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第二篇目次 > 本編
「それで、結局どうする事に決めたんだ? 我々の提案に乗るのか?」
エリックが口にした提案とは、彼らについてハルオマンド公国へと向かう事だ。
幸いにも、イウェンからそれほど遠くはない。寄り道をしたとしても日程に支障が出ない程度だろうが――あまり気が乗らない。
「俺、エウロア山地の方に行かなきゃならないって言ったよな?」
「だが急ぎではないのだろう。世界を見て来いと送り出されたのなら、ついでに来ても問題はあるまい」
好々爺への報告は、のんびりしていい事でもないはずだが。言いかけてクロッドは口をつぐむ。
「――ああ、そうだ。アストラというあの少女の事だが。異世界から来た、という事は伏せたが、それ以前にこの世界に、彼女は身寄りを持たない。故郷も存在しないような流浪の身となる事は目に見えている」
「……だから?」
クロッドは低く、エリックに聞く。
「私とレダンはハルオマンド公国の者だ。そして、昨夜アストラを保護した時点で、彼女の身はここイウェンではなく、公国の預かりとなった」
聞いて、クロッドは小さく舌を鳴らす。
「面倒を押しつけられたって事だな」
「まぁ、そうなる」
反吐が出るとまではいかないが、気分は良くはなかった。
イウェンの連中にとって、昨日の騒ぎによって現れたアストラという存在は個人ではない。面倒事だ。
それを大国がわざわざ拾ってくれたのだから、彼らは諸手を上げて歓迎するだろう。そしてその時点で、公国側であるエリックやレダンは、アストラを伴ってハルオマンドへ帰還する義務が生じている。
不可能ではない。故に、途中で放り出す訳にもいかない。いや、そうする事も可能だろうが、実行できるほど二人は非情ではない。
貴人に近い人間ほど、情を持つか、持たないかに二極化していく。そして二人は前者に属していた。
心理に付けこんだ、あざとい方法だ。
「……嫌いなんだよ、そういうの」
小さな呟きを拾って、フューがクロッドを見上げた。
視線を無視したまま、エリックに尋ねる。
「ルミナはどうなった?」
「彼女は彼女なりに事情があるようだ。共にハルオマンドに行く事を承知している。故に、後はクロッド、君だけになる」
「ふうん」
クロッドはフューをちらりと見た。
(『クロッドさんは、アストラさんの使命には興味はないんですか?』)
(『ねぇよ。大体何だって俺がそんなものに首を突っ込む必要があるんだよ』)
アストラの使命などに興味はない。むしろ無謀な挑戦としか思えない。
だが。
「行くよ、ハルオマンド。あんたの言った通り、こっちの旅は別に急ぎじゃないからな」
ぱかん、とフューの口が開いた。エリックが眉を寄せるが、少年が気にする様子はない。
クロッドにとっては、それほど驚かれたという事が心外ではあったが。
「……クロッドさん」
「何だよ」
「どういう風の吹き回しですか?」
「俺はいちいちおまえに、今俺が考えた事の報告をしなきゃいけないのか?」
クロッドはそう大いに呆れて、
「あの女の使命に興味はねぇが、俺が何でもかんでも面倒がると思うなって話だ」
一度関わったからには、一つ終わる所まで付き合うのもまた一興だ。
師に教わった通り、無理にでもそう思う事にすると、少しだけ嫌厭する気も薄れた。
□■□■□
「なぁに? 結局あなたも来る事にしたの?」
若干呆れ気味にルミナがそう言ったのは、イウェンの町の外で顔を突き合わせた時だった。
白い髪に合わせたのか、それとも元からのレダンの持ち合わせでもあったのか。ほとんど白に近い淡い色のローブにすっぽり身を包んだルミナの姿は、クロッドに服に着られているような印象を抱かせた。少女の後ろには、同じような色合いの服を着たアストラがこっそりと隠れている。こちらはすらりとした体格で長身気味のためか、細くてぶかぶかだが、埋もれているという感じはしなかった。
「気が向いてな。おまえこそ、何だってこの旅に同行するんだ?」
「だって、私の旅は別に行く当てはないもの」
ルミナは肩をすくめた。その拍子に、クロッドは彼女が既に首輪をしていない事に気付いた。
いつの間に取ったのだろう、と考えていると、少女はこちらの沈黙をどう捉えたのか、再び口を開いた。
「家には戻らないわ。手引きしてもらって出てきたの。奴隷として攫われたのはただの手違いだったし……」
言うと、そのままクロッドの隣をさっと通り過ぎて行く。と、立ち止まって振り向いた。
「あなたは?」
「俺は――まぁ、師匠に追い出されたようなもんだ。目的地は一つあるが、その後は決まっていない」
そう、とルミナは頷いて、離れた場所にいるフューと付き人である二人の下に歩いて行った。
(……さて)
クロッドは改めて、取り残された格好になったアストラの方を振り向いた。
「……皆さん、いろんな理由でここにいらっしゃるんですね」
感慨深げに言うのは置いておくとして。
ひくひくと被ったフードの端が動くのを見て、クロッドは頬を引きつらせた。
「おまえ、あんまり耳は動かすなよ。獣の耳が生えてる人間なんかこの世界にはいねぇぞ」
「人間じゃないですよ。元の姿は御覧になったでしょう?」
言われて、あらゆる意味で衝撃的だった昨夜の事を思いだす。
そう、まだ昨日の事なのである。
一日が長いものだ、と感じながら、アストラが現れた時の記憶を掘り起こすと、確かに獣のような姿を一瞬だけ見ていた。
「……身体が透けてた。あれは?」
「ああ、私たち、身体の中に小さな空を抱えているんです――そうですね、アウルフィアの皆さんが魔術、というものに該当しますでしょうか。魔力みたいなものなんですよ。力の使い方自体はかなり変わっているんですけどね」
機会さえあればいつかお見せします、と、少女はほわんと微笑んだ。
「……あ、そ」
「む、ひどいです、クロッドさん」
目を逸らすと、アストラは目尻をめっと吊り上げた。
「素っ気ない態度ばかりしてると嫌われちゃいますよ」
「大きなお世話だよ。つうか、おまえいつ俺の名前を知ったんだ」
「ルミナさんから聞きました」
それから一拍置いて、躊躇うように彼女は「人でないとも」と付け加える。
「あの。……鱗がその顔中に生えるって本当ですか?」
「そりゃさぞかし気色悪いだろうな」
どこまでも他人の秘密を勝手に漏らす女だ。
舌打ちして本人を見やると、ちょうどルミナはクロッドとアストラを呼んだところだった。
「二人とも、何をもたもたしてるの? そろそろ出発よ」
「あ、はい!」
慌てて、アストラはとたとたと走っていく。
と。
「あっ」
やりやがった、とクロッドは渋面になった。
あるかないかという石に躓き、アストラが見事にすっ転んだのである。
地面に倒れたまま、きゅう、と呻く少女の首根っこを掴んで引き起こす。
年下のフューだってここまで間抜けではない。
「気ぃ付けろ」
「す、すみません」
苦笑する少女から顔を背け、嘆息する。
こんな不注意な女が、本当にハルオマンドまで無事に辿り着けるのだろうか。甚だ疑問だ。
同じ事をルミナも少なからず感じていたのか、アストラを不安そうな顔で見ていたが、ふとクロッドを見て言った。
「あら? あなたどうしたの?」
「何だよ」
顔が熱っぽい、とルミナは言う。
「……ん?」
そういえば、妙に身体が熱い。
「おいおいおい、」
クロッドは冷や汗を垂らした。
まさか、異世界特有の妙な病気をもらったのか。
「レダンに聞いたら? あなたの先輩でしょ、一応?」
「……フューが見てるぞ」
「大丈夫よ。今はエリックに何か言われてるみたい。とにかく、自分の体調ぐらいしっかり管理しておきなさいよ、ドラゴンくん」
改めて去っていくルミナの背を見送ると、クロッドはぼそりと呟いた。
「……おまえの方がよっぽど年下だろ?」
結局、出発するまでにアストラはもう二回ほど何もない所で転んで、その度にフューやらエリックやらに助け起こされていた。
「――熱っぽい? ああ、魔力熱だな」
聞かれると、レダンはすぐに答えを返してくれた。
歩いている時は、転びやすいアストラを心配してフューとルミナが彼女の両脇を挟み、その少し後ろをエリックがついて行く、という隊形になっていた。
レダンとクロッドは一番先頭に立って歩いているため、必要以上に声が後ろに届く事はない。
「幼い時、個体によるが、魔力の量の変わる幅が多いと頻繁に倒れたりして熱を出すそうだ。兄がよくかかった病気だな」
「ふうん。……あんた、兄貴いるんだ?」
「ああ、いる。ここ数年顔を合わせてはいないけどね。まぁ今は元気にやってるようだから、君もきっと大丈夫だ」
言いながら、レダンは少し眉を寄せた。
「見たところ軽度のようだが、辛くなったら言ってくれ。何とかしてやる」
「何とかって、できるのか?」
「魔力が急に多くなりすぎるからいけないんだ。吸い取るぐらいはしてやれるから。ただし、少し多めには残しておくけどね。こればかりは身体を慣らしていくしかない」
「あ……なるほどね」
しかし、今までこれといった急激な身体上の変化はなかったのだが。
「成獣の時が近いんじゃないか? ちょっと鱗を出してみてくれ」
言われて、手の平に少しだけ鱗を出現させた。夜では宵闇色の鱗も、日の下では少し濃い、とろみのある蒼に見える。
浮き上がったそれを軽く爪で叩き、ふむ、とレダンは首を傾げた。
「子供ながら、だいぶ硬くはなっているな。並みの魔物の牙や爪程度なら、簡単には通さないだろうが」
「つまり?」
「まだまだ気を付ける必要はある。重い一撃だと貫通しかねない。特に人間が扱う剣や矢は対魔物用の物もあったりするから、もしも対峙する場合は油断しないように」
生々しい話だが、それだけ可能性があるという事だ。
神妙に頷いて、クロッドは鱗を再び人間の軟な皮膚へと変えた。
――そういえば。
「……あんた、鱗は何色?」
「実は、太陽が出てると嫌がられるんだ」
レダンは小さく微笑む。
「何で?」
答えは、レダンがクロッドにかざした手の平から返って来た。
「っ!?」
眩しい。彼の手の中央がぎらぎらと発光している。
「……んだよ!」
「こういう事だ」
「はぁ?」
彼が手を少し傾けると、きら、と太陽の光を反射して輝く白銀の鱗が見えた。
呆れて脱力するクロッドを見て、レダンは爽やかににやにやと笑っていた。
「利点は、こういう嫌がらせができる事」
確かに地味ながら痛い攻撃である。
クロッドは胡乱な目でレダンを見つめ、無言で頭を何度か縦に振ってやった。
後でどうにか報復しよう、と決意した。
□■□■□
「あの二人は何をぎゃあぎゃあと喚いているのかしら?」
「会ったばかりなのにすっかり仲が良くなっちゃってますね、クロッドさんとレダンさん。僕、まだレダンさんには馴染めてないのに」
よっぽど気が合うのだろうか。
アストラを挟んでフューとルミナが顔を見合わせると、後ろを歩くエリックが口を開いた。
「レダンは私の時のように固くならなくとも大丈夫だ。あれの方がむしろどちらかというと気安いから、貴方も話しやすいだろう」
「……あなたの人見知りっぷりは推して知るべし、って感じね」
「う」
ルミナからの憐れみを含んだ視線に、フューは顔を歪める。
「それにしても、あなたとレダンって全く対照的な人間じゃない? 片や真面目、片や飄々として掴みどころが無しって……よく一緒に行動ができるわね?」
「レダンは
エリックはぼやくように言った。
「二人揃ってみろ。からかわれる身からすれば恐ろしい事この上ない」
「……まぁ、弄られそうな損な性格してるものねぇ、あなた」
「ルミナさん、エリックさんにまで言うなんて……怖いものなしですね」
アストラがやや無理のある微笑みを浮かべて言った。
「でも、という事は、レダンさんは魔術を使うからエリックさんの後援になるんですよね?」
「魔術は彼が得意とするところだが……目立つのを嫌うから、あまり使わないな、あいつは」
エリックはフューを見下ろした。
「むしろ私より前に出て、殴る蹴る、頭突き目潰し足払いといった方法で薙ぎ払う奴だ」
エリックの言葉を聞いて、全員が微妙な顔をした。
それは……凶暴過ぎる。
「繊細な見た目と性格見事に裏切ってますね!?」
この一行の無茶っぷりは慣れるしかなさそうだった。
そもそも、繊細という言葉が似合うルミナやレダンがなぜ一番危険な匂いがするのかが、フューには理解できない。
「あ!? 言ってる傍から!?」
アストラが声を上げた。
「えっ!?」
フューが振り向くと、クロッドの飛び蹴りをレダンがさっといなしている所だった。
「あ、足取られた!」
「あいたっ! 背中ぶつけましたよ!?」
「負けず嫌いね……立ち上がってる」
「今度は……おっと」
「うわぁ、うわぁ」
「……あ……足払い……」
アストラが蒼褪めた横で、エリックが淡々とクロッドの動きを分析している。
「なかなか動きが切れているな。あのレダンをこかしたか」
立ち止まって二人の喧嘩を眺めていると、倒れたレダンがむっくりと起き上がる。
いったん途切れた手合せの流れがまた始まった。
「本気になったな」
「あの二人馬鹿じゃないの?」
「子供っぽいんですか、レダンさんって?」
「いや、あれはクロッドが若くてレダンが面白がってる方だ……っと、危ないな。レダンの奴、関節を極める気だったか。うまく逃げたが」
「ええっ!?」とは、フューの声である。
「クロッドさん、逃げて逃げて! レダンさん本気ですから!」
「レダン、怪我をさせるなよ。腫れると後で面倒だ」
「了解」「馬鹿野郎!」と二つの返事が返ってきたが、その後で悲鳴がフューたちの方まで聞こえてきた。
「あ……あぁーー」
見ていて怖くなる。
「勝負あったのかしら?」
「ぴ、ぴくぴくしてますよ……!?」
「いや、まだ抵抗してる。あのクロッドとやらはすごいな。よく鍛えられている方だ」
家の騎士団に入らないだろうか、と呟いているが、ドラゴンが騎士になってもいいのだろうか。
思って聞くと、いや、とエリックが首を振った。
「レダンもそうだったが、ドラゴンは全身が武器で鎧だからな。新しく武術を学ぶのは逆に戦闘力を押し下げる可能性もあるから、面倒なんだそうだ」
「……レダンさん『も』?」
何だ、とエリックが眉を上げる。
「クロッドから聞いていないのか? 一見でレダンがドラゴンだと見抜いたぞ」
「えぇっ!? 初耳ですよ!?」
「そりゃああなた、その時寝ていたし、そもそもドラゴンを人間が転移させられる訳がないって魔術の常識も知らないもの。無理ないわ」
ルミナがばっさりとそう告げた時。
組み伏せられたクロッドの手がぱったりと地に落ちて、手合せはレダンの方に軍配が上がった。
□■□■□
「いやぁ、なかなか良かった。怖い技を決めるし、関節をやろうとしたらぬるぬるとカロゥみたいにすり抜けていくんだから、手強いな」
「あんたが強すぎるんだよ! 何だよさっきの関節技、死ぬかと思ったぞ!?」
「場合によれば意識くらいは落ちるね、確かに」
「レダン!」
「ははははは」
悲鳴のようなクロッドの抗議を、レダンは軽く笑い飛ばす。
その横で、アストラが「カロゥって何ですか?」「美味な魚だ」とエリックとやり取りをしていた。
「――それで、今僕らは大体どの辺りにいるんでしょう? 朝早くから出発して、結構西まで進んできましたよね? で……こうしてシウォーヌ川の河原で休憩している訳ですけど」
「クロッドさんばてましたものね」
「アストラ」
「はひゃいっ!? すみません!」
一方、フューがぺろん、と荷物から引っ張り出した物を見て、全員がぽかんとそれを凝視した。
「――地図?」
「えっ、珍しいですか?」
「いや、おまえ、それ……ひょっとして大陸地図か?」
クロッドが聞くと、フューはにっこりと頷いた。
「あ、はい。お父さんが役立つかもってくれたんです」
「『かも』って……あなた、本物だとしたらその地図はすごい価値よ」
ルミナが擦れた声で言う。
「まだ大雑把に地域を把握したものぐらいしか各国にはないのに……あなたといいあなたの父親といい、常識を知らない訳?」
慌てた少年は、交互にエリックとレダンの顔を見る。
二人はこめかみに手を当てたり、眉間を揉んだりとそれぞれ苦悩していた。
「……まぁ、細かい事は後日改めて明かす事にしよう。ここでは少々不安が残る」
げんなりとした顔で、レダンがその場を収めた。
とはいえ、随分と精巧に作られたものに見える。
しげしげとクロッドが広げられた地図を眺めたところ、地図は原本ではなく、手作業で写されたもので、そこにいくつも書き足して補足がされているようだった。
現在よく知られた中央大陸の国名、主な山地や川、平野。街道も大きなものは残さず太い線で書かれている。
相当量の資料、文献が無くては、到底書ける物ではない事は確かだ。
「まぁ、あれだ。今はこの辺りだな」
エリックが指でくるりと円を描いたのは、ほとんど大陸北西部の山脈近くで、シウォーヌ川もかなり上流まで遡った地点だった。
「ここからシウォーヌに流れ込む支流沿いに南下して、明日はルディの坑道を通る。今日は行けたとしても坑道の前までだな」
「ルディ……山脈の下を通る大坑道よね。伝説では、蛇の魔物が掘ったらしいっていうけど」
はぁ、とクロッドは溜息を吐く。
「飛べば早いぞ。イディエの山脈なんかここから数刻で超えてやる」
「金輪際嫌よ。あなた、飛び方怖いのよ」
言って、ルミナがふと期待を込めた様子でレダンの方を見たが、彼は首を振った。
「やめておいた方が良い」
エリックがぼそりと忠告する。
「彼の飛び方は慣れないと酔うと定評があるからな」
「それは……嫌です」
アストラが控えめに反対の声を上げた。
「まぁ、そういう事だから大人しく歩こうじゃないか」
レダンは頷き、懐から取り出したパンの欠片を口に放り込んだ。
「ルディの坑道を通ったら、今度はどこまで行くんですか?」
こちらの世界の地図を見るのは新鮮なのか、アストラがきらきらと星の散る目を輝かせた。
「そりゃ、山脈の反対から出てるこの川沿いに下って行くしかないだろ?」
「あ!」
クロッドの言葉に、フューが顔を明るくした。
「じゃあこの中流辺りのリートの町から、舟で対岸のテッタまで渡って――」
「――そこから再び陸路で北上、目的地、オリスヴィッカを目指す」
ふーん、とルミナが目を側めた。
「魔物ばかりの黒の森があるせいで大回りね」
「あ、それで上流付近には町の名前がないんですね」
「そういう事だ。まぁ、リート辺りまで来れば、ほとんど家の領地は目前だけどね」
「何ていう領地なんですか?」
「大公領だよ。数年前はラーニシェス領と呼ばれていた。というのも、ラーニシェス大公爵家が、代々ハルオマンドの地で五百年以上支配してきた土地でね。下手するとこの大公家自体、ハルオマンド建国以前から存在してるんじゃないかって言われている。早い話が歴史ある土地だって事かな」
そして、エリックが最後にこう締めくくった。
「フューはもちろんの事、残りの三人も、ラーニシェス大公に謁見する事になる。失礼のないように気を付けてくれ……とはいえ、」
「まぁ彼の性格からすると、とても礼節を気にしそうにはないんだけどね。公の場では別、って程度かな」
レダンが苦笑した。
言われた側のクロッドとルミナは、何が何だか良く分かっていない顔のアストラを挟み、複雑な顔を見合わせる。
「……大公、ですか?」
「えらくまた話が飛躍したな」
よもやハルオマンド公国最高位の男に会う羽目になるとは思わなかった。
「だって、そうだろ。ラーニシェス大公といえば……」
「――三年前、旧ハルオマンド王国に政変を引き起こし、中央大陸北西の実権を名実共に握った男……そして、中央大陸北部の情勢において、現状最も大きな不確定要素」
ルミナは言って、腕をこまねいた。
「でも、何だってまたそんな男が、フューみたいな子供を迎えに側近の二人を寄越したのかしら」
みたいな、と例えたものの、ルミナ自身、フューがただの貴人でないとは察している事だろう。
聖教の天文学最高峰、星位聖に生まれの星を定められた子。
大陸全土の地図という強力無比な力を与えられた子。
そして、大国の主が、おそらく懐刀とも言うべきこの二人をつけた事実。
かたん、と、大公が盤上の駒を転がす音が聞こえた気がした。
何にしても。
クロッドは内心で呟き、冷や汗を垂らす。
――ひょっとすると、これは。
たった六人というちっぽけな規模で、大陸北部を揺るがす事態が動いているのかもしれない。
面倒に巻き込まれた程度の話では済まなくなってきている事を、ルミナと二人で察しつつあった。
1.始まりの出会い 了