Dragon Eye

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第一篇 - 序章 『潮風の港町から』

-4- 紅い影を持つ青年

 数分後、ルティスは無事に生き永らえたらしく、やがて扉を薄く引っかく音がした。ノックのつもりらしいが、扉が傷つくだろうな、とティアは他人事のように考える。そして、本当にノックの音がしたのにも気付かず、カーレンが立ち上がるまでぼうっと扉を見ていた。
 だから、その扉がいきなり爆発したら、驚くのも無理はないと思う。
 わっと喚声を上げて飛び込んでくるのは孤児の子供たちばかりだ。遅れて、汚い格好で宿を歩くな、という内容を喚く亭主の声が聞こえる。さらに遅れて、カーレンが突然の孤児たちの来襲によって床に引っ張り倒され、下敷きになった。
 ルティスがとっとっとっ、と軽い足取りでティアに近づいてきて、言う。
『窓から放り出した仕返しですよ。なかなか面白いことになったでしょう?』
「…………あなたとカーレンはいつもこんなことをしているの?」
『いえ、とんでもない。二日に一回ほどの頻度でしか起こりませんし』
「それだけあれば十分に『いつも』っていう言葉が使えるわよ。覚えておくと損はないんじゃないかしら」
『そうですね』
 頷くと、ルティスはティアの足に擦り寄るようにして、カーレンを甘えたような瞳で見つめた。演技だというのは分かっているようで、カーレンは憎しみの篭もった目でルティスを見ている。
 ――子供たちを片手であしらいながら。
 主人と従者が憎しみ合うという奇妙な関係を目撃したところで、改めてティアは、カーレンの妙な手腕に納得した。
「ある意味では神業ね……」
「本当にね」
 笑いを含んだ声が聞こえて、ティアはそちらを見る。
「やぁ。うまくいったかな、僕の手伝いは」
 セルだ。手伝いという意味を瞬時に理解して、ティアも頷く。
「ええ。セル兄さんも来ていたのね。ブレインは?」
「次期リーダーとして、子供たちを監督中」
 苦笑して指差す方向には、いまだにカーレンを取り巻く子供たちを、本人に必死で謝りながら、何としても引き離そうとする赤毛で褐色肌の少年がいる。
「あの調子だと、ちょっと苦労しそうね……?」
「まぁ万引きをやる僕らに比べれば、良いリーダーになるんじゃないの? 結構あれで誠実な性格してるし」
 町の人もやっと休めるかもしれない。ティアは万引き、ひったくり常習犯という立場を棚上げにして、そんなことを思った。
「セル兄さんはこれからどうするの? もう町を出る支度はしているんでしょ?」
「ああ、そのことなんだけど……」
『マスターは、旅の連れがもう一人くらい増えても構わないと』
 ルティスが補足を入れた。
「そういう訳で、僕ら二人の年輩は町を旅立つ、ってことになるんだよ。ブレインも大変だろうけど、頑張るって」
「じゃ、二人して新境地に行くのね。楽しみだけど先行き不安だわ」
 ティアは肩をすくめながら言った。
「どうして?」
「だって、分からない?」
 ティアはやっと大人しくなった子供たちを示した。やんちゃな子供たちをまとめていくのには、ブレインはやや幼すぎるような気もする。心配でたまらない。想像以上に苦労の連続が待っているはずだ。そう意味での先行き不安、なのである。
「大丈夫。ブレインは間違ったことはしないよ。しまくりの僕らが太鼓判を押せるほどなんだから!」
 無邪気に笑うセル。全く分かっていない。間違いを繰り返し続けてきた人間が太鼓判を押すというのは、致命的な欠陥があるのに安全だと、そう言うようなものだろうに。しかも、何でティアがそんなことを言ったのかも考えていないし。ティアはどっぷりと嘆きの底に沈みこんだ。
「その考え自体から間違っている気がするのは、私の気のせいなんでしょうね」
 少なくとも、こうして、町から主だった『犯罪青少年』が二人ともいなくなる運びとなった、ということは確かだった。


『まずはその格好からどうにかしなければいけませんね』
「さすがにこの服じゃ、浮浪者と同じようなもんだからね」
「それ同然の生活をしていたからじゃないの?」
 セルの苦笑交じりの言葉に、ティアは控えめな意見を述べた。今は寝間着から服に着替えているが、これはあまり旅には向かないだろうという全員一致の意見で、現在は旅の方針について議論中である。子供たちとブレインは、先に戻っていると言って、既に帰っていた。
「できれば秘密裏に町を出たいんだ。船に乗るという当たり前の手を使うと、奴らに見つかるし足跡もつく。いくらなんでも目立ち過ぎたとしか言いようがないから、山を抜けることになる」
『山の中を奴らと行き違いに、見つからないように抜けていくという計画です。ということで、かなり険しい道を進まなければいけない。服は……もうそのままで結構かと。人間に出会っても、山の中でひどい目にあってきたといえば、何とでも言い訳できますから』
「問題は足だね。ティアちゃんはともかく、僕には靴がないからなぁ。足が傷だらけになっちゃうよ」
『セルくん、あなたは町の人に顔を覚えられているのでは?』
「うん。だから靴屋さんには行けない。でも、ひょっとしたら……、」
 ティアがその後を引きついだ。
「ゴミ溜め通りに、ぼろぼろになって捨てられた靴があるかもしれないわ。汚れているだけなら、まだ使えるから」
「なるほど。じゃあ、ティアとセルは戻って靴を探して来い。私たちは準備をしておく」
「「分かった」」
 カーレンの指示に頷くと、ティアは立ち上がった。セルが先に行って窓を開け、そこから飛び出していくのを見て、後ろから小さな注意が聞こえた。
「あと、窓から飛び出すのは、あまりやるな」
「育ちが知れるっていうのは伊達じゃないわね。あなたも昨日同じことをやったんじゃないの? 窓の枠に靴の泥がついていたわ」
 笑って、ティアも同じ場所から飛び降りた。軽々着地すると、ティアはセルの後を追いかける。宿からゴミ溜め通りまでは、そんなに離れていない。秘密の路地を十一、二本は通り抜けて、それで終わり。
 最後の角を曲がってすぐに、見慣れた場所に出る。と、セルはさっそくゴミの山を物色していた。脇に早くも靴が何足か積まれているのを見て、ティアも他のゴミの山を探す。できるだけ同じ、似たものをと探していると、ものの数分もしないうちに二十足は転がり出てきた。こんなに見つかると、ゴミ山の偉大さが身に染みて感じられるようだ。
 四十足ほど集めると、ティアはセルに声をかけた。積み上げられた靴は、もう五十足はあると見ていい。
「もうこれぐらいあればいいんじゃない?」
「そうだね。じゃ、振り分け開始」
 セルの足の大きさと大体同じものがいいので、あまりに小さすぎたり大きすぎたりする靴は避けた。穴ぼこの靴もあまり好ましくないと思い、どんどん振り分けていった結果、汚れがひどいが使えそうな靴の中で、セルの靴は三足ほど見つかった。
 その中から、セルが履き心地と歩きやすさを考えて選んだのは、皮と布を使って作られた靴だった。足首を固定するようなつくりなので、これなら靴ずれも起こさないだろうと思ったのだろうが、かなり高価そうだ。どうしてこんな場所にあるのかは不明だった。白い布は灰色になるまで汚れているものの、山の中を歩いてもこれ以上に汚れるので、特に問題はない。それを言うなら、ティアのブーツもデザインは凝ってはいるが、実用に向いていて、どうせ汚れるいるからだ。
「……こんなものもちゃんとあるから、ゴミ山ってすごいね」
「汚れたから捨てるのはもったいないって実感した」
「同感。さて、さっそく……お、ぴったりじゃないけど大丈夫そうだ」
 少し大きかったらしい。これからも足は大きくなるさ、とセルは気楽に笑った。といっても、もう成長期は過ぎたはずなのに、とティアは呟いた。そこで、自分もゴミ溜め通りに置いていたものがあったのを思い出した。ニッケ老人がくれた、あの包みだ。あ、と間抜けな声を上げた時には、ティアはもう駆け出した。
「ごめん兄さん、ちょっと待ってて!」
「え? 別にいいけど、早く戻ってきてよー?」
「分かってる!」
 肩越しに叫び返すと、ティアは慣れた道を、慣れない靴で走った。汚れた石畳にブーツの底が当たって、コツンと普段はしない音がする。それが何だか、自分が本当に旅人になろうとしていることを自覚させていた。もう、この道は走れないかもしれない。思った途端、ティアの心の奥が、ジクッと疼いた。傷を埋めるように、走る速度も、音も、感じる風も、ブーツが刻むリズムと一緒に、心に映していく。
 ようやく目的の場所に着いたティアは、教会の前までやってきていた。迷わず扉をくぐって、荒れ果てた教会の中に入る。
「……?」
 ティアは不審に思って足を止めた。上がった息遣いの音が、すっと小さくなる。
 こんな廃墟も同然の教会の中なのに、擦り切れた真紅の絨毯に座り込んで、祈りをささげている人間がいた。ティアの気配に気付いたらしく、座ったまま、身体を動かしてこちらを振りむいた。

 そこにいたのは、白銀の髪を持ち、紫色の目を持つ青年だった。ティアもこの人種のことは聞いたことがある。極寒の北大陸に住む、ヒスランと呼ばれる人間たちだ。
 だが、いくら寒い土地に住むからといって、不自然なほど青白いこの肌の血色はどうだろうか。死人のような、という形容詞が当てはまりそうな男の体はしなやかに、獰猛に鍛えられていて、決して小柄だとか、ひよわだという血色から連想される言葉を跳ね除けているようにも見える。鋭く冷たい、冬の刃のようだ、とティアは思った。
 突かれれば、氷よりも冷たい毒が、心臓に染み入っていきそうだ。

「……やあ。こんな廃墟に、可愛いおチビちゃんが何の用なのかな」
 言うと、青年は誰がどんな風に見ても、無駄がないと思わせる動作で立ち上がった。その風貌と、瞳を面白げに細める仕草を、ティアはどこかで見たことがあると感じた。
 何か、侮れない男だと直感させる何かが、ティアの背筋を強張らせる。
 彼はそのままこちらに歩み寄ってきて、腕が届く距離より少し離れた場所でとまった。
「俺はレダン・クェンシード。見ての通り、ヒスラン人なんだ。君は……、この辺りでは変わった毛色だね?」
「……そちらこそ、ずいぶんと純粋なフラット語を話すんですね?」
 レダンと名乗った青年は快活に笑った。心地よい、やや低めの声だ。
「皮肉に皮肉で返されたのは久しぶりだよ。いやー、ごめんごめん。あんまりにも、君の髪が綺麗な闇色だったから」
 無邪気な笑顔だったと思ったら、レダンはぞくっとするほど妖艶な笑みを浮かべた。舌なめずりでもしそうな気迫に思わずティアは後ずさる。
「そ、そうですか。それは、どうも」
 こくこくと頷くと、ティアは彼がさらに近寄ってくるので、さらに下がった。それに気付いてか、レダンは申し訳なさそうな顔をする。
「ああ、怖がらせてしまったね。――触っても、いいかな?」
 ティアは照れ隠しに愛想笑いを浮かべた。もちろん、全てそう見えるように計算した演技だ。
(何なんだろう。この人が怖い)
 早く離れてと叫びたい。だが、それではあんまりにも失礼だろう。髪を触らせるぐらいなら、とティアは嫌がる身体をなだめて、口を動かした。
「ええ……どうぞ」
 レダンはにっこりと笑って、冷たい目でこちらを見ていた。冷や汗が背中を伝うが、我慢するしかない。
 そっと伸ばされた白い手は、ティアのこめかみ辺りから、するりと一房の髪を取って、腰まで撫でおろした。
「ああ、やっぱり」
 溜め息をついて、レダンはうっとりと呟いた。
「綺麗な髪だ……」
 ……いい加減怖くなってきた。と、ティアはレダンの頭越しに、目当ての包みがエルドラゴンの像の足元に置いてあるのを見つけて、本来の目的を思い出した。
 ほとんど衝動的に声を出す。
「あの、」
「――っ。どうしたの?」
 一瞬、レダンは我に返ったような表情を見せたが、すぐに優しげな笑みを浮かべた。
「ここに、取りに来るものがあったんです。あの像の足元にあるんですけど……」
 レダンは何のことかと首をかしげて像を振りかえって、ああ、と納得したように声を上げた。
「あの布の包みだね。誰が置いたのかと思っていたけど、君のものかな」
「はい。そうなんです」
 ティアは必死に頷いた。ここで剣を取って、お礼を言って、それからこの建物を出て走り出す。もう準備はできている。
「俺が取ってこよう」
「えっ?」
(いえいえいえ、そんなことしなくていいですからっ!)
 心の底から叫びたい。が、レダンは軽い足取りで歩いていき、包みを拾い上げて、顔をしかめた。
「ずいぶん重いね。中に入っているのは剣なのかな?」
「……護身用に。武器屋の人が、使い方を教えてくれたから」
 あまり答えたくはないが、ぴたりと言い当てるところからして、もうティアはレダンが恐ろしく怖いと感じていた。従順な子供として、礼儀正しく答える。
「ふうん」
 レダンは頷いて、ティアの元に帰ってきた。両手に持っていた包みを差し出しながら、言う。
「これでいいんだね?」
「はい。ありがとうございました。用も終わったし、これで失礼させてもらいます」
 頭を下げると、ふわりと髪が舞った。レダンは目を眩しげに細めてその様子を見守っていたが、ティアは一礼した後、すぐにきびすを返して走っていったため、彼の顔は見えなかった。何より、あの意味もなく恐ろしい雰囲気を持つ男から、逃げ出したかったのもあった。

 教会から道をしばらく進んで、一つ角を曲がったところで速度を緩めたティアは、直後、ひっと息を呑んだ。
「そんな……さっき、教会で別れたはずなのに」
 レダンが壁にもたれかかって待っていたからだ。悪意はないとでも言うように笑っている。
 その笑顔に影がさしている気がして、とてつもなく怖い。歯がカチカチと音を立てた。
「ごめんね、追いかけてきて。でも、一つ言い忘れたことがあった。その様子だと君は旅に出るみたいだし。何より、可愛い子だったからね」
 忠告、だろうか。ティアは、一瞬怖さも忘れて聞き入っていた。これは本当に、心からの賛辞だと思ったからだ。
 しかし、その顔にまた、あの妖艶な笑みが浮かんだ。ティアは唇を硬く引き結んで、恐怖に耐え続ける。ふと、レダンの影が、朝日の中だというのに青い色をしていないことに気付いた。紅い影だ。
 レダンを見ると、彼は寒気がするほど優しく、冷酷な笑みを浮かべて呟いた。
「これは警告だ。君が堕ちたくなければ、忘れるな」

 しばらく呆然としていたティアは、レダンが目の前から忽然と消えたことに気付いて、ようやく、短い、声にもならない悲鳴を上げた。


『――俺のような影を持つ奴らに出会ったら、絶対に話すな。目を合わせるんじゃない。君の目は、奴らが喉から手が出るほど欲しがっているものなのだから!』

 脳裏に響いた言葉は、擦っても消せないほど深く、意識の奥底に刻み込まれた。

 青年の笑みは、どれも乾いた色しかもっていなかった。ただ、全てがどうでもいいと、全身で体現しているような人間だった。
 近づけば殺される。逃げても、追いつかれる。飢えており、自身の中に極寒の冬を閉じ込めている獣。
 レダン・クェンシード、という青年の持つ気配が、奇しくも、ルティスのような魔物の気配と似ていた事に、ティアは恐怖に駆られていた為に気付けなかった。


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