Dragon Eye

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第一篇 - 一章 『ドラゴンの盟友』

-3- 道化将軍

「カーレン〜〜〜〜〜〜っ!」
 そのやけに元気が有り余っていて、再開の喜びを全身で訴えるような男の声が耳に届いた瞬間、ティアは危うく手に持っていた穀物の蒸しパンを取り落とすところだった。セルも似たようなことをやりかけていたが、カーレンによってパンは救出された。
「来た……」
 この世の終わりのように呻いて、カーレンは諦めたように空を仰いだ。
「あのバカは町中での態度すら変えるつもりがないのか」
 それでも屋台で買った食事を取り落とさないでいられたのは、慣れていたのか、それともあまりに驚いて何も反応できなかったのか。恐らく後者だろう、とティアは判断した。
 ところで、この声を発した人物は誰なのか、と冒頭の奇声がした方向に目を向けると、こちらを目掛けて全力疾走してくる、若い男の姿があった。
 ティアから見て左半分の髪が真っ白だった。そちらは短くうなじの辺りで切りそろえられているのに対し、右半分は青みを帯びた背中まで届く長い黒髪だ。こちらは一つにまとめて、端を肩から垂らしている。くっきりした目鼻立ちや顔の様子を見ても、カーレンよりも少し年上に見えるが、それが子供の輝きに満ちた目で飾られていると、ややちぐはぐな印象があった。
 カーレンはそれを見て、今すぐ逃げるか、それとも反撃すべきか決めかねていたらしい。やや焦りの色が顔に浮かんでいた。
 そして、男は知ってか知らずか、ティアの前を走り抜け、腕を広げてカーレンを抱擁の嵐に巻き込もうとした。
 巻き込んだ、ではない。その絶妙なタイミングにカーレンが行動を起こしたため、男の行為は未遂に終わった。
「…………助かった」
 ぽつ、と呟き、カーレンは強い安堵感を全身から滲ませた。というよりも、危なかったといった方が良かったのではないだろうか。一つ間違えると、カーレンの身体は男の突進によりしばらく宙を舞っていたかもしれない。
 が、カーレンの身体が条件反射で動いて男を地面に縫い付けたことで、彼はどうにか抱擁の難を逃れることに成功した。
 同時に、ティアは奴とはこのことだったのだと納得した。確かに、町中で見かけるたびに体当たりをされては、受ける身としては堪らないだろうが。
 それよりも、カーレンの零した言葉が気になる。『町中での態度』といえば、まるで他の接し方があるかのように聞こえるからだ。
 カーレンに訪ねると、彼は少しだけ黙って、
「後で話す」
 と答えた。
「……カ、カーレン。ふ、つれなひとはいえ、このひうちはひほい」
『つれないとはいえ、この仕打ちはひどい、と言っています』
「それは分かるんだけど……この人、すごく身分高そうだよ。足蹴にしちゃって大丈夫?」
 セルは言った。
 それもそのはず、男は王都にいながら、周りの者よりも数段に豪勢な服に身を包んでいる。おまけに、髪の根元から覗く明るい金の色に、どうもこの黒髪は染めたものらしいと気付いたようだった。
 ティアはなんとなくこの人物がある程度の地位に居るだろうことは察していたが、あえて何も言う気にはなれなかった。この男は間違いなく貴族だ。……ということは、この国の重要な立場にいる者の顔を、カーレンはあろうことか土足で踏みにじっているのだ。大胆不敵な行動だったとも言えた。
 いつまでたってもろくな抵抗の気配を見せず、もしや軽い脳震盪でも起こしているのでは、とティアが心配し始めた頃、カーレンもようやくそれに気付いたらしく、足をどけた。
「この人、誰なの?」
 ティアが聞くと、男の顔色が一気に青ざめた。
「まさか浮気して「黙れ、この猫被り」
 再び足蹴にされている男。言わなければいいのに、と思っていたが、どうやら周りの王都に住む住人たちにとっては見慣れた光景なのか、苦笑の声しか漏れてこなかった。
 が、またカーレンは、普段の男がこんなふざけた調子ではないと言うような言動を繰り返している。
 カーレンはようやく男を解放すると、胸倉を乱暴に掴んで引きずり上げ、無理やり立たせた。
「うっ……カーレン、もう少し丁寧に扱えよ」
「やかましい。――だから町中でこいつと関わるのは極力避けたかったというのに!」
 未だ迫ってくる男の顔を今度は手で押さえつけ、近づけまいとするカーレン。逆に彼も、負けじと押し返す。
「……カーレン、この人は誰なの?」
 もう一度聞くと、カーレンではなく男が、その答えを教えてくれた。
「ああ、それはな」
 少しだけ胸を張り、男は(顔が地面に打ちつけて赤くなっているので相当痛むはずだが)にっと笑った。
「俺はラヴファロウ・スティルド。このオリフィアの騎士団をまとめる将軍だよ」
 ティア、セルの二人は、将軍という存在に対して抱いていた想像からあまりにかけ離れた姿に絶句した。
 セルはティアに向き直り、首を傾げた。どうするべきか決めかねているのだろう。兄の意を汲んでティアも頷くと、困ったな、と呟いた。
「この人がオリフィアの……その、将軍なの?」
 カーレンにおずおず聞くと、彼はあまり気乗りがしない様子で頷いた。
「残念ながらと言いたいが、こいつにはちゃんと実績も能力もある。……とはいえ、安定しない態度と口の悪さにいささかの難はあるが」
 言いながらカーレンはラヴファロウに向き直る。容赦なく腹に拳を叩き込んで気絶させると、カーレンは彼を抱え上げて、静まり返った野次馬たちに詫びの意味をこめて一礼した。
『マスターはこの方に対しては思い切りがいいんです』
 ルティスの補足を受けて、ティアたちはなるほど、と頷いた。確かに、何となく分かる気がした。
「……」
 無言でカーレンが歩き出したため、ティアはルティスと共にその後についていった。背後を、いくつもの視線が追いかけてくるのを感じながら、ティアは慣れない温度での視線の感触に戸惑った。
 途中、好奇の視線をあちこちから受けながらも、ただ王都の喧騒の中を歩いている。
 歩き続けていくうちに人がまばらになり、やがて静かになっていくのに気付いて、ティアは辺りを見回した。よく見れば、この辺りはどうも貴族の屋敷などが集中している場所らしい。それで、人気が少ないのだろう。
 ……ここで、どこに行くのかようやく見当がつき、ティアはセルを複雑な目で見やった。彼も同じ理由で察したらしく、苦笑いを浮かべて頷く。
「つき合わせて悪いな」
 気配を感じたはずもないが、何の前触れもなく、カーレンが口を開いた。
「醜態を演じて敵の目を騙しているだけだ。本当はふざけた奴じゃない。……難しいだろうが、分かってくれ」
 言われて、ティアはセルと一緒に、曖昧に頷いて返した。
 カーレンの疲れた声に、感じるものがあったのだ。

□■□■□

「あー、気持ちいい程さっぱりと気絶させてくれたな」
 気がついて一番に言ったことがこれだった。本当にふざけていないのかと疑いの視線をカーレンに向けると、彼は肩をすくめて、あの態度と本当の性格とは、どこか通ずるところがあるようだと説明した。
「何でそんな変なところが通じているのよ」
「知らん」
 袖から手に落としたダガーを振って、カーレンが言った。所変わって、場所はラヴファロウの屋敷である。
 今居る部屋は彼の自室の一つらしいが、不思議と金持ちの家という感じはしない。
 調度品は高価な物が多かったが、それでも華美を好むという風でもなく、深い緑を基調とした落ち着きのある部屋だった。一応人が過ごせる程度に家具は置いてある。
 そして、部屋に三つあるソファのうち一つを陣取り、寝転がっている人物。部屋の主であり、今までカーレンから腹にもらった一撃で気絶していたラヴファロウだ。
 ダガーの刀身を簡単に指でなぞって調べ終え、カーレンはダガーの刃を取っての方に押し込んで、懐にしまった。どうも刃を繰り出す方式のようで、珍しい類でもある。盗賊が良く持っていそうな感じだった。
「多分、演技からはもう抜け切ってるはずだ。これを使うような事態になるのはなるだけ避けたいが……切り代わりが早いこいつの事だから、多分大丈夫だろう」
 濃紺のマントを召使の女性に渡しながら言うと、カーレンはソファーに沈み込んだ。
 ティアは疑問をぶつける事にした。
「それにしても、どうしてあの時、カーレンはラヴファロウの所に行きたくなさそうにしていたの?」
「…………それは」
 カーレンは少し詰まった様子で、視線を泳がせた。一方で、ラヴファロウはじっとカーレンを見つめたままだ。外での様子とは打って変わって、驚くほど静かで穏やかな光が目に宿っている。
 ややあって返ってきた答えは、どこか空々しい感じがした。
「できれば屋敷に直接行って会いたかったのが本音なんだが……今日が将軍の視察日だったのを思い出してから、絡まれるのは予想していた。そのせいで憂鬱だったんだ」
 本当かと思ってラヴファロウに視線を寄せると、彼は頷いた。
「視察日は月に一回。たまたま今日がその日だったというだけで、別に狙ったわけでもねぇぞ」
 そう、とティアは頷いた。そして……なるほど、確かに人の目がないところではこの将軍はまともだった。
「ま、会いに行きたかったから仕事をほっぽり出してきたけどな」
 態度を改めるべきかと思案中のところに、この発言である。自分の考えを即座に撤回して、ティアは彼に対しての評価が、『少しずれた人物』となったことを確信した。
 カーレンもこれには流石に呆れたらしい。
「なら、今日の分を片付けるまで戻ってくるな」
「おい、それはねぇだろ……」
 と、目覚めたばかりの将軍を手際よく追い出してしまった。
 それだけならまだよかったが、今度は一言、
「寝る」
 とだけ告げて、カーレンはルティスを連れてどこかへと行ってしまった。オリフィアに滞在していた事があると言っていたが、ひょっとすると、滞在中はラヴファロウの所に居候していたのかもしれない。
 何はともあれ、ティアはセルと顔を見合わせて、呟いた。
「……お疲れ?」
 主旨が省かれていたが、言いたい事は伝わったようだった。
「みたいだね」
 兄は苦笑して言った。

□■□■□

 ティアとセルを部屋に残し、屋敷の中をしばらく歩いて、カーレンは自分の部屋(滞在当初は断ったのだが、なぜかラヴファロウが用意してしまった部屋)に入った。
 彼らには寝る、と部屋を去る口実に言って来たが、あながち嘘ではない。実際、ひどい眠気がして、先ほどから頭が重い。
 鉛に変じたような体をベッドに沈めると、柔らかい抵抗が身体を包み込んだ。
 安堵にも似た感覚を覚えて、息を吐く。
「あの調子だと、将軍殿は真夜中になっても帰れないだろうな」
 瞼を閉じ、皮肉をこめて言う。
 ルティスの返事は、いつもよりも数秒遅れた上、実に素っ気ないものだった。
『そうですか』
「……ああ」
 よほど怒っているらしい。不自然に明るい声を発していたのは、怒りの裏返しだとカーレンは知っていた。屋台の前でラヴファロウと出会うまで、ティアとセルはそれを敏感に感じ取っていろいろと気を遣ってくれていたようだが。
 そんな原因を作った他にも、理由はあると思った。
「わざとだろう」
『何が、ですか』
 相変わらず涼しげな声が返ってくる事に、カーレンは特に何も感じなかった。幼い時はそれが気に入らなくてよく突っかかっていたが、逆に軽くあしらわれた記憶がある。
(……今、私はどんな顔をしているのだろうな)
 自分の顔など、目を開けても見えない。だが、きっとつまらなさそうな顔をしているに違いない。くだらない事しか考えていなかったのだから。
 思いながら、カーレンは抑揚のない声で言った。
「とぼけるな」
 それからしばらく間を置いて、カーレンは囁くほどの声で言った。
「なぜ、気付いた」
『……私を出し抜いたことは認めるのですね』
 責めるような響きに――かといって彼の姿が見えるはずもないが――、ルティスの声からカーレンは顔を背けた。
『教えて下さい。あの収穫祭の二日間、貴方はどこで、一体何をしていたのか』
 激しく問いただすという程の声音でもなく、ルティスは淡々と聞いてきた。
「……私は」
 答えるのは簡単だった。ただ、一言告げるだけでよかったのだ。だが、言うまでの葛藤が長過ぎた。
 ルティスの声には、どこか失望したような声音があった。
『もういい。私は所詮従者だった。主人である貴方が教えてくれなければ、知る権利などはないのでしょう』
 確認ではなく、確信している事を告げる言葉。
 しょげかえった背中がドアの向こうに消えていく気配を感じ、ようやくカーレンは、口から音を紡いだ。だが、遅すぎた。
「……言ったら、おまえはどうするんだろうな」
 歪な形に口角を上げる。どことなく全身に違和感があった事に気付いた時には、『それ』が襲ってきた後だった。
「分かってはいるが、うまくいかないものだ。……っ」
 突然の鋭い頭痛に軽く呻くと、カーレンは顔を手で覆った。胸が緩やかに違和感を訴え、浅く、速く、酸素を求めて過度の呼吸を繰り返す。
 咄嗟にいつもの癖で、痛む身体を無理やり支配し、深呼吸で落ち着かせた。
(いつまで、続くんだ)
「……くそっ」
 鈍い思考速度に苛立ちを覚えながら、カーレンは毒づいた。
 数年前からたまに全身が奇妙な浮遊感に襲われるようになっていた。ぐらぐらと意識が揺れたりする事もあり、(これはルティスに聞いたのだが)ひどい時は吐いたりもしたようだった。
 一時は収まっていたものの、リスコに行ってから、しばらくなかった症状がまた現れている。
(…………っ、う)
 眩暈に視界が明滅する中、ほとんど手探りで腕を伸ばし、カーレンは指先に硬く冷たい感触を探り当てた。しっかりと掴むと、今度こそ暴れだした身体は苦痛に耐えられずに跳ね起きる。
 痛みに抗いながらも手に取ったのは小さな瓶だった。震える手で栓を引き抜くと、一気に中身を喉の奥に流し込んだ。
 その後も咳き込みながらベッドの上に倒れこみ、焼けるような痛みに悶えていたが、やがて身体を襲う苦痛の波は徐々に引いていった。
 五感が身体とくい違っている。激しい不快感を覚えながらも、カーレンは荒い息を整え、目を閉じて喘いだ。
 気付けば、身体中が汗に塗れていた。薄っすらと開かれた視界からそれを確認すると、何とか落ち着いた身を起こして、夕日に照らされた室内をぼうっと眺めた。
 身体から力が抜け、カーレンは再びベッドに身体を沈めた。
 心臓が強く痛く、早鐘を鳴らすように胸を打つ。疲労にただ身を任せ、カーレンはうつ伏せになって、眠りに身を任せた。


「………………よぉ、起きたか」
 目を覚ますと、何故かベッドの端に道化将軍の姿があった。カーレンが彼を胡乱気に見ると、彼は瓶を指の間に挟んで揺らした。中身がないのを見て、何が起こったのかを知ったのだろう。
「――心配させたようだな」
 苦笑すると、ラヴファロウはドアの外を指した。
「ルティスはおまえの異変には気付いたみてぇだけどな。部屋の前でおろおろしてたもんだから、俺が様子を見に来てやったんだよ」
 聞きながら辺りに視線を這わせると、室内は暗い。
「いつだ」
 短く問うと、二時、と答えが返ってきた。既に真夜中をまわったらしい。
 聞くところでは、ラヴファロウが戻ってきた時間は深夜を一時間も過ぎたころだったようだ。仕事を放り出してカーレンの元に走っていった間に溜まった未処理の書類が、一気に責任者のいない机に送り込まれてきたのが原因だったとか。
「自業自得だな」
 カーレンは言って、それから力なく笑った。
「そんだけ減らず口を叩けるなら大丈夫だろ?」
 ラヴファロウは何が良いのか満足そうに頷き、ふと真剣な顔に変わった。
「そういや、何で症状が再発してるんだ?」
 首を緩やかに振る。
 分からないのだと口にすることさえ、今は億劫だった。
「前よりはましだ……。ひどい時期は、おまえに抑え付けられて、無理やり瓶を口に突っ込まれた程だからな」
「んなことまだ覚えてんのかよ」
 呆れた様子でラヴファロウが言った。
「忘れるはずがない。毎晩のようにこれが起こっていた頃は、いっそ死んだ方がと何度思った事か」
 そして、それは最早数え切れない域に達している。
 ふと思い出して、カーレンは右の袖をまくり上げた。
 よく注意してみないと気付かない程の薄さで残る傷が、肘下から手首にかけて走っている。何故かこれだけは、ドラゴンの治癒力をもってしても完全には癒えなかったのだ。
「……そいつは確か、おまえがあいつから受けた傷じゃなかったか?」
 ラヴファロウの問いに頷いて、カーレンはそっと左手で傷痕に触れた。
「今でも剣を握ると、少しひきつる」
 なぞるように何度か撫で、呟くように言った。左手で剣を握るようになったのは、それからの事だ。
(私が支払った代償は、大きすぎたのか。それとも――まさか)
 目の前を炎の幻が一瞬だけ過ぎり、去っていった。
 首を傾げながらカーレンはしばらく黙考していた。いつまでも傷痕を見つめたままの自分を不審に思ったのか、ラヴファロウが眉を潜めたのに気付くと、視線を上げた。薄暗がりの中で、友人の顔が青白く浮かび上がっている。
 そういえば。
「…………何で明かりがついていないんだ」
 言うと、ラヴファロウはああ、と声を上げた。
「気持ちよさそうに寝てたしな。いっそのこと本当に襲っちまおうかと思って……冗談だよ、冗談。忘れてただけだ。今つけるって」
 嫌な冗談だ。内心でそう零すと、カーレンは半分だけ目を伏せて、ラヴファロウがテーブルの上の燭台に火をつけるのを見ていた。
「悪趣味」
 少し遅めの批評だった。
 苦笑する気配が背中から見て取れた。それだけで、無意識に緊張していた身体の力が少し抜けていく。他愛もない会話の中で、彼は自然に強張っていた人の心をほぐす能力がある。
 町中で異常な程のふざけぶりを披露しても、彼が変人と見られず、将に留まっている理由はここにあった。
 人望が厚い上に、将軍に足る広い器も持ち合わせていた彼だが、初めて出会った時はまだ、ただの無名の騎士だった。家は有名というわけでもなく、どちらかというと没落貴族の一歩手前で踏みとどまっていたようなもので、名もそんな威厳に満ちたものでもなかった。
 とにかく、他人を養ったり、匿う余裕などなさそうに思えた当時のラヴファロウは何を思ったか、敵から逃げおおせたものの、死に瀕していた自分を拾った。しかも、彼が昔住んでいた家に連れて行き、看病までしたのだ。
「……今でも不思議に思っていることがある」
「あん?」
 怪訝そうにラヴファロウが振り返った拍子に、蝋燭の火が明るい光をカーレンに投げかけた。
 カーレンが覚えている限りでは、ラヴファロウが自分を助けたのは、偶然通りがかったからという理由ではないように思えた。最初から、そこにカーレンが居ると知っているような感じだった。
 なぜそう思ったのか。
『何だか知らんが来てみれば……厄介な奴を拾う羽目になっちまったな』
 と、薄れかけていた意識の中、彼がぼやいていたのを聞いた覚えがあるからだ。
「出会った時、どうして私が居ると分かったんだ」
 途端に呆れた顔をされた。
「……おまえ、何を言ってんだよ。俺をおまえが呼んだんだろ」
 これにはカーレンも覚えがない。
 沈黙が降りた後、カーレンは重い口を開いて聞き返した。
「――呼んだ?」
「あ、違うな。なんか、呼ばれたってか、頼まれたんだよ。おまえを助けてやってくれってな」
 俺にも良く分からん、とぼやいたラヴファロウを尻目に、カーレンは考え込んだ。
「頼まれた」
 繰り返し呟いてみたものの、謎は多い。
「ついでに言うと、子供の声だったぞ」
 顔を上げると、ラヴファロウは髪をかき上げていた。
「例えば、どんな」
「いや、どんなと言われても困るけどな」
 彼は長い間無表情に記憶を辿っていたが、やがて口を開いた。
「――そうだな。子供っていうより、少年だった。炎塔がどうとか、守らなくちゃいけないとか何とか」
「……訳が分からない」
「ああ、俺も分からない。ただ、炎塔って言葉がおまえの口からも出たから驚いた。これは本当の話だ」
 納得も行かず、逆に謎が増えてしまった。カーレンはベッドの枕にもたれると、さてどういうことかと思案した。
 ラヴファロウを呼んだ少年の声。
 そして、声の案内する先に倒れていた自分。
 炎塔に関係する、守らなければならないもの。
「なぁ、カーレン。確か、俺とおまえが出会ったのは七年前だったよな?」
 思考にラヴファロウの声が割り込んできた。答えずに頷くと、彼は首を傾げた。
「おまえが言っていた事が事実だとすれば、探している奴はちょうど今、アレくらいの年齢なんじゃねぇのか」
 アレ、という言葉の意味を計りかねて、カーレンはラヴファロウが親指で指し示した方向――壁しかない――を見ると、納得した。
「ティアか」
「ああ。ドラゴンアイ、持ってるか?」
「持っているが……能力が目覚めていなかった」
「……ってことは、別人か」
「分からない」
 首を振り、カーレンは答えた。
「だが、ひょっとしたら。そう思って、旅に連れ出した。炎塔からドラゴンアイを隠すためにも、丁度いいタイミングでリスコを訪れることができたと思う。……奴らがユーラを繰り出していた為に、いろいろ余計な邪魔も入ったが」
「おまえの事だから、どうせ一撃で沈んだろう」
 カーレンは頷いたが、顔を歪めて渋面をつくった。
「ただ、一分だけ遅刻した。おかげでティアが死にかけた」
「…………そういう所は相変わらずだな。大事な時に寝過ごすのはおまえの悪い癖だぞ」
「直そうと努力はしているんだが」
 平然と返せば、彼はとうとう頭痛を覚えたのか、額を手で抑えた。
「――いや、さっぱり直ってねぇ。むしろ悪化してる気がする」
「そうか」
 頷き、カーレンは瞼という薄い皮膚の上から、そっと眼球に触れた。
「ともかく、リスコではもう一つだけ奇妙な事があった。闇の霧が出てきたんだ」
「闇の霧ぃ?」
 ラヴファロウが半信半疑に声を上げた。
「……闇の霧といえば、魔物が自分の身体を分解して作るっていうあれか。オリフィアの歴代の王たちも苦戦続きだったみてぇだし、おまえも片付けるのに手こずったろ」
 唸りながら言うので、カーレンはまぁな、と肯定した。
「七法の一つを使ってもまだ、一部が消えなかった。よっぽど巨大な魔物だったようだが、それをすっぽり覆い隠すほどの力を持った者がリスコに居た」
 こちらに来る途中、道ですれ違った炎塔の追手が言っていた事だ。おそらくは魔物を放った者が新入り、という事だろう。それも、かなり強大な力を持った。
「厄介な敵ができたとも言えるし、うまく立ち回りをしなければ、あの港町ではかなり危なかった」
 独りごちると、カーレンは目を開いた。視界の中にラヴファロウの姿はない。視線を巡らせれば、どこから持ってきたのか、酒瓶とグラスを二つ、抱えてこちらに来るのが目に入った。
「……危なかった、ねぇ」
 ごつ、と硬質な音を立てて酒瓶をテーブルの上に置くと、ラヴファロウは栓抜きを片手にしばらく格闘して、やがて子気味いい音と共に瓶の栓が抜ける音がした。
「おまえの言う危なかったってのは、単にちょっと危なかった、とかいう次元の話じゃないからな。もうちょい、そのやや斜め上を行くような感じだな」
 何だか微妙な表現をしながら、琥珀色の液体をグラスに注ぐと、ラヴファロウは一つをカーレンに手渡した。
「これまでの話をまとめりゃ、おまえとルティス、ドラゴンアイを持つティア、後は炎塔からユーラ、闇の霧になっていた魔物……、魔物を放った奴と、二つの勢力がリスコにあった事になるな」
 頷きながらグラスを口に運び、カーレンは顔をしかめた。
「きつ過ぎないか」
「寝起きには丁度いいだろ。で、その他はどうなっていたんだ」
 カーレンはしばらく沈黙してから、重い口を開いた。
「レダン。どうやら奴も、リスコを訪れていたらしい」
「…………」
 ラヴファロウは特に反応を示さず、ただ顔をしかめて咳き込んだ。というより、驚きに息が詰まって、気管に酒が入ったらしい。
 結局、時計の長針が一つ動くほど咳き込み続けた後、ようやく動揺は収まったようだった。
「――ドラゴンが一所に二体、か。その町が無事だった事の方が不思議だな」
 掠れた声で言って、ラヴファロウはソファに座り込んだ。
 一方で、カーレン自身は平然と酒を口にしていた。
「違う」
「あ? 何が違うんだ」
 グラスから口を離して一息つくと、カーレンは表情をなるべく動かさずに告げた。
「だから言っただろう。この上ないほど危ない立ち回りだったと。……私を含めて二体、という意味なのなら、それは違う」
 次の瞬間、今度こそラヴファロウの顔から血の気が引いた。
「あの町に居たドラゴンは……三体だ」
 絶句する彼を見て、カーレンは嫌でも自分が人間とは違う目で、この件を捉えていると感じた。たかが町ひとつ、そういう認識なのだ。だが、人間にとっては、この上ない脅威になる。
 ――人間はあまりにも脆い。だからこそあの時、自分はヒトになってはいけなかったのに。
 心の奥底で囁く声がする。しかしカーレンは、その声を強引に掻き消した。思っても、何も戻ってこないと知っている。
 だが、そうした過ちを持っているから、自分はヒトと共に生きる事ができるのだと。知りたくもないのに知ってしまっていた。


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