のような物があるらしく、それを冠符と呼ぶのだそうだ。
 これについては、ティアも聞いた事があった。魔物の間にも、特に力を持った者などが、この冠符を冠する事が稀にあるのだ。
「ルティスは冠符を持ってるの?」
『持っていますよ。使い魔になる前の事ですが、"闇なる者"……とか何とか言われていた時代がありました。全部じゃないです。不吉な文句ばかりで聞いてて流石に嫌になった記憶があるので、全ては言いません。必要になったら、又は、機会があれば、ですね』
「って事は、相当に強い魔物って事? つまり、ただのブラルじゃないのよね?」
『当たり前ですよ』
 ルティスは尊大に頷いた。
『けど、北大陸に入ったら、この事は口外しないとお願いします。あと、姿を見る事は少なくなるでしょうし、頬擦りしておくなら今のうちですよ』
 ティアは驚きに目を瞠った。そのまま、立ち上がってマントを身につけていたカーレンを見やる。
「どうしてなの?」
「……故郷では、使い魔は、主人と同じか、それ以上の格を持つ者の前には姿を現したり、干渉してはいけない。また、それを許してはならないという決まりがある」
 カーレンが溜息混じりに説明した。
「使い魔同士での大規模な争いが、二十年前にあってな。いろいろ事情もあって、アラフルが禁じたんだそうだ。私は故郷を離れて、同じ北大陸の西部、エリュッセル山脈の中腹に住み着いていた。だから、あまり詳しい事は知らない」
「へぇ……」
 ティアは頷き、エリュッセルか、と呟いた。
 ぼうっとしていると、頭の中が少しもやのように霞んだ。
(『――あの山向こうから来た。人はエリュッセルと呼ぶらしいが』)
 そうそう、そんな事を昔誰かが――
「ん?」
 ティアは目を瞬かせた。今、声が聞こえたような気がした。振り返ると、セルが居る。
「セル兄さん、今、何か言った?」
「え、何も言ってないけど」
 セルが困ったように眉を潜める様子を見て、ティアは首を傾げた。
「……? なら、いいんだけど」
 気のせいかと思おうとした。だが、とティアは思いとどまった。似たような声を、以前にも聞いた事があった。ほんの三日前。記憶の夢を見た時だ。
 『行け』と、そう言った声に、ほんの少し似ている気がしたのだ。
(まさか、記憶が?)
 眉根を寄せて思った時、僅かに鈍い頭痛が弾けた。
「痛っ……?」
 ようやくティアの異変に気付いたカーレンが、覗き込んできた。
「どうした?」
「ん……頭、痛い――けど、収まったわ」
 実際、少しさすったら頭痛は消えた。考えすぎなのかもしれない、とティアは立ち上がって微笑んだ。
「ちょっとだけ疲れているのかもね。でも、大丈夫。そろそろ出発する?」
「――ああ。だが、また痛くなるようだったら言え。慣れていないせいで、身体が弱っているのかもしれない」
 少し気遣うような視線だけを残して、カーレンは部屋から外へと出た。その後を、ルティス、セル、最後にティアが出て、ドアは閉められた。
「……さて。ラヴファロウに暇を告げなければな」
 カーレンが、思い出したようにぽつっと言った。
「おう。ま、達者でな、とか言いたいとこなんだが……」
 いきなり後ろから声がかかった。ぎゃ、とセルが驚いて悲鳴を上げ、ラヴファロウは少しばかり顔をしかめた。
「『ぎゃ』はねぇだろ、『ぎゃ』は。何を蛙が潰れたみたいな音出してんだって。俺はちょっと注意をしに来ただけだからな」
「……注意?」
 カーレンが振り向き気味に、少し低い声音で聞き返した。
「ただの風の便りだ。別に気をつけるほどでもねぇけどな。……ここんとこ、北の方がいろいろ妙に騒がしいらしい。平原で何がおっぱじまるかわかんねぇから、気ぃつけろよ。他の旅人の話もよく聞いとけ」
「……分かった。感謝する」
「もう一回言っとくが、くれぐれも気をつけろ。この王都に黒馬が五騎向かってるって情報が間諜から来てるから、慎重に、急いで大陸を出るんだ。足とかはなるべく俺が揉み消しとくし」
 揉み消しとく、のところでラヴファロウが指を立てるのを見て、カーレンは呆れた。
「乱用じゃないのか」
「大丈夫。おまえは俺のアレだし、王にもよぉっく話を付けとくから!」
「……アレって?」
「ガキは知る必要のねぇ話」
 にやにやと下品な笑みをラヴファロウが浮かべたので、ティアはそうではないと分かっていながらも、思わず疑いの視線をカーレンに送った。
 彼は目を逸らして見なかった振りをした。
『……貴方達が思っているような話ではないので大丈夫ですよ』
 というルティスのフォローが入らなかったら、もう少しでラヴファロウの言葉を間違った方向に取る羽目になったかもしれない。ティアは安堵よりも、感謝の気持ちから頷いた。

「……あの好色漢が」
「まぁまぁ、抑えて抑えて……」
 屋敷を出た後、カーレンがぼそっと毒付き、セルがなだめるのを聞き流しながら、ティアは手の中に握り締めていた物をそっと開いた。
 小さな紫水晶だ。
「………………何なのかしら、これ」
 聞こえないくらいの囁き声で呟き、ティアは首を傾げた。
『あいつは多分忘れてるだろうから……これ、おまえが持って行け。落とすなよ。こんなに質がいい石は、なかなかねぇんだぞ』
 そう言って、ラヴファロウが出掛けにこっそりティアに握らせた石だ。見たところ、外観はただの紫水晶にしか見えないが……ドラゴンアイを少し使って『見』れば、違いが分かった。
 宝石が普段放っている輝きと、この水晶の輝きは、格段に違うのだ。何がというと説明に困るのだが、強いて言えば、普通ではない、かといって誰かの魔力でもない、この石だけの特性が秘められているからこその輝きだ。
 自然な光を認めてからドラゴンアイを収めると、ティアは水晶に小さな穴が開いているのに気付いた。
 ラヴファロウが持たせてくれた腰の鞄に手を突っ込むと、やや乱雑にあさって目的の物を探し当てた。緋色の組み紐だ。最初中身を確かめた時、中途半端な長さに何に使うのかと頭を捻っていたのだが、これで分かった。
 試しに穴に紐を通すと、するりと通ってくれた。
「これでよし……っと」
 首から水晶をかけると、ティアはそれを服の中へとしまいこんだ。少し首に違和感があるが、直に慣れるだろう。少なくとも、これで落とさない。が……強度を考えれば、カーレンの首飾りのように鎖などに変えた方がよさそうだった。
 視線を上げれば、カーレン達が少し前で待っていた。
「ティア。何をしていたんだ?」
「ううん、別に」
「……?」
 思わず笑いを漏らしながらカーレンの前を通り過ぎると、ティアは振り向いた。
「ほら、早く行かないと。急がないと雪が降るし、追っ手が来るんでしょ?」
「……ああ」
 カーレンが頷き、セルとルティスは顔を見合わせて不思議そうな顔をした。
 ティアは構わずに空を見上げた。少し雲が多いが、青空が覗いている。差し込む太陽の光にティアは目を細めた。

□■□■□

 エリック・ヒュールスは苛立っていた。ぱっとしない天気の事ではない。自分のすぐ前を馬にも乗らず、息すら切らさずに同じ速度で走っている得体の知れない男の事でもない。
「ええい……! まだオリフィアの王都にはつかないのか!」
 もう少しのところで取り逃がした、あのドラゴンの男の事に対してだった。まんまと街道で出し抜かれ、しかも新入りである男は、あろう事か、捕えられる状況が何度もあったのにそれを実行しなかったのだ。
「そう早まらない方がいい。物事には順序も速度も決まってる。早急に事を進めれば、最初から破綻してしまうだろう?」
 異様な耐久力で悠長に話す男に、エリックは歯噛みした。
「ふざけるな! 元はといえば、貴様がカーレンを取り逃がしたのが原因だろう! これがあの方に知れればどうなるか……!」
「でも結局はただの私怨なんだろう? そうでなかったら、どうして末端の俺達がこんな事をしているのか聞きたいものだね」
「私はおまえが何故カーレンをそのままにして置いたのかを聞いているんだが?」
 語気も荒くエリックは男に詰問した。
「うん?」
 呑気に思案しながら、彼は銅色の中途半端に長い髪を背中へと払った。
「そりゃ、仮にも同族を一体押さえ込むだけでも骨なのに、同じ場所にもう一体居たからだよ。下手したら一瞬で消し炭になってたかも知れないなぁ」
「はっ。貴様の都合なんか知るか」
 男は不意に口をつぐんだ。
「……あのさ。一応俺、これでもドラゴンなんだけど。畏怖とか敬意とかはないのかな?」
「貴様など塔の方に比べれば何の価値もないだろう、ロヴェ」
 ロヴェと呼ばれた男は、少し不快そうに眉を潜めた。
「俺としては屁でもないと思ってるんだけどな」
「何だと?」
「おや、やる気かい?」
 ロヴェが目を細めた途端、得体の知れない、ぬるりとした冷たい感覚が、喉元から臓腑にすとんと落ち込んだ。
 洒落にならない殺気に、馬が気忙しげに嘶き、仲間の四人がどよめいた。
「落ち着け。――そんな気はない。だがあの方だけでなく、塔の方まで侮辱する気なら、俺が許さん」
 ロヴェは肩を竦めた。
「まさか。おまえに俺が倒せるの? ただの人間の癖に、そんな大仰な事を言っていたら、俺がおまえ達を灰にしてやるから。そのつもりでな」
 ちらりとその口から火の粉が漏れたように見えたのは、気のせいだろうか。
 ふとロヴェは表情を消して、立ち止まった。察してエリックや他の男達も黒馬を止める。
 遠くを見るように顔をやや上へと逸らし、ロヴェは呟いた。
「……王都から気配が出たな。旅立ったみたいだけど、もう一つ余計な奴が居る。リスコで邪魔をされた奴だ」
「何だ、その邪魔をした奴というのは」
「……」
 エリックは不快感も顕わに聞いたが、ロヴェはすぐには答えなかった。
「……レダン・クェンシード。破壊王染みた、無茶苦茶に凶暴なドラゴンだよ」
「何だと?」
 エリックは自分の顔がさっと蒼白に塗り替えられていくのを感じた。
「レダン……?」
「何だ、知ってるのか。おまえ達が知ってるなんて、驚きだな」
 物言いは苛立つが――ロヴェが軽く驚いた様子を見せた。
「知っているも何も、レダン・クェンシードは、十年ほど前に塔の方のご子息を殺しているのだ」
 エリックは顔をしかめた。一方、ロヴェはさして興味も持たなかったらしい。
「へぇ、子息をねぇ……ん?」
 代わりに別の事に気付いたのか、ロヴェは首を傾げた。
「これは、塔の……いや、違う。もっと別……くそ、ああそうか。レダンの奴だな」
 遠くの王都に向き直ると、ロヴェはぶつぶつと呟き出した。
「何を言っているんだ。寝言でも言っている暇があったら、さっさとカーレンを追うぞ」
「待ってくれ。リスコから追って来ている時も何度か感じたが、カーレンの近くにはレダンもいる。手を出すのは危険だ」
「正気か。レダンとカーレンの間にはあの事件がある。埋められぬほど深い溝と固執ができているんだぞ。片方に危険が迫ったからといって、助けに行くものか」
 エリックは言ってせせら笑ったが、ロヴェは首を振って否定した。
「カーレンが危険になったから、レダンが助けに行く。そんな事は有り得ない。だが、助けに行かなくてはならない理由がレダンにはあるんだ」
 琥珀色の眼差しに、ロヴェは真剣な色を浮かべた。
「性質が悪いのは、その事をカーレンが知らないってところだ。これじゃ、当分二人は同じ方向に行くから手出しができない。俺達が突っ込んで行っても袋叩きに合って無駄死にだ。少し様子を見て……衝突で疲弊させた方がいい」
「どう奴らを引き合わせるつもりだ?」
 エリックは思わず興味をそそられて聞いた。
 ロヴェは答えず、その目を真紅に変えた。ドラゴンアイだ。
 突然辺りに満ちた魔の気配に、馬が本能から後ずさった。それを止める事もできないまま、エリックはロヴェがドラゴンの姿へと変貌していく様を、暴風に巻かれながら見ていた。
「……どうするつもりだ?」
 もう一度問うと、黄金色の鱗が太陽に僅か煌き、ロヴェはそのドラゴン特有の長い首を巡らせた。
『レダンを叩く。合流場所はシリエルの森……意味は分かるよな?』
 言って、次の瞬間、ロヴェの身体は一瞬で空の小さな染みと化していた。
 北西へと滑っていく影を見送ると、エリックは頭を振った。
「信じられん……。あれほどの身体能力を持ってしても、カーレンを取り押さえるのが至難の業だというのか?」
 言って振り返ると、エリックは仲間に指示を飛ばした。
「誰か、行って増援を呼んできてくれ。シリエルの森で捕える!」
 命を受けて黒馬が一騎、走り去る音が聞こえた。
 エリックは王都を睨みつけた。正しくは、彼らが狙う者の進む方角を。
「待っていて下さい……必ず、貴女と、塔の方の許に」
 祈りのように呟くと、エリックは己が心酔する少女の名を口にした。
「――エリシア様」

□■□■□

 王都、と呼ばれているだけで、この都市に名前はない。オリフィアの王城があるから、単にそう呼ばれ、親しまれているだけだ。白い都という別名の由来にもなった純白の王宮。その一角である中庭で、道の両脇に立ち並ぶ柱の一つに、レダン・クェンシードは見事な庭園を見下ろす格好で腰掛けていた。
「――ふん。やっと動いたみたいだな。塔の方も、あいつらも」
 レダンは軽く鼻で笑い、嘲りの意味を込めて口角を吊り上げた。喉の奥を鳴らすように笑を堪えている。もし、
「おい、そこで何をしている?」
 と声がかからなければ、周りを気にせずに大笑いしていたかもしれない。
「ん。あ、見つかったか」
 ちら、と声のした方を見やると、レダンは座っていた場所から飛び降り、地面に降り立った。
「何って、偵察だけどね? 王に突き出すつもりなら、止めた方がいいよ」
 答えて視線を上げると、高官の服に身を包んだ若い男が立っていた。服装や剣を腰に帯びている事からして、騎士団の総将らしい。頭髪の左半分が白く、残ったもう半分は青みを帯びた黒色をしていた。
「別に突き出すつもりはない。ただ、知り合いに似てるんで、まさかと思っただけだ」
 顔をしかめて、男は言った。
「口調が違う。おまえ、カーレンじゃないな?」
 レダンは一瞬唖然とした。
「……へぇ。カーレンを知ってるのか。じゃ、俺の事も聞いてるんじゃないのか? レダン・クェンシードだよ。初めまして、将軍殿」
 一目で役職を見破った事に対して、男は眉一つ動かさなかった。
「俺はラヴファロウ・スティルド。あいつに何か用でもあるのか?」
「いや、まさか。見守っていただけだよ」
 レダンは笑みを浮かべた。僅かに殺気をちらつかせると、男は嫌そうな顔をした。
「やめろ。言っとくが俺は、なりふり構わずに殺し合い――なんて事はしねぇ主義だぞ」
「そうか」
 頷いて気を鎮めると、ラヴファロウは首を傾げて見せた。
「ところで、見守っているってのは何だ?」
 レダンは一泊置いて、彼がしたそれと全く同じ仕草をした。
「あれ? そういや、何を見守ってたんだっけ」
 思考が……というより、理性が霞む。この所、よくこんな事が起こっていた。
 と、自分を見つめるラヴファロウの視線が、段々胡乱気なものに変化しているのに気付き、レダンは慌てて手を振った。
「いや、そうじゃない。ここんとこ調子が悪くてね。……ただ、俺は見守っていなくちゃいけないんだ。決めたから」
「はぁ?」
「だから、見守るって決めたんだよ。あの子をね。ずっとリスコを見てたんだ」
「……なっ」
 ラヴファロウの顔が驚きの色に染まった。しかし、彼が何かを言うよりも早く、レダンは言葉を重ねた。
「なぁ、将軍」
 レダンは溜息混じりに空を見上げ、ぽつりと一言、
「――カーレンは北大陸に向かうんだな?」
「あ、ああ」
 生返事の肯定が返ってきた。
 よし、と呟き、レダンは素早く自分の望む場所を思い浮かべた。
 転移の気配を察してか、ラヴファロウが慌てて聞いてきた。
「おい――どこに行くつもりだ!?」
 答える義務はないが、レダンは視線を彼へと寄越し、銀の光で薄れ始めた身体を見下ろしながら、答えた。
「俺も北に行く。……森で気長に待つさ。もしもカーレンに相応しくなければ、もう一人には悪いけど、俺が奪わせてもらうよ」
 冷たく薄い、のっぺりとした狂気の笑みを浮かべて。



 ――この先に何が待ち受けていて、その結果はどうなるのか。
 まだ、誰も知らなかった。


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