Dragon Eye

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第一篇 - 一章 『ドラゴンの盟友』

-1- 街道を外れて

「ねー、カーレン〜」
「何かあったのか、ティア」
 ここ二日、だだっ広い平原を歩き続けているというのに、二日前と変わらずぴんぴんとしている金髪赤目の男に、ティアは思い切り怒鳴りつけたい気分だった。いい加減、疲労で精神が参ってしまっているのだ。が、これではすぐにただのやつ当たりだと気付いた途端、自分から覇気もなくなっていくのが分かった。
「ああ、そうじゃなくて……。あなた、リスコに来る時もこんな道を歩いていたの?」
「そうだが。途中で食料がなくなったりして、ずいぶん大変だった」
「……信じられない。それとも旅人はみんなこれが普通なの?」
 呆れて頭を抱えると、ティアは座りこみたいという激しい欲求を抑えこんだ。そんなことをすれば、髪に草が絡んで立ち上がれなくなってしまう。髪が引き抜かれるような事態はできれば避けたい。
『大丈夫です、ティアさんは正常ですよ。こんな訳の分からない場所を歩くマスターが異常なんですから』
「ルティス、おまえ……」
『だって、事実でしょう』
 長毛の下に隠れた顔をぴくりとも動かさずに、ルティスが言った。身も蓋もない返事に、カーレンはどう答えればいいか、言葉に詰まっている。目や尻尾の態度から、してやったりと思っているに違いないが、顔に出さないあたりが憎いやつだ。ティアは、ルティスはかなり良い性格をしていると確信した。
 実際、確信犯なのかもしれない。ひょうひょうとした態度を崩すことなく、カーレンとの会話で文句をするり、説教をするりと交わしている。が、ポーカーフェイスではないのが面白い。楽しんでいるのは、見るところを間違えなければ丸分かりなのだから。
 カーレンも気付いているようだが、それを止めようと努力しているようには見えなかった。ひょっとすると、彼も変わり映えのしない景色に退屈していたのかもしれない。ティアは力なく(何しろ一日中歩き通しなのだから仕方がないが)微笑んだ後、景色を眺めた。
 よく言えば雄大な大広原とでも名がつくのだろうが、悪く言えば、見えるものがいつまで経っても変化しないような、単調な場所だ。それだけに迷いやすい。青々と腰まで草が生える向こうには、長い時をかけて草を刈り、旅人が行き交い、踏み固められた道がある。だが、カーレンはあえてそこを通ることをせず、意外に広いその道が細い一本の線に見えるほど遠く離れた場所を進んでいた。
「仕方がないだろう。追っ手を交わすにはこれが一番有効な方法なんだからな」
 カーレンの表情に、一瞬だが影がよぎる。その一瞬には、文句は言わせないとでも言うような、奇妙な迫力をティアは感じた。
「……思ってたんだけど、その追っ手って何なのかな」
 今までずっと黙っていたセルが言った。顔には出さないが、彼もかなり疲れているらしく、声音にいつもの張りがないように思われる。
「……追っ手は、そのまま、追う者だ」
 素っ気ない答えをよこすと、カーレンは再び歩みを再開する。ティアは軽くセルの肩を叩くと、ルティスを脇に従えて、自分も歩き出した。少し遅れて、セルの小さな溜め息、そして、草を掻き分ける音が後ろから聞こえてくる。
『それにしても、やはりいつどんなところに来ても、草原という場所ほど嫌なところはありませんね。私の背丈が足りないから、ほとんど前が見えないだけなんですけど』
 ルティスが不機嫌な声を出すことはあまりないのではないか、とティアは思う。
「珍しいな。おまえがそんなに不機嫌になるなんて、滅多にないことだが」
 本当に珍しげに、しかもバカにしているような調子でカーレンが言う。減らず口を叩くのは結構だが、取っ組み合いにまで発展されるとちょっと頂けない。
 実際に取っ組み合いになった二日前の晩は、ルティスが何故かものすごく巨大化してカーレンを押さえ込み、大声で説教をしていたような記憶があるが、何せ寝ぼけていたからあまり覚えていない。セルに聞いてみるという考えは、彼がそもそも起きていたのかどうかも怪しいので、却下。ルティスはひょっとすると、見た目どおりの魔物ではないのかもしれないな、とティアは思った。
 それでも気になり、あえて勇気を出して聞いてみたところ、ルティスからは、
『そりゃ、魔物ですから。私たちブラルというのは、とても力の強い種族ですしね』
 と、何やら自画自賛めいた答えを貰っている。
 ちなみにカーレンの場合は、渋い顔というおまけまで付いていた。
「奴の本当の大きさは二日前の比じゃないぞ。やろうと思えば、ドラゴンである私にも怪我を負わせられるからな」
「ということは、やっぱり怒られてたんだ?」
「………………」
「ごめんなさい、聞かなかったことにして」
 目に見えない怒気を肌に感じて、ティアは脱兎のごとく逃げ出していた。

 しかし、とティアは歩きながら腕を組んで考え込む。

 思えばカーレンに出会ってから、彼の服装が、三、四回、頻繁に変わっている。よく見れば、ただシャツのボタンを外しているかいないかや、帯をしているか、していないか。マントを着ているかいないかなどの違いがあるだけだろう、と思い込んでいたのだが、本当に着ているものが町と町の外と、はっきり違うのだ。
 旅に出る時はいつもこんな格好だ、とカーレンは言っている。今もまとっている濃紺のマントを見ただけで、カーレンがただの旅人ではなく、身分が相当高い人物なのだろうと想像がつくし、形を見ただけでも何か意味があると感じさせられる。
 マントといっても、質素なものなら、布と簡単な留め具を使って身体にぴたりと当てれば立派なそれになる。カーレンの今のマントはそんな簡単なものではなく、留めるための金具があらかじめ付けられているし、首を冷風や日差しから守るための襟がある。極め付けというべきか、その立てられた襟からマントのすそにかけて、布がほつれることがないようにと白い布があててあり、強度をさらに上げるために、蔓のような模様の蒼と銀の刺繍が施されてあった。
 誰がどう見ても、王家の人間が着るようなマントである。彼はドラゴンだが、ひょっとするとドラゴンの中でもかなりの力を持っているのではないかと思うのだ。その証拠……かどうかは定かではないけれど、すっきりとした物々しい黒衣を身に付けているため、一層高位のドラゴンだと感じさせる威厳と気品がある。町中であのちょっと着崩したような格好をしていたのは、普通の旅人に見せかけるためだったのだろう。そうしなければ、誰の記憶にも印象強く残って、追っ手に追いつかれるではないか。
「……草の中に伏せろ。音を立てるな」
 突然カーレンが立ち止まり、低い声で呟いた。それがこちらに向けてのものだと分かったのは、ルティスやセルがすぐに草の中に屈み、言葉通りに大地に伏せたからだった。
 カーレンも同じようにして隠れ、ついでにティアの手首もひっつかんで抱き込み、強引に伏せさせた。わっと小さな悲鳴を上げたが、口を塞がれて、ふぐむぐ唸って抗議したあと、大人しくすることにした。カーレンが隠れなければならないほどのことが起こったのなら、下手に逆らわないほうがいいからだ、とティアはこの二日間で学んでいた。
 そのまま、数刻が過ぎた。
「………………?」
 何も起きないではないか、とカーレンを見上げると、その表情は思った以上に堅く険しい。緊張からか、口を塞ぐ手が、ぴく、と動き、力を込めてきた。
 そして、ティアの耳にも、それは届いた。
 地面に近いほうの耳から、振動が伝わってくる。規則的で、リズミカルに大地を叩く音。
(太鼓――違う、複数の馬蹄の音……。馬が何匹か、走ってきてるんだ!)
 ティアがそう悟った時、音はこれ以上ない程近くに迫ってきていた。向こうの道から、掛け声と、馬がいななく声が聞こえる。止まったのだ。連続して三回ほど、同じようなことが起こったため、馬が四騎いると分かった。
 額に汗が浮くが、ティアは拭おうとも思わなかった。ただ、緊張と恐怖に動けずにいる。背後のカーレンの体からは、油断なく様子を窺う気配が伝わってくる。
 不意に、声が聞こえた。
「間違いない、奴の匂いだ。数日前に、この辺りを通ったな。特有の気配が残っている」
 男の声だ。
「この先は港町だ。カーレンはおそらく、船に乗るつもりでここを通ったのだろう。足跡が大急ぎで向かっているぜ」
 他の男が答えた。同時に、最初の二人以外の男たちが笑う声がした。
「愚か者め。船よりも馬のほうが足が早いと分かっているのに」
「ここまで追い込むのに、どれだけの闇の者たちが奴に葬られたか……。しかし、あの者が向こう側で待ち伏せしていたはず。我らはついに奴を追い詰めた! 行くぞ!」
 やっ、と掛け声がして、四人の男たちは、リスコへと馬を走らせて行った。
「………………、行っちゃった?」
「ああ。もう良いぞ」
 馬蹄の音が遠くに消えると、ティアはカーレンに起こされながら聞いた。まだ十三歳だが、一人前の女性として扱われていると思うと、少し照れくさい。
「さっきは押し倒して悪かったな」
 ばつが悪そうに謝ってくるので、ティアは笑った。そんな顔をされると、言い方が卑猥だと指摘する気も起きない。
「大丈夫。怪我はしてない」
 それから、すぐに表情を引き締めて、確認する。
「……あいつらが?」
「そう、追っ手だ。――奴ら、もうここまで来ていたのか。まだ私を捜して、山中にいると思っていたが」
『急いだほうが良いですね。まんまと逃げられたと知れば、彼らは怒り狂うでしょうから。ですが、あの者とは、一体誰なのでしょうか』
 ルティスが馬の去った方角を見やり、言った。
「新入りだろう」
 ぽつりと零すカーレンの言葉を聞き流しながら、立ち上がったティアは、カーレンから何かの香りがしていたことに気付いた。懐かしいような、過去の残り香のような香り。
「カーレン、香水でも付けてる?」
「――いや。何も付けていない」
 怪訝そうに顔をしかめるカーレンに、ティアはおかしいなぁ、と呟いた。
「確かに何か、不思議な香りがしてた」
 言われて、カーレンは右肩に鼻を埋めて、匂いを嗅いでいる。
「……何も匂わないが。確かめてみろ」
「そう?」
 言いながら、ティアは気のせいではない、と内心で呟いた。
(今も、風がカーレンの方から来ているから、分かる。何かの香りがする)
 試しに、カーレンの服に顔を埋めてみる。服自体からは、何も香ってこない。というか……香りは首筋からしている。ティアの身長は平均だが、カーレンはやや背が高いので、肩の上までしか頭が届かない。やや伸び上がってみると、やはり、首筋からにおいがする。手を当ててみると、指の下で動脈が波打っているのが分かった。ということは?
「……うーん」
「ほら、何もないだろう。それに、なぜ首筋に手を当てているんだ?」
「だって、首のどくどくいってるところあたりから匂いがするもん」
 ティアはふくれっ面をしながら主張した。が、確かに、香りと呼べる香りではないことが分かった。
「無理矢理だけど、推測その一。血が持っている、その人の香りみたいなのがある。たぶんそんな感じの香り」
「……何だって?」
 ティアの言葉を聞くなり、カーレンは唖然とした。が、すぐに真剣な顔になる。
「え? わ、ちょ、カーレン!?」
 強引に肩をつかまれ、ティアの首筋に、カーレンが顔を埋めた。くん、と鼻が動く気配もしたので、匂いを確かめているようだ。髪がさらりと揺れて、首や肩に落ちてくすぐったいが、傍目から見た構図――というかこちらを呆然と見ているセルに気付いて、耳元まで朱に染まっていくのが分かり、ティアは思わず、ああカーレンの髪って綺麗な髪だないい匂いがするな、と思ってもいないことを考えて現実逃避をしてしまった。
 が、すぐにカーレンはティアを放して、納得したように頷いた。
「……そうか。血が、おまえに存在を知らせているのか。しかし、分け与えなければ分からないはずなのにな――奇妙だ」
 何を言っているのだろう。首を傾げていると、カーレンはティアをまじまじと見つめてきていた。
「な……何?」
 また肩をつかまれた。いや、強引ではなく、やんわりとだったが。
「おまえ、自分の」
 信じられないという感情が、カーレンの目を通して見えてくる。
「まさか、おまえ。自分の力がどんなものなのか、欠片さえ知らなかったと――言わないだろうな?」
 嘘であって欲しいという本音がありありと声に出ていた。
(何もそこまで露骨に出さなくても。それに、力って――)
 ティアは考えかけて、気付いた。

『――おまえは知っているのか? その、目の正体を』

 広場で、投げかけられた言葉。
 自分の目。意識するだけで熱くなる、見えないものが見えるようになる、不思議な力。 (もしかして、力って目のことなの?)
「…………私の、目が?」

「やっぱり、知らなかったんだな? そうなんだな? 正直に言え、知らなかったんだろう」
 決定事項なのか。内心で小さく呻くと、ティアは頷いた。
 それを見た途端、カーレンは肩を落としてうな垂れた。力なく、ティアの肩から彼の手が零れ落ちたかと思うと、緩慢な動作で腕を上げ、眉間を揉みほぐしている。何故かそのままふらりと歩き出したので、仕方なくティアたちも後をついて行く。

「……そんな不安定極まりない状態で、よく今まで暴走しなかったな。褒めてやりたいくらいだ」
 呆れたようなほっとしたような、どっちつかずの声で、カーレンがどこか投げやりな言葉を垂れ流した。
(というか、今、絶対さりげなく私のこと馬鹿にしたでしょう)
 喉まででかかった言葉をぐっとこらえる。我慢だ、ティア・フレイス、と必死に言い聞かせることで、ティアはなんとか言葉を飲み下した。その代わりにカーレンの少し気だるげに揺れる背中を睨みつけるが、本人は気付いていない。
「――その力には名前がある。ドラゴンアイと、私たちは呼んでいる」
「ドラゴンアイ?」
 カーレンは頷いた。答えるのが億劫で仕方ないと見える。
「竜の力を宿した者だけが持ちうる眼だ。その力を最も顕著に表すのが、本人の眼球だから、竜の力を宿す目で、竜の瞳。
 ただし、自然発生し得ないもので、これは人間の形態を取ったドラゴンと、ドラゴンの血を分け与えられた人間にしか発現しない、極めて稀有な能力。ドラゴンとはあまり人間の姿にもならないし、人里にも降りてこないために、見ることはさらに難しいと言われている。
 そして、完全にその力を持ち主が発揮できた場合、瞳の色も変わる」
「……カーレンはできるの?」
 突然、カーレンが立ち止まった。そのまま、彼は素早い動作で振り向く。濃紺の布が鮮やかに閃いた。風に暴れる髪は柔らかに日の光を受けて黄金に煌き、紅い双眸が燃え上がる。美しい、荘厳さを感じさせる立ち姿。
 思わず気圧されて息を呑むと、後ろからも同様の気配が伝わってきた。すっかり忘れていたが、セルは何も言わずにいてくれたのだ。さすがは義兄。我慢強い。いやそうではなくて、とティアはカーレンを見つめた。明らかに彼は集中している。
 ふと、その唇が、言葉を紡ぎ、産み落とした。
「――我の力を顕現せよ。瞳よ、来たれ」
 正式な発動の言葉らしい。確かに、集中しただけで発動されては迷惑極まりないだろうが。
 そして、カーレンの瞳にも変化が訪れた。真紅の双眸が青みを帯び、深い紫へと変わる。さらに、僅かに銀色ががり、少しだけ滑らかな色へと変わった。同時に、草原がざわめくように揺れて、大気も冷たい穏やかな水の中にいると錯覚させるほど、しんと静まり返った。風ひとつ、草の揺れ方ひとつに至るまでが、カーレンの手中に落ちたと思わせるほどの存在と威圧感が支配する、奇妙な空間が作り上げられたのが分かった。
「……分かったか?」
「とてつもなく途方もない力だっていうのは、漠然と」
「――うん」
 どう言えばいいか分からない。セルが実に的確に、ティアの心情を呟いてくれたので、ティアも頷いて肯定した。
 カーレンは何かを思いついたらしく、ルティスを見た。
「ルティス、見える範囲に人は」
『いません。追っ手たちからもかなり離れましたから、上空に上がっても大丈夫でしょう』
「よし。ルティス、戻れ」
 何故か少し嬉しそうな様子で、カーレンは満足げに呟いた。ルティスがカーレンに飛びかかったかと思うと、その姿がかすみ、カーレンの身体の中に吸い込まれる。
「少し時間を短縮しよう。ティア、セル。乗れ」
 何のことか、聞く暇もなかった。
 乗れ、と言った途端、カーレンの周りを風が包んだ。うわっ、と情けない悲鳴を二人で上げつつ、腕で顔を庇う。有り得ないはずの質量が急に出現したため、大気が外へと押し出されたのだ。

 ティアたちの前に、曇った闇色のドラゴンが降り立つまで、数秒しか時間はかからなかった。

 ティアとセルが、巨大な身体の上にどうにかよじ登って、首の付け根辺り、突起の間に身体を収めると、カーレンはゆっくりと身を起こした。セルはティアの後ろに陣取り、おかげでティアは前がよく見える。セルに気を遣って頭を低くすると、彼の苦笑する気配が背中からした。
 身体の下で、しなやかで強靭な筋肉がうごめくのを感じ、ティアは密やかな感動を覚える。力強く皮の翼をはばたかせ、少しだけ大地を駆けると、ドラゴンの足が地面を蹴り、飛翔した。上昇気流を掴み、あっという間に空高くへと舞い上がると、身体をしならせてその場に留まり、方向を見定める。振動があるものとばかり思っていたが、意外とふわふわとした感触が心地いい。
『山は……あちらだな。だとすると、オリフィア王国は、もう少し向こうか』
「オリフィア?」
 ティアが繰り返す。王国、というのなら、この大陸には確か二十と何国かの主だった国があるはずだ。実際は、その国に属するさらに小さな国などがあるため、全体的な数は百をくだらなかったと思う。そして、確かオリフィアは、港町リスコが小国フィーオに位置するから、大国ハルオマンドを挟んで中央大陸を東から西へ、横断するような形の進路を辿ることになる。
『この中央大陸でも屈指の強国だな。もっとも、そう認識されるようになったのは四年ほど前、丁度今の時期だったがな』
「――カーレンは、オリフィアに居たことが?」
 セルが聞いて、ティアははっとした。オリフィアはもともとから強固な国だったが、屈指、と呼べる国ではなかった。はっきりときっかけになった事件があるはずだが、旅人たちは各国を回るため、遠方にいるほど情報が届きにくくなる。しかも、オリフィアが正式に仲間入りを果たしたのは、もう少し後の話。つまり、カーレンは当時、その場所にいたのかもしれない。セルもそう考えたのか。ティアが尋ねるつもりでセルをふり返ると、彼は頷いた。
『…………』
 カーレンは答えず、さらに高度を上げた。下を見ると、旅人の集団が大商団と共に行動しており、こちらを指差している。見つかったのかは分からなかったが、雲の間に隠れて見えなくなっていた。
 雲? とティアがその存在に気付いた時、感嘆の息が背後で落とされた。
「雲と同じ高さにまで飛んでいるんだね……」
 セルが後ろから呟いた。ティアも、言葉には出さないが、非現実な場所にいる、と思う。
『あまり身を乗り出すな。落ちたら爪に引っ掛けて拾うからな』
 慌ててもとの場所に身体を落ち着けた。カーレンはふん、と可笑しげに鼻を鳴らすと、前に向き直った。
『………………確かに、オリフィアには数年間滞在していたことがある』
「え――、そうなの?」
 頷く代わりに、小さな息を震わせる鳴き声が返ってきた。
『ちょうどその時に、隣国のハルオマンドが攻めてきた。だから、それを打ち負かすことで認められるようになった。そのことを知っているのは、今もオリフィアとハルオマンドの民のみ』
「でも、カーレンは明らかに中央大陸のフラット人じゃないだろう? 彼らは青い髪に緑色の目を持ってる。貴族は金の髪だけど、赤い瞳を持っているのは南大陸のヘイレ人だし」
『――勘違いしているようだから言っておくが、私は北大陸で生まれた。もちろん混血児ではない』
 やや呆れているような声が、ドラゴンの喉を震わせている。
「じゃあ、カーレンはヒスランの姿を持ってるってことになる! でも……ヒスランの民より色が鮮やか過ぎないか? 髪の色は銀だったはずだよ。パヤックじゃないの?」
『それでもヒスランなんだ。自分で言うのも何なんだが、私は少し……その、特別だったからな。それに、パヤックの姿は――』
 口ごもる。頭を振ってくれるのはいいが、こちらまで揺れるのはやめて欲しい、とティアは感じた。
『そろそろオリフィアの真上だ。降りるぞ』
「カーレン、はぐらかすなんて――うわっ!」
「ひゃああっ!?」
『舌を噛むなよ』
 急降下を始めたカーレンは、ティアとセルに控えめに注意した。風圧でそれどころではなかったが、二人は無我夢中で頷いた。


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