Dragon Eye

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第二篇 - 一章 1.奇跡の御子

-2- 尊き名

「ところで、どうかな。もしも嫌でないのなら、我々と共に昼の休憩を」
「は、いえ、しかし……」
「ああ、顔の改めなら私たちも手伝おう。最近このラーニシェス領でも、妙な語りをする人間がいると聞いていた。そろそろ取り締まらねばと思っていた所なんだよ」
「ですが、大公。我々にも神と聖人の名の下、剣を振るう者としての使命が――」
「いいから、構わずに。共に大地の恵みを分かち合う者同士じゃないか」
 アラスタの言葉をさえぎって、大公は笑う。
「いやね、実は旅の行程が思った以上にはかどってしまって、食料が無駄になるところだったんだ。どうせ捨てるのなら皆の口に入った方がましだろうと思って」
 実はそちらが本命で近づいたんだ、と彼は苦笑した。
「あくまでついでだよ。――私と君たちが信じるものは皆同じ。是非とも協力させてくれ。こちらも既に人相の情報は得ているから」

 いらぬ世話を焼いてくれるな。

 おそらく騎士団全員がそう思ったに違いない。
 しかし、大公がアラスタを説得する背後では、既に馬車を大公の後からやってきた従者が取り囲んでいる所だった。
「なっ……!」
 クロッドは目を瞠る迅速さで動いた従者らに驚いたが、彼らは何食わぬ顔で、他の乗客らと同じようにフューの顔を覗き込み、他の者に対して首を横へ振った。
 それを合図に、レダンが馬車から飛び降りて、残っていたフューを抱えて地面へと降ろした。
 クロッドの前にも、まだ幼い少年の従者がやってきて言った。
「貴方様も問題はありません。終わった方から馬車を降りて、あちらの方でお待ち下さい。(……仕切りをいたします。レダン様、エリック様と共に、そちらへ。どうか顔をお出しになられませぬよう)」
 後半で囁かれて、思わず目を瞠る。
 どういう事だと聞きかけた時、隣でアストラが「わ、」と声を上げた。さっさと馬車を降りたエリックが、アストラをフューと同じように地面に降ろしていたところだった。
「行くぞ、クロッド」
「あ、ちょ、」
 二人の素早い行動に唖然とする間もなく、くい、と袖を引かれてクロッドは振り返る。
 ルミナだった。

「私も降ろしてくれるのかしら?」
「、…………」
 答えに困っていると、ルミナは片眉をひょいと上げた。
 小さく微笑んだものの、目は笑っていない。
「降ろすのよ?」
 逆らうと後が怖そうだ。
「……了解、姫」
 盛大に皮肉を籠めて言うと、クロッドは言われた通りに動く事にした。

 だが、実際にルミナを抱え上げた時は、僅かに目が丸くなった。不思議なほど重さがない。

「……どうしたの?」
「おまえ、生きてるか?」
「吹けば飛びそうとか言わないのよ」
「もし言ったら?」
「杖で殴るわ」

 ――残念だが、現実離れした人形顔で言われても、その発想に真実味をくっつけるだけであった。





「いや、助かったよ。昼の休憩ついでに食べる口が増えてくれて、その上賑やかと来た。旅の交流の条件としては最高じゃないか!」
 「あっははははは!」と、クロッドの肩を容赦なく引き寄せて大公は笑う。
「そう、ですね……」
 クロッドは乾いた笑いを漏らした。
 完全に絡まれていた。しかも、自分とそう種族的には年齢の変わらない人間に、である。
 さっきから右の頬に突き刺さる視線――遠くからの聖殿騎士団の憐れむような目が気になって仕方がなかった。なぜこうなってしまったのだろうと思っても、いくら考えても分からない。
 遠い目をしていた所で、隣に座る少年が微笑みながら、クロッドの持つ杯に並々と見事な赤色のワインを注いだ。彼は先ほどまでフューが被っていたフードマントを身に着けている。よく気が付くところを見ると、元はおそらく使用人の子供の一人か何かなのだろう。
(「……あの子を隠してくれてありがとう。一緒にいたルミナという少女の機転も素晴らしいけれども、君も彼を救ってくれた恩人だ」)
 ぼそ、と肩口で小さく囁かれ、クロッドは更に顔が引き攣るのを食い止めなければならなかった。
「……あんな餓鬼を政治利用か」
 呟き返すと、大公はふっと苦い笑みを浮かべた。
「まさか。保護を頼まれただけだよ」
 保護と聞いて、クロッドは眉を潜めた。
「その辺りは、私情でね。ただ、レダンとエリックから聞いたけれど、家で保護する事になった子がいるらしいね?」
 ちら、と大公が目線だけで示した先には、ルミナの隣できょろきょろしながら、おっかなびっくりワインを口に運ぶアストラが居る。
「ふぅん……異界エマルフィアより来たりしミリアシェの民。しかも王族、ヴァンリールときたか」
 ぼそっと大公が言った中には、彼が知るはずのない単語が入っていた。
「! んぐっ!?」
 胸にワインを支えさせたのはクロッドだけではない。耳が良いのか、アストラもまた一しきり咽せてから、目を零れるぐらいに見開いてこちらを見た。
「あんた……!」
「青い矢から落ちてきたっていうんだから、そうだろうと思ってね。家の歴史を舐めてはいけないよ。過去五百年続いてきた大家だ。知識の継承も確実に行われてきた」
 さらりと言ってのけるが、クロッドはそれどころではない。
 人間の間で何人もが知るような知識ではないはずだ。なのに、彼は平然とその知識を引っ張り出して、さらに他の知識の存在すら匂わせた。
 一つの家が紡ぐ歴史は、長くて数百年。しかし、五百年ともなると、滅多にないような破格の長さだ。時の流れの中、生き残るためにした大仕事は、十や二十で済まされないかもしれない。
「――あんたら、一体何をやってきた……!?」
 唖然として呟くと、大公は頬杖をついて、何の気負いもなさそうに笑った。

「そりゃまあ、いろいろとね?」

 ――笑いながら、唖然とするクロッドの口に持っていた干し肉を突っ込んだ。
「ぶぐっ」
「あはははは、君面白いね」
 突然の肉の強襲に、クロッドはふぐむぐと口を動かすしかない。
 強引に誤魔化したというよりは、今はこれ以上深入りしない方が良いと言われたような気がした。
 ――、した。
「大公……それ以上飲むと馬から落ちるよ」
 レダンの声が背後から聞こえた。振り返って見上げると、呆れた顔でレダンは大公を見下ろしている。
「っと……酒が過ぎたみたいだね」
 注意された方は、「いけないいけない」と苦笑したが、ある瞬間から笑みの質が変わった。
「それで? どうだった」
「駄目だね」
 主旨のない質問に、多くを省いてレダンは返し、肩をすくめてみせる。
 二人の間に横たわる暗黙の了解を感じて、クロッドは果たしてここに居ていいものかどうかを考えた。ろくでもない雰囲気が両者の声から滲み出ている。
「ますます悪化している。抗争は激化、ついに老いぼれたちも重い腰を上げて、各方面にも召集がかかった。巻き込まれるのも時間の問題だ」
「……そうか。なるほど。ありがとう、レダン。ここからは私がエリックとフューを連れて行こう。引き続き偵察を頼めるかい?」
 レダンは無言で小さく頷き、クロッドたちから離れていく。と、振り向いてクロッドを呼んだ。
「クロッド。二日と半日ぐらい、俺は旅から抜けるよ」
「さっきの件?」
「ああ。もともと、フューを連れてくるのはエリックの役目で、俺は本来別の件に携わってるんだ。オリスヴィッカでまた会おう」
 じゃあ、と微笑して手を振ると、レダンの姿はその場から消えた。魔術で転移したのか、と思いながら何気なく空に目をやると、はるか頭上へきらりと白銀の輝きが昇っていくのが見えた。
「……え」
 思わず声が出た。
 まさか、跳んであれほどの高さに?
 しかも、騎士団の方も誰もレダンに気付いた様子が無い。
 唖然としてクロッドが見上げていた横で、大公が溜息を吐いた。
「――困ったね」
 あの子は間に合ったのかな。
 何が何だか分からず、混乱するクロッドの前で、大公は思惟に耽るような顔でそう呟いた。

「クロッドだっけ?」
「あ、ああ」
「君は世界についてどれだけ多くの事を知ってる?」
 ――それは、突然の質問だった。
「世界?」
「何でも良いよ。歴史でも、場所でも、今起こっている事でも――。自分では到底、全てを把握しきれないと思うかい」
 何を考えてこんな事を聞いて来るのか、クロッドには理解できない。
 困惑して黙っていると、大公はそこから「そうか」と、答えても居ないのに何かを納得したようだった。
「……さっき、君はフューを利用するのかと聞いた」
 大公は静かに、クロッドを置いて独白のように続ける。
「これが答えだ。彼は何も知らない。君も、きっと、何も知らない。アストラ姫も、もちろん」
 ――でもね。
「そこに存在するだけで、何の罪もなかった者を、人は簡単に悪魔に仕立て上げる。疑念と邪推が、その誰かを殺す」
 ざわりと鳥肌が立った。
 それほど、彼の言葉には情感が籠もっていた。溢れるほどの切なさと――憎悪の色が、そこにあった。
「私は、その人々を許すつもりはない。悪魔にされた人間だって、殺すつもりもない。私はどうしようもない彼らの愚かさによって、大切な人を喪ったから」
 ふと、クロッドは悟る。
 彼が悪意をどこに向けているのかは分からない。
 しかし、紛れもなく、彼が秘めているのは復讐心だった。
 恐ろしいほど静かに、青々と冷たく燃える火を、彼の奥に見た気がした。
「ただ、これ以上、大切なものを、傷つけさせたくはないんだよ。――分かるね?」
 振り向いて微笑む大公のその表情はひどく素朴で、とても年若い男がする表情には思えない。
 クロッドは初めて、彼が本当に見た目通りの年齢なのかと訝しんだ。


□■□■□


 ハルオマンドの旧王都、ラベニスタの住民たちは、この数日、何とも言えない光景を目にしていた。
 彼らが覗き込んでいたのは、街角にあった食堂の中だった。入り口から中へ入る者は誰も居ない。入ったら最後、『巻き込まれる』と誰もが直感していたからである。

「……ほい、次」

 とろっとした呟きと共に、重みのあるジョッキを、若い男の手が机の上に置いた。
 手の持ち主の向かいに座っていた男は、一瞬息を詰めたような顔をしてから、急に口元を押さえて食堂の隅に用意されていた桶へと走っていく――事は叶わず、途中で見事につんのめってその場で昏倒した。だけでなく、桶に出すはずだったものもそこでぶちまけられた。それで、店の外にいた見物客らはさり気なく目を逸らして、男をそんな状態にした張本人を畏怖の目で見やった。
「……あーあ、だめだなこりゃ。最近の若いのって、酒に弱い奴多いのな」
 どう見ても若いおまえがそれを言うのか。
 目は口ほどになんとやらで、見ていた者たちから向けられた視線は、異瞳同音に語っている。
 感じ取った男は、肩をすくめてから「親父、」と呼ばわった。
「悪いね、飲み比べなんかやらかしちまって」
「いや……別に構わんが……おまえさん、大丈夫か」
「何が?」
「瓶三本も飲んだろう」
 言われて、男は床に転がる酒瓶を半目で見やる。
「別に。いつかよりは大した事ねぇし」
 しれっと言ってのけたここ数日の連客に、勝負の行方を見守っていた食堂の主は大きく溜息を吐いた。
「ならいいが。全く、ウチの客も懲りんくて済まんな。やたらと酒に強いから、絡むのはやめとけと言ったんだが……」
 言われて、男は紅い髪を弄りながら首を傾げる。
「……仮面でもつけてきた方がマシかねぇ?」
「まさか。その顔に引っかけられるようなこいつが馬鹿なのさ」
 主人は苦笑しながら、自分の息子に言って床に伸びた酔っ払いを片付けさせた。
 今日の飲み比べはこれで終わりだと悟ったのか、食堂前に集まっていた人間たちはわらわらと散っていく。
 その中に一人だけ、ぽつんと立ち尽くして残っている者がいた事に気付いて、男は「……あん?」と入口を見やった。
 見知った人間だった。
 というより、半月前に別れたはずの少女だった。

「父さん! こんな所で何やってるの!?」

 ぶっ

 隣で机の片付けをしていた主人が吹いた。
「その年で娘!? おまえさんいくつだ!?」
「養い子だよ妹みてぇなもんだ。変な勘違いすんな」
 ああ、この三年間で何度言われた台詞だろうか。
 数えきれない回数に達したお決まりの答えを呟いてから、男――ロヴェ・ラリアンは、唇の端を吊り上げて、艶然と笑った。
「半月ぶりだなぁ、ティア。ウィルテナトには無事にいけたかい」
「行けたけど……どうして父さんがラベニスタにいるの? ブレインは?」
 姿の見えない義弟の行方を心配する養女に、ロヴェは苦笑する。
「おまえと同じような事になってるよ。まぁ心配すんな。死にはしねぇから」
「……父さんが言うと洒落にならないから不安だわ」
 一応信じるけど、とティアは溜息を吐いた。
「それよりも。私がどうしてここにいるのかとか、どうやって来たのかとか、全然気にしないのね?」
「そりゃあな」
 ロヴェはにやにやとしたまま、空のジョッキに手をかざし、「水」と呟いた。瞬時にジョッキの中を冷水で満たし、一気に飲み干すと、口の端を拭って大きく息を吐く。
「俺の娘なら来れて当たり前だからな」
「…………その自信はどこから来るの」
 僅かに苦笑した娘を見つめ、「だがまぁ」とロヴェは首を傾げた。
「こっちから迎えに行かなけりゃだめかと思ってたけどよ。おまえ、奇跡みたいに戻って来たなぁ?」
「え?」
「マールウェイで各里の長の召集が始まったって聞いたよ。息子(カーレン)の奴も呼ばれたんだろ。いよいよ元老と騒いでるガキ共が総当たりかって全員真っ青だったぜ」
「……それって、カーレンの所でもちらりと聞いたけど」
「ああ。だからおまえを迎えに行こうかと思ったんだ。そうしたら向こうの方からおまえが来たから、手間が省けたと思ったのさ」
 ロヴェの言葉が理解できないようで、養女はゆっくりと瞼を瞬かせた。
「何だ? 何が起こってるか知ってるんだろ?」
「え、でも、だから……マールウェイで騒ぎが起こってるって話は聞いたけど……」
 そこまで言ってティアは言葉を濁らせる。どうしてこの話でロヴェがわざわざティアを迎えに行こうとしたのか、その理由を量りかねているようだった。それで、「ん、」とロヴェは思い当たる。
「ひょっとして、聞いたのはそれだけか?」
 こくりとティアは頷いて肯定した。
 ロヴェは眉を潜めた。妙な違和感がする。
 今自分が知っている事を話してやってもいいだろうが、それだとせっかくこの場にいるというのに、ティアが余計な事をしでかしてしまう恐れの方が大きいか。
 瞼を半分伏せて思案顔になっていると、ティアは次第に訝しげな目になってこちらを見てきた。
「父さん?」
「うん……そういやおまえ、何でここに来たんだっけか?」
「さっき聞かなくても分かるみたいな事言わなかった?」
「カーレンに連れて来てもらったんだろう。そこまでは分かる。けどおまえは最初、俺がここで何をやってるのか聞いた」
 一つ一つ話の材料を並べてやると、ロヴェは片目を伏せた。
「という事は、俺がここに居ると知っていた訳じゃあない。しかも久しぶりにカーレンに会ったってのに、おまえ、ずいぶんと早く別れて来たよな? ……何かあっただろう」
 ロヴェが言う内に、ティアはそれを切り出す事ができないのだとでも言うように、難しい顔になっていった。
 すっかり塞ぎこんだ様子で俯いた娘を見つめ、ロヴェは、今まで会話の外で取り残されてどうしたものかと戸惑っていた店主を呼んだ。
「――親父。ちょっと軽く食えるモン頼むわ」
「……あいよ」
 話す時間は短くとも、ある程度回す頭が必要になるかもしれない。
 腰を据えて考え、話す必要がありそうだった。





「……なるほど」
 ティアが差し出したのは、一通の古ぼけた封筒だった。
 机の上に置かれたそれを、ティアに目で断ってから取り上げ、中身を見た後でロヴェはそう口にした。
 封筒を彼女に返すと、店主が持ってきた軽食――葉野菜を包んだパン切れを指で摘むと、そのまま口に放り入れた。硬い塩漬け肉と一緒に青く瑞々しい風味が咥内に広がるが、残念ながらこれだけ娘が落ち込んでいると、香りや味はしても、何かそれらしいものを噛んでいる気分にしかなれない。食事に集中が出来ないのだ。
 最も、良くその状況で食べれるものだと、二、三本の非難の視線は頬に突き刺さっているが。
「……そりゃ、おまえがそれだけ早く帰って来る理由も分かるわな」
 ぼうっと定まらないティアの視線は、今まで張りつめていたものが、ロヴェを前にして一気に解けたような印象だった。
「…………勢いだけで来たけれど、私、本当にオリスヴィッカに行くべきなのかしら……」
「……行ってもいい、と俺は思う。だがなぁ……勧められない理由がいくつかあるんだが、これも、ちょっとな」
 ティアはロヴェに焦点を定めた。
「それ、どういう事?」
「きな臭いって事だ、要するに。最近、奇跡の御子が失踪したって話を聞く。……あくまで裏で出回ってる噂だから、大声じゃ言えないが。そうなると動くのは……」
 ちら、と目を向けると、ティアは瞬きをして、答えに辿り着いたようだった。
「前に、教えてもらった……聖殿騎士団?」
「選りすぐりの精鋭ばかりで構成された小さな集団が、この前ハルオマンドに入ったんだと。建前では異端の話を語る人間を探しているらしいが、それが面白い事に、出回っている人相はどうやら俺のものらしい」
「……何かしたの?」
「さて。おまえとブレインを連れて回っている間に、酔ったついでにこの辺の奴らにそんな話をした覚えがおぼろげながらある。しかし一年よりは前だからな……よくそんな微妙に古くてどうでもいい話を見つけたもんだよ、本当に」
 まぁ、その話は別に良いのだ。問題は、同じハルオマンド国内に聖殿騎士団とティアがいて、しかも両者が目指す目的地も一致しているという所だ。
「奇跡の御子は、黒髪に紫の目を持ち、聖衣を纏った者と呼ばれる。が、とにかく目立つさ。歩けば噂が立つ。……そんなのを保護できる奴っていえば、領主級の力を持つ人間だって事だけどな」
 下手に接触すれば、最悪ティアが領主か騎士団か、どちらかの手駒にされるだろう。それは養い親であるロヴェとしても面白くない上、望まない所だ。
「もう一つ、オリスヴィッカに行くのを躊躇う要素がある。政情の問題だがな。さっきの御子の話と絡んで、どうやらハルオマンド周辺の大国が妙な動きをしている。オリフィア王も関わってるって話だ。この辺りでそれらしき人相が目撃されたって噂も……まぁやっぱり噂だが、火の無い所に煙は立たないってな。金髪だったそうだが」
「……それって」
 ティアはぽつりと遠い目をして呟いた。
 彼の大国の王が治める白亜の都に、ロヴェとティアは数度立ち寄った事がある。ティアはそれ以前にも二、三度、各地を放浪していた頃のカーレンに連れられて、王となる以前のラヴファロウ・スティルド・オリフィア本人と――とはいえ、当時はオリフィアの名は当然冠していなかったが――、ある程度の親交があったはずだった。そもそもカーレンが王と親しかったのが知り合うきっかけだったのだ。
 となれば、彼女は彼の王がもともと金の色だった髪を敢えて黒く染めている事を知っている。
 オリフィアの王が目撃されたという噂は単なる噂でしかないだろう。しかし、金髪である、という事であれば、ロヴェの愛娘はその立場から、いくらか王がそうする理由の見当をつける事は出来るのだ。
「地毛を晒したんだろう。あの王は黒髪で平民出身だって事で有名だが、もともと没落貴族の血を引いてただろ。即位前から染めてるんだ、国内で身近だった人間はともかく、ハルオマンドで知ってる奴はほとんどいなかったから、噂に留まっているんだろうさ……全く、逆転の発想っつうか何といおうか」
 黒髪ならば、髪を明るく染めた時にも、他よりは少し濃い色になるだろう。そんな思い込みが、地の金髪を晒す事で逆に王の顔を民衆から隠すというのだ。
「ま、風に聞けば、あの王はたまに剣一本でその辺ほっつき歩いてるらしいけどな」
「すごい自信家……死んじゃわないかしら、ラヴファロウ」
 ティアの呆れた声に、ロヴェは笑う。
「俺と剣を交えられるぐらいの剣客だ。相当に追い込まれなければ、腕利きでもおいそれと勝てねぇ。安心しろよ」
 まぁ、それだけうろつきながら国の政治が微塵も揺るいでいないという点を見れば、彼は大した器であるのだろう。
「っと、また話が逸れたな。とにかく、要はオリスヴィッカに行くなら聖殿騎士団と他、情勢に気をつける必要があるって事だ」
 言ってから、「まぁ、」と苦笑する。
「俺が一緒に行きゃ良い話なんだがな。で、この手紙の差出人、どこに居るのか見当はついてるのか?」
「……たぶん、」
 そう前置きしてから、ティアはロヴェに、彼女の予想している場所を告げた。


□■□■□


 尻が痛い。慣れない乗馬でしっかり動かされた腰や脇腹を擦りながら、クロッドは半ば以上にうんざりしていた。既に日は落ちて、宵闇が緩やかにやって来ようとしている中での事だ。
 昼食を終え、騎士団に気付かれやしないかと内心心配しつつも、使用人の格好になったフューは、身代わりになった少年のおかげで注目されず――レダンが欠けている他は、無事に旅をしてきた全員で危機を乗り越える事が出来た。
「疲れたかい? もう少しでオリスヴィッカだからね」
 欠伸を堪えていると、クロッドの前で手綱を繰りながら、大公が柔らかい調子で言う。
 まさか一領主が自分の馬の尻に他人を乗せるとは思わなかった。その辺りにこだわりがないのだと言われてしまえばそれまでかもしれないが、フューの度肝を抜かれたような目つきといい、これは非常識の部類に入っているはずだ。
 アストラはエリックの後ろでうつらうつらと舟を漕いでいるが、そこは元が獣の姿だからか、上手い事平衡を保っていて、落馬するという惨事には一度もなっていない。ならなぜ平地で転ぶという疑問が残ったが、ひょっとすると異界に来たばかりで身体の感覚が慣れていないのか、という考えに行き着いた。エリックの前にいるフューはアストラよりも更にぐっすりと眠りこんでいるのだが、器用にもエリックが自分の片腕で支えている。
 ルミナは驚いた事に自分で馬を操れるらしく、エリックと馬首を並べていた。
「……あのさ」
「ん?」
「俺の覚え違いじゃなかったら、あと二日か三日、オリスヴィッカまでかかったはずなんだが」
 馬車でも一日半ぐらいではなかっただろうか。使用人たちもいるのだから、もっと時間がかかっても良かったはずだ。
「ああ、君は賢いね。そうだけど、少しからくりがあるんだよ」
「からくり?」
「レダンが可能だった事は?」
 逆に聞き返されたが、それが答えだと悟って、クロッドは目を剥いた。
「……あんた、化け物?」
 大公は軽く笑う。
「まさか。ただの人間だよ」
 しかし、そこから半刻と経たない内に眼前にいきなり巨大なオリスヴィッカの門が出現したので、クロッドは密かにこの青年を人外に認定した。
 普段なら既に隔壁の門も閉められてしまっていただろうが、見張り番でもいたのだろうか。大公の乗った馬が近づくと、計ったように門が外側へと開いて、主人とその客らを中へと招き入れた。
 オリスヴィッカの都に入ると、いくつかの建物からは明かりがちらちらと漏れていた。領主の帰還に気付くと、窓から顔を覗かせて、親しみを込めて微笑みかけて来る者もいた。
 大公は後方からやってくる使用人たちに手を振って何らかの合図をする。大方なるだけ静かに移動しろという意味だろうとクロッドは察した。それでも往くのが石で舗装された道であるので、馬蹄の音が響くのは仕方ないだろう。
「クロッド。灯りの魔術を使ってくれるかい? 少し近道をしようと思うんだ」
 低い声で大公が言うので、クロッドは手を彼の後ろから突き出す形で、青白い光を灯した。
「ありがとう」
 さらりと言い、慣れた手綱捌きで大公は馬の首を巡らせる。通りから少し外れて、やや急な坂になっている狭い道を馬は登っていった。
 ざっと入る前に見たところでは、オリスヴィッカは丘陵――というよりはなだらかな山だろうか――の地形をそのまま利用した形でできている都だった。身分が高い者や領主に仕えている者が、職人や商人など町の人間らよりも少し高い場所に居を構えているようだ。そうなると、やはり領主の住まう邸宅は都の最も高い位置にあるのだろう。
 火の矢でも遠くから射かけられたら簡単に燃えそうだな、などとクロッドは思ったが、要らぬ世話だったようだ。
「腕利きの魔術師たちが結界を施しているからね。代々家でも施してきた陣があるから、そう易々と突き抜けるような攻撃はないよ」
 まるで心を読んだかのような声に胡乱気に見やると、大公はくっくと笑っていた。
「顔が心配そうだったよ」
「俺はそんなに表情豊かか?」
「それより表情が乏しかった人間を相手にした事があるから、私にとっては君は豊かな方に入るね」
 言われて、クロッドは半目になった。腹芸屋が、と毒づくと、何が気に入ったのか、彼はついに爆笑しそうになるのを必死で堪える羽目に陥っていた。
 やがて、坂を上り切った頃に、大公爵邸と思われる大邸宅が見えてきた。
 透かし模様が美しい鉄の門の向こうでは、良く手入れされた様子の庭園が広がっている。少し遊び心を加えたような木の枝の整え方一つをとっても、ここの庭師の優れた力量が知れた。咲いている花々の名をクロッドは知らなかったが、香りは混ぜこぜではなくどう香るかまで綿密に計算されていて、漂ってくるそれらはむせ返るというよりは仄かに感じるといった程度で、素人目にも品位というものが分かる気がした。
 要約すると、完全に上流階級の住まう土地だった。
「金が余ってんのな……」
「客に失礼がないようにだよ。一流というのも苦労するものでね、本当は面倒なのだけど手間を懸けざるを得ないんだ」
「贅沢な悩みだな」
「うん、確かにそれはそうだ。まぁ、気に入ったなら後で鑑賞でもするといいよ」
「花なんて知らないから別にいい」
 言うと思った、と大公は気安い様子で呟いた。
 庭を通り抜けた所で道は小さな広場になり、そこで二人して馬から降りる。後からついてきたエリックは多少前後の二人を起こすのに苦労していて、ルミナはそんな彼に目もくれずに馬の腹を滑り降りた。三頭が邸宅から出て来た使用人に引き渡されると、大公は離れた所にある階段の下まで歩いて行って、こちらに向き直った。
「さて。我が邸にようこそ、御客人方。今宵は夕餉も湯もたんと用意させてある。ゆるりと休まれるが良い」
 なぜ今日帰るとも分かっていないのにそんな芸当ができるのかとクロッドは一瞬首を傾げたが、何の事はない、隔壁の門が普段とは違う時間に開けば主の帰還などすぐに知れるというものだ。
 近道をしたとはいえ、ゆっくりと馬を進めてきたのだから、その間に魔術か馬かで連絡を入れた者がいたのだろう。
 ただ。

「ただいま、サシャ。フュエルトラストル・リアノルトをお連れしたよ」

 大公が開いた扉の向こうに投げかけた言葉に、弾かれたように背後にいた少年を振り返った。
 眠そうに眼を擦っていた少年は、エリックに背を押されて促されながら、きょとんとクロッドを見返した。

「――何ですって? ……リアノルト?」

 ルミナが、聞き違いではないのかと、自分の耳を疑って愕然とした様子で呟く。アストラは「それがどうかしたんですか……?」とぼんやりと聞いてきたが、クロッドはその質問に答えるどころではなかった。
「どういう事だ?」
 口調も強くエリックに問いかける。騎士はちらりとクロッドを見やると、肩をすくめ、
「どうもこうも、そういう事だ」
 とだけ言った。

「――フューというのは、元の名から取った、旅の間の名前だったんです」

 クロッドのエリックへの詰問で目が覚めたのか、フューが申し訳なさそうに言った。
 唖然として立ち尽くすクロッドの背後で、声がする。
「リアノルト。そうだよ。何も間違いはない」
 大公の、得体の知れない、声が。
「彼はフュエルトラストル。フュエルトラストル・ハイヴ・リアノルト・ファニシスカ。言わずと知れた、今代の教皇アルティマシス・ハイヴ・リアノルト・ファニシスカが認知した、正当な嫡出子。早い話が、聖君なんだよ」
 少年の何たるかを、端的に告げた。

「私は教皇直々に、彼を極秘裏に保護するように勅を賜った、という訳なのさ。同じ聖位を纏う者として、そして、聖なる血を受け継ぐ者として、ね」


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